偉大なるキリストよ、なんと多くの破廉恥な行為に対して、あなたはあなたの肖像を貸し与えねばならなかったことだろう。あなたご自身がまさに、人間というものの罪の深さを証しするもっともいたましい記念碑だったのに
             フランツ・ペーター・シューベルト

 ヌシはほどなくして別のおとなしい女と結婚した。それでよかった。ヌシは地道に働いてよい家庭もつくり、いまでは成功して、気だてのよいかわいらしい娘もおる。
 あの性悪で浮気なばか女は、結局、あちこちに借りをこさえたうえ、どうしようもないばか男とつるんで駆け落ちした。あげくのはては売春婦にまで身を落として、野たれ死んでしまったさ」
 チャン・プーは、絶交したあともまだヌシに対して友情をいだいていた。また、ヌシと一緒になったおとなしい、しとやかな女に敬意の念を抱いていて(彼女はとても賢かった)、その一人娘であるハラルをとてもかわいがった。ヌシはしかし、いい顔をしなかった。ヌシのわだかまりは、一朝一夕には溶けることがなかったのだ。
 チャン・プーとヌシは、その性格が正反対といってもいいくらい異なっていた。しかし、それだからこそお互いに魅かれ合うものがあって、かつては友達どうしとなっていたのだ。そして、一方はしっかりと身をかためたのに、もう一方は中年になってもまだ気ままな独り身のままでいた。そんななかで、あの事件が起きてしまったのだ。
 わたしはチャン・プーがかわいそうでならなかった。チャンはハラルを我が子のように愛している。それはまじりっけのない純粋無垢の気持だった。ハラルもチャンの人柄を愛している。そしてチャンは、ヌシに対して昔ながらの友情をまだ忘れていない。わたしはチャンとヌシの仲なおりに手を貸すことにした。
 幸いヌシは足の怪我で気が弱くなっている。そこへわたしとハラルが、チャンの真情を真心をこめて訴えかければ、ヌシとても積年のわだかまりを氷解させてくれるのではないか・・・。
 まずわたしが、チャンが例の性悪女を捨てるにいたった真相と、その後のチャンの切なさ、苦しみをせつせつと訴えた。ハラルは、あの婦女暴行事件なるものは完全な誤解で、自分はまったくこれっぽちもチャンに対しては恨みをもっていず、それどころか、そこまでやさしくしてくれるチャンを身内のように思っているとぶちあげた。
 ヌシは最初、きょとんとした顔つきをしていた。それはそうだろう。いきなり二人から古いいざこざ話をもちだされたのだから。ハラルの目はらんらんと輝いていた。たぶんわたしの目も。ヌシはわたしたちの目をじっと見つめていたが、その見つめる目がふっとなごんだ。そして言った。
「待っていたんだよ、こんなときを」
 彼は涙ぐんだ。この地の者はみな涙もろい。
「わたしの心の片隅には古い穴がぽっかり開いていた。その穴がいま、ふさがった」
 わたしとハラルは目を見合わせた。ハラルはとびだした。もちろんチャンを迎えに。
 チャンがハラルに手をひかれてやってきた。彼と会ったばかりの頃にくらべると、しわも増え、白いものもちらほら見える。わたしがヌシの使用人になってすでに半年以上がたつから、チャンと初めて会ったのはもう四年も前のことになる。歳月の重さをひしひしと感じた。わたしだってずいぶん変わっているのだろう。自分ではそれがわからないだけなのだ。
 チャンとヌシは黙ったまま顔を見合わせていた。チャンの目にきらりと涙があふれた。二人の顔はたちまち涙でぐしょぐしょになった。ヌシがそっと手をさしだす。チャンの両手がその手を握る。その瞬間、すべてのわだかまりは雲散して霧消した。
 それからは、チャンは毎日のようにヌシの見舞いに訪れるようになった。二人の話は尽きなかった。酒を酌みかわし、酔いつぶれるまで呑んだ。明け方近くにまで及ぶこともしばしばだった。二人の失われた年月をとり戻すには、それでもまだ足りないくらいだった。わたしとハラルは酒の呑み過ぎという、まったく別の心配をせねばならなくなった。わたしたちはチャンによく言ってきかせて、その訪問を制限したくらいである。
 さて、チャンとヌシの友情の復活といううれしい出来事があった年も暮れて、新しい年がやってきた。わたしがヌシのところへきてから二度目の新年である。とはいっても、この新年というのはわたしの暦上の新年であって、まるで異なる暦を用いているこの地の者にとっては新年でも何でもない。
 たまたまこの時期は何かの祭礼にあたっていて、チェトゥマルというところに、儀式に必要なカカオを買いつけに行くことが恒例となっていた。チェトゥマルというのは、ここからずっと南に下った、大きな湾に臨んだ有名な都である。
 今回はヌシが怪我で行けない。そこで、わたしが一人で行くことになった。ヌシは言った。
「おまえ一人では心もとない。チャンを連れていけ。あいつはもともとはチェトゥマルの出だ。あいつはかわそうなやつでな。まだ幼い頃に母親に生き別れて、父親の故郷のこの村にやってきたのだ。父親はチャンが十五歳の頃に死んでしまい、伯父にひきとられた。といっても伯父のところにおったのはわずかばかりのあいだで、一人前になるまではずっと若者宿で寝泊まりをしておった。あいつはなかなか手先が器用でな、若者宿でも評判じゃった。彫り物師にその腕をみ込まれてあいつは弟子入りした。粘土や木を使って神の像を彫るのだ。石にも彫る。彩色もする。なかなかの稼ぎになる。それをいいことに、あいつは嫁ももらわず毎日遊びほうけておった」
 ヌシは、トウモロコシと蜂蜜でつくった飲み物をすすって喉をうるおす。
「だが、腕のほうは確かだった。カシケもそれは認めておって、チェトゥマルの王様に、腕のいい職人としてあいつを推挽(すいばん)したくらいじゃ。そんなわけであいつはチェトゥマルへはよく行く。だから、あいつを連れていけば何かと役だつ。そうだ、ハラルも同行させよう」
 こうして、わたしはチャンとハラルをともなってチェトゥマルへ行くことになった。去年は主人のヌシに従っての旅であったが、今年はこのわたしが主人である。カカオに交換するための品々を運ぶ奴隷も二人連れていくことにする。
 チェトゥマルへは海路で行く。わたしたちは早朝に村を出て、昼過ぎに海にでた。すごくきれいな海で、白い砂州が入江をふさぎ、ラグーナ(潟)を形成している。五年前にわたしたちエスパーニャ人を捕らえて捕虜とした太ったカシケのいる海辺の村は、ここより三レグア(約十七キロメートル)ほど北に行ったところにある。
 空はどこまでも青く、海もまた鮮やかな紺碧だ。無数のニュアンスの青の饗宴。だが手もとで見る水は完全に透明で、どこまでも透きとおっている。砂浜と雲は真っ白。寄せては返す波がしらも白。白と青との晴れがましいまでのすがすがしい端麗さ。うっとりするほど美しい。
 住んでいる生き物にも珍しいものが多い。そこいらにいくらでもいるとても大きなトカゲ(イグアナ)。ずんぐりしたドラゴンのような風貌をしている。インディオはこのトカゲの肉を食べる。もちろん、このわたしも。鶏肉の味に似ている。
 長い一本足で何時間でも立ち尽くす紅色の美しい水鳥(フラミンゴ)もいる。また、マングローブが生い茂る入江の奥には、平たいかぶとのような形をした奇妙なカニも棲息する。海の中でまったりしているのは、短い腕と水かきのような尾だけで脚をもたないまるまると肥え太った摩訶不思議な珍獣(ジュゴン)。太った幼児のようだ。ウロコはない。巨大なサナギのような頭部で、目は犬や牛みたいに大きくやさしげで悲しそうだ。

 ラグーナのほとりには漁師たちが住んでいる。彼らの本業はもちろん魚や海草をとることだが、要請があれば船乗りにもなり、一本の丸太をくり抜いてつくった大型のカヌーを操って、遠くタバスコやウルアまで航海する。わたしたち商人の海路の足は彼らのカヌーである。
 わたしたちは、いつも航海を頼んでいる年老いた漁師のもとをたずねた。彼は漁に出かけていて不在だった。どのみち出航するのは早朝で、それが明日になるか明後日になるかはわからないが、それまではこの漁師のところに世話になる。ぼんやり待っていてもしょうがないので、わたしたちは漁師が戻ってくるまでのあいだ、水浴びをすることにした。漁師の妻に場所を聞いて、水浴びに適した近くのセノーテに行った。
チャンは平気ですっぽんぽんの裸になり、じゃぶじゃぶと水に入る。この地の男どもは全裸になることを何とも思わないが、わたしにはそれがいまだに恥ずかしく、上衣はとったものの腰布はつけたまま水に入った。それを見てハラルがかすかにほほ笑んだ。ふだんは見せることのない艶やかな女性(にょしょう)の頬笑み。
 ハラルは、この地の女がみなそうするように、ウィピルを着たまま水に入った。そして衣の下に器用に手を回して体を洗った。粗い織り目の濡れた布地が、乳房の量感と体の線とそのたおやかな肉感を挑発的なタッチで造形し、ハラルを別の生き物のように見せている。チャンがいなかったなら、彼女を抱きすくめてしまっていたかもしれない。ハラルは、何ごとも知らぬげに体を洗っている。
 ハラルはいま、十七歳である。この地の女がいちばん光り輝く年頃だ。彼女が、わたしのことを憎からず想っていることはよくわかっていた。彼女の父親のヌシも、そのことには気づいているであろう。わたしを婿として迎えいれたい気持ももっているかもしれない。
 この地では、息子にふさわしい配偶者を父親がさがすのは当然のこととされているが、娘の配偶者を父親がさがすのは卑しいこととされている。だから、わたしがもしハラルを妻にしたいのであれば、誰か一人前のしかるべき夫婦者に頼んで、あいだにたってもらわねばならない。ヌシもハラルもそれを待っているのかもしれない。
 わたしは、ふと湧いて出たそんな考えを自分のうちから追いはらった。わたしはまだ故郷に帰る望みを捨ててはいない。だから、この地の娘をめとって子をつくり、この地に根をおろすことはできないのだ。
 わたしはルーゴの顔を思い浮かべる。彼はカシケのお気にいりだった。そして腕っぷしも強かった。彼は、我々が最初に捕らえられたあの太ったカシケのいる村とのこぜりあいに、傭兵として参加した。この地の住民の戦(いくさ)というのはどこか煮えきらなく、雄たけびや口笛だけはやたらにはりあげるのに突撃にはいたらず、もっぱら不意撃ちでもって敵を倒した。ルーゴは槍を持ち、綿をつめて刺し子にぬった防具を身にまとい、葦を割って編んだまるい盾で身を護り、単身敵陣に突っ込んだ。彼らの戦(いくさ)はどこか本気ではなく、それがルーゴには歯がゆくて単身突撃に及んだのだった。敵の戦士はルーゴの剣幕に恐れおののき、あわてふためいて、ルーゴはやすやすと敵の指揮官の一人を突き殺した。
 以来、ルーゴは勇敢な戦士として重きをおく存在となった。村の軍事はすべて彼の手にゆだねられた。やがてルーゴの噂はチェトゥマルにも聞こえ、王直属の戦士として召しかかえられるにいたった。彼はチェトゥマルに居をうつし、貴族の娘と結婚して子どもももうけた。戦士の証しである赤と黒の入墨を体にほどこし、両耳と下唇には装身具をつけるための穴を開け、顔は彩色した。
 わたしはルーゴにはなれない。ルーゴのように故郷に帰る望みは捨て、この地に同化し、インディオになりきるなんてことはとてもできない。わたしはハラルを愛してはいるが、一緒になることはできない。どうしようもないわたしの優柔不断さがいやいや下した、おもしろくもなんともない冴えない結論。
 最後となってしまったが、あの航海士だったひじょうに注意深くておとなしかったペドロは、気の毒にもこの地特有の病(やまい)を患ってこの世を去った。とうとう奴隷の身の上のままだった。

     しょの8

 航海は無事にすんで、わたしたちはチェトゥマルに到着した。二人の息子を含む六人の漕ぎ手を使って我々を運んできた年老いた漁師は、帰り船にみやげ物と船客をたっぷり乗せて、上機嫌でひき返していった。
 チェトゥマルは大きな開けた町だった。大小の町や村を含む広い領地を有する王が居住してまつりごとを行っているので、実質的な都といっていい。王の支配下にある町や村のカシケは、チェトゥマルの貴族に列せられていた。我々の村もチェトゥマルの王の支配下にある。我々の村とは敵対関係にある、あの太ったカシケのいる海辺の村は、別の有力な首長に従っていた。
 チェトゥマルは、我々の村よりずっと南に位置して河も流れているので、木も作物もよく育つ。何よりもカカオが栽培できるのがこの地の強みだ。わたしたちは、そのカカオの買いつけにここにやってきているわけである。
 わたしたちは宿に身を落ちつけると、さっそく町の見物に出かけた。ハラルはいままでこんなに遠くまで旅したことがなく、もちろんチェトゥマルは初めてだった。案内役はチャンがかってでた。
「チェトゥマルはな、わしの生まれ故郷なんだ。わしの母親はひどいやつでな、わしが二つか三つのときに男をこさえよった。わしの父親はその男を訴えた。調べた結果、その男と母親の姦通が明らかとなって、男は罰を受けることになった。杭にしばられて、高いところから頭上に石を落とされる刑だ。だが、父親はやつを許してやったんだ。父親が憎んだのはむしろ、母親のほうだった。むろん、そんな女はすぐ離縁したさ。そして父親はわしを連れて自分の故郷に帰った」
 道々語るチャンのこの言葉に、わたしは彼がいだく女不信の因をかいま見たような気がした。この地の女はひじょうに貞節であるはずなのに、よりによってチャンの母親は例外の女だったのだ。思い起こせば、チャンとヌシ・パンヤオが不仲になったもとをつくった女というのも、やはり例外の女だった。どこまでも女についていない、かわいそうなチャン。
「でもな、わしは幼かったから、そのころのことは何にもおぼえてはおらん。わしとチェトゥマルとの本当のつき合いというのは、わしが大人になって彫り物師になってからはじまったんだ。こう見えてもわしは腕ききで、ここの王様のお気にいりなんだぞ」
 町をゆく人々の身なりは 田舎に比べるとずっとあかぬけしていた。かわいらしいハラルの身なりはどこかやぼったい。彼女には、とびきり上等の晴れ着を買ってやらねばなるまい。そのハラルは目を輝かせて、町をゆく人々の様子や町のたたずまいに見とれていた。
 町の中心の大広場にはお定まりの神殿があったが、その基壇の規模というのが村のものとはまるで違い、まるで小さな山さながらだった。これはわたしの聞きかじりだが、アフリカのエジプトにはピラミッドという、いつの世に建てられたかもわからぬ正四角垂形のとてつもなくでっかい石造建造物があって、世界の七不思議の第一に数えられているというが、いま眼前にしているこの神殿の基壇は、規模こそたがえまさにそのピラミッドの再現なのではないかと思われた。そういえば、わたしがこれまで目にしてきたこの地の神殿(基壇を含めて)はみなピラミッド型をしていた。墓として使用されることもあるようだが、たいていは神殿で、いってみれば神殿ピラミッドである。
 チャンの講釈を聞きながしながら、わたしたちは市のたっている広場に行った。食料品をはじめ、陶器や衣類などの日用品、金、銀、宝石、羽毛などの贅沢品、さらには奴隷まで、あらゆるものがそこでは取り引きされていた。また、代書人や床屋、金銀細工師、宝石職人、彫り物師、仕立て屋なども店を出していた。田舎ではとても口にすることのかなわないうまいものを飲み食いできる店もあった。
 わたしは、前から着せてみたいと思っていた華やかな柄のついたしゃれたウィピルと、美しい貝殻の首飾りをハラルに買ってやった。支払いは、こうした買い物のために用意しておいたカカオの種ですませた。それから、後日の買いつけのために、カカオの相場をそれとなく調べて歩いた。相場は去年よりも少し高めだった。
 チャンは、そこかしこで顔見知りの者に声をかけられた。王様お気にいりの彫り物師ともなれば、なかなかに顔も広いのであろう。チャンは市場をあとにしたあともいろいろなところを案内してくれたが、さすがにくたびれてきたし、日も落ちかけてきたので海辺の宿にひき返すことにした。
 宿へ着いて汗を落とし、うまい食事もたいらげて、わたしたちはのんびりくつろいだ。宿の窓からのぞむ夕暮れの港の景色は、しっとりとしたいい風情だった。その窓辺には、湯あがりで上気した肌を風になぶらせてたたずむハラルがいる。その姿ははっとするほど大人びていた。
 翌日は王の宮殿に行った。そこには、いまでは王の近衛戦士長にまで出世したルーゴがいるはずだった。
 宮殿は息をのむばかりに美しかった。広壮な平屋建てで、左右の両端と背後とに高さ十五エスタード(二十四メートル)ばかりの急勾配の神殿ピラミッドを従えていた。それら石造建造物のすべてが真っ白だった。この地方の石造建造物――大小さまさまな神殿ピラミッドや王の宮殿などはもとより、王族、領主、貴族、大商人らの豪壮な邸宅などもおおむね白色で、みなその表面が漆喰で塗り固められ、ほとんどはそのまま白無垢に、またあるものは青や赤に彩色されて、蒼天の下にその端麗な偉観を見せていた。わたしの住む村の神殿だって、かなりうす汚れてはいるがいちおうは白い。
 わたしはチャンの顔見知りの衛士のところへ行き、ルーゴに会いたい旨をつたえた。衛士はそっと手わたされた塩の袋の効き目もあって、頼みを快くひき受けた。幸いルーゴは宮殿に詰めており、衛士に導かれて外に出てきた。
 テラスの上にそそり立つ宮殿の、左右に大理石の太い柱を配する門口に立つルーゴは光り輝いていた。何か光るものを身につけているというのではなく、その存在そのものが光り輝いていた。ゆるぎのない自信を光源とした輝き。
 彼の背後で左右に流れて高くそびえる宮殿の石壁の上半分(いやそれ以上)は端から端にいたるまで、美しく彩色された竜蛇や鼻の長い雨の神などの異形の彫像らがある種のリズムを感じさせる間合いをもってはめ込まれていた。余白は格子模様と雷紋の浅浮き彫りによってびっしり埋めつくされている。空白はまったくない。彫像それに模様と紋様らの反復によって完璧に充填されている。
 過剰なまでに密度の濃い装飾意匠ではあるが、微妙な均整と優雅な気品を保持していて、決して嫌味にはなっていなかった。その念のいった装飾美がまた、ルーゴの威風を一段と強調していた。彼は両耳と下唇にヒスイの装身具をつけ、顔面には彩色をほどこしていた。
「久しぶりだな。一年ぶりか。元気にしているようじゃないか」
 満面に笑みをうかべてルーゴが言った。わたしはルーゴの輝きに圧倒されてはいたけれど、やはりうれしさは隠しきれず、テラスの階段を駆け上がって、わたしにしてはずいぶん大げさな身ぶりでルーゴを抱きしめた。ルーゴもまけずに力いっぱい抱き返す。わたしたちだけにしかわからない同胞意識が、このときばかりは五体を駆けめぐる。
「おまえたちも上がってくるがいい」
 ルーゴが、テラスの階段の下にたたずむハラルとチャンに声をかけた。チャンはその仕事柄、何回か宮殿に入ったことがあるはずだが、わたしとハラルは初めてだった。
 宮殿に足を一歩踏み入れる。そこはがらんとした広間になっていて、衛士が四隅に立っていた。壁面には見事に彩色された神々や王の像が彫り込んである。一本の柱越しに吹き抜けとなっている左隣の大きな居室は戦士らの控えの間となっているようで、ルーゴと同じような顔面装飾をほどこしたたくましい男たちがたむろしていた。ある者はしなやかな軌跡を描いて、舞うように体ならしをしていた。裸の上半身には戦士の証しである赤と黒の入墨をほどこしていた。またある戦士は、贅をこらしたひじょうに大きな木の椅子に物憂げに腰かけていた。大声でおしゃべりをしている一団もある。
 わたしたちは広間を通り抜け、宮殿の中庭に出た。宮殿は、このひじょうに広い中庭をとりまいて四辺形に配置されていた。左右の建物の向こうと、突き当たりの建物の向こうに白亜の急勾配の基壇がそびえたち、その頂きに白亜の神殿が鎮座している。計算されつくした圧倒的な景観だ。
 中庭のそこかしこには贅を尽くした椅子と石のテーブルが置かれてあって、そこで話ができるようになっていた。美しく着飾った女官がやってきて、わたしたちをテーブルの一つに案内した。ルーゴがカカオの飲み物を持ってくるよう女官に告げた。
「おい、そこにすわっているのはもしかしてハラルじゃないのか?」
 と、ルーゴが口をきる。ハラルは恥ずかしそうにほほ笑む。
「うーん、やっぱりそうか。きれいになったなあ」
 そう言って、ルーゴはまぶしそうに彼女を見やった。
「いや、とぼけた言い方をしてすまなかった。おまえがハラルなのはすぐにわかったさ。だがな、一層きれいになったおなごに向かって、のっけからそれが自分の知っていた娘であると認めるのは、何となく照れくさいものなんだ。まぶしい太陽を直視できないようにな」
「なかなか口もうまくなった」
 と、これはチャン。
「なに、口だけでなく腕のほうもだいぶ上達したぞ」
 女官が飲み物を持ってきた。めいめいの者にその冷たい飲料をくばる手つきには、ゆったりとしたなかにも、なにかうきうきするような旋律がこめられている。もって生まれたものなのか、それとも修練のたまものなのだろうか。澄んだ晴れやかな笑みを残して彼女は去る。
 わたしはルーゴにたずねた。
「子どもは元気かい」
「ああ、二人目がいま妻のお腹にいる」
 わたしはにやりとする。半分はうらやましく、半分は独身でいる自分にほっとしているのだ。かたわらの止まり木にいるオウムが、笑い声のようなけたたましい鳴き声をあげた。ルーゴは照れたような顔をしている。
「ところでチャン、今年の大神の像の出来はあまりよくないと王がこぼしていたぞ」
 チャンが答える。
「おや、さすがは王様だ。少しばかり手抜きをしたからな。何か最近、気分がのらんのだ。神様の像ばっかりつくるのも飽きてきたよ」
「そんなことを言ったっておまえ、ほかに何か彫りたいものでもあるというのか」
「ああ、そこなんだ。わしはきっと頭がおかしくなったんだろう、神様じゃないものを無性に彫ってみたいんだ。たとえば、そこにいるハラルを彫ってみたい」
「ハラルを彫って、それをどうしようというんだ」
「どうもしやしないさ。わしはわしのためにハラルを彫る。ただ彫れさえすりゃいいんだ。ありのままのハラルをありのままに彫る。表に漆喰を塗ってかわいいハラルをかわいいままに彩色する。生けるがごとくにな」
 この地の彫像というのは、どうもわたしはあんまり好きになれない。ほとんどが神の像で、ほかには王と戦士と神官の像があるだけだ。それも、鳥獣にデフォルメされたりなどして醜怪なものばかりだ。

金星の神&風の神である羽毛の蛇 ククルカン

象鼻の雨の神 チャク

一介の庶民をモチーフにした彫り物はほとんど見たことがない。女らしい彫刻にいたってはもう皆無だ。わたしの故郷のエスパーニャには、美しく、みずみずしい女の彫像はいくらでもあるというのに。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィジタツィオーネ教会(イタリア)の聖母像

チャンが言うような彫像ができれば、それこそ画期的な出来事である。
「でもな、そんなものをつくってみろ、邪神か何かとまちがわれて、よってたかってみんなにぶち壊されてしまうぞ。いっそのことどうだ、それをこっそり王に献上してみては」
「王様なら大丈夫なのか?」
 チャンの瞳が輝いた。
「うむ、あの王なら大丈夫だ。ちょっと変わったお方でな。神官どもももてあましているくらいだ。風変わりなことがお好きで、衣装などもちょっと変わっている。女が着るようなウィピルを、それもごく質素なやつをまとっている。野蛮なことがきらいで、とくに人間の生贄などは大きらいだ。実はな、ここだけの話だが、おれがここへ来たばかりのころ、退屈をもてあましている王に聖母(マリア)の絵を描いてさしあげたことがあるのだ。王はびっくりしていたが、すっかりそれが気にいってしまって、それからは何枚も描かされたものだ。王はああいう絵がお好きなのだ。だから、ハラルに生きうつしのきれいな彫像ができれば、王はぜったいに気にいるはずなのだ」
 そういえば、ルーゴは絵がとてもうまいのだ。村にいるころ、カシケの似顔絵などを描いて喜ばれていたことを思いだす。
「そうか、わかった。うれしいぞ。わしはハラルを彫る。ハラル、彫らしてくれるか?」
 ハラルはとまどいをおし隠して、真っ赤になりながらもうなずく。大好きなチャンおじさんの頼みとあれば、ことわることなぞできっこない。ルーゴの顔面装飾が大きな笑みでぐしゃっとくずれた。わたしは両腕を頭のうしろにまわし、空を仰いだ。突きぬけてどこまでも蒼い熱帯の大天空が目にしみた。

     しょの9

 カカオの買いつけをどうやら無難にこなして、わたしたちは村に戻った。ヌシ・パンヤオが、いかにも待ちくたびれた様子で我々を出迎えた。彼は元気そうなわたしたちを見、二人の奴隷が運んできた新鮮なカカオの荷を見てうれしそうに笑った。
「よく帰ってきた。どうやら無事で、商売のほうもしっかりやってきたようじゃないか」
 わたしは笑顔でそれに答える。チャンが言った。
「おい、大変なことになったぞ。ハラルが王様の枕もとに立つのだ」
 ヌシはきょとんとしていた。わたしはヌシが気の毒になって言ってやった。
「正確には、ハラルの彫像が、ですよ、旦那さん。チャンは、ハラルの彫像をチェトゥマルの王に献上することになったのです」
 ヌシはそれでもまだ、要領をえない顔をしている。それもそうだ。この地の人間に、一介の庶民の、それも女の像を彫るなどと言ったって、ぴんとくるわけはない。人間の彫り物といえば、王か戦士か神官に決まっている。
「実は旦那さん、チェトゥマルの王様というのはちょっと変わった方で、生身をそのままうつした女人像が好きなんですよ」
 ヌシは何か不吉なことを聞いたような表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ、旦那さん。王様はその彫像を公にするつもりはなく、あくまでも私物として鑑賞するだけなのですから」
 ヌシは少しほっとしたようだった。
「確かに変わった王様だな。生身そのままの彫り物をお好きだとはな。まあいい、チャン、あんまりいい女にはしないでくれよ。王様に変な気を起こされると面倒だからな」
 チャンはぷっと笑った。わたしとハラルも思わず吹きだした。ヌシもつられて笑う。ヌシの機嫌はなおったようだ。
 それからの日々は、おおむね何ごともなく過ぎていったが、チャンだけはそうはいかなかった。新しい彫り物への彼のうち込みようは半端なものではなかった。わたしは、チャンがこんなに一つことに熱中しているのを見たことがなかった。寝ているさなかにいきなり起き出して、黒曜石ののみを振るうなんてこともままあるらしい。この地の者は髭を生やさないのに、彼だけは不精髭で顔をうずめていた。
 あるとき心配になって彼に言った。
「なあ、チャン。ここんとこ、ずいぶんあんたらしくもない日々をお過ごしのようじゃないか」
「ああ、そうなんだ。わしらしくない。わしはな、この仕事がすんだら彫り物師をやめるつもりなんだ。蓄えが少しあるから、しばらくは遊んで暮らす」
「うん、それもいいだろう。少し休めば、また何か彫りたくなってくるさ」
「いや、ならん。わしにはわかるのだ。彫り物への熱はな、もうとっくに冷えきってしまっておるんだよ。わしは何か別なことがしてみたい。できれば、おまえさんと同じ商人にでもなってみたい」
「ああいいとも。いつでも来てくれ。ヌシにのれん分けをしてもらって、二人で商売しようじゃないか」
「ほんとか、それはほんとか?」
「ほんとだとも。だからさ、早いとこいまの仕事をかたずけちゃおうじゃないか」
 チャンは大きくうなずいた。
 それでも、ハラルの像ができあがるまでには、それからさらに二ヶ月を要した。しかもそれはまだ輪郭がし上がったという段階で、そのあとさらに像の表面を漆喰で塗り固め、彫刻をほどこして生身そのままに彩色をするという工程がまだ残っていた。
 チャンは、ハラルを訪れてはくい入るように彼女を見つめ、その残像がこぼれやしないかと恐れるかのような勢いで仕事場にとって返しては仕事をつづけた。ときには、ヌシの許しを得て仕事場にハラルを呼び寄せ、細部の微妙なしあげに丹精をこめた。乾季が残り少なくなって、もうじき雨季がやってくるというころ、ついにハラルの等身大の立像が完成した。
 それはすばらしい出来栄えだった。エスパーニャ人の目から見てそうだという意味である。この地の者が見たときにはどうなのか、わたしにはわからない。美意識がまるで異なるのだから。美意識の相違と作品の優劣とはたぶん関係はないとは思うのだが・・・。
 初々しいハラルが、その像には完璧にのり移っていた。思わず話しかけたくなるような親しみやすさもある。そして、遠慮がちにただよい出る女性(にょしょう)の色香。これを手にした者は、決して手放すことはしないだろう。チャンはすばらしい芸術家だった。
 ハラルがこの作品を初めて目にしたときには、恐れにも似た奇妙な感情をいだいたのではあるまいか。もう一人のありのままの自分と対面するというこの地の者にはありえない事実への驚愕と畏怖。彼女はいたたまれず、作品の前を離れて自室にこもってしまった。父親のヌシはきょとんとしていた。うまく反応がしめせないという反応しか、彼にはとることができなかったのだ。
 ハラルの像が完成したことは、チェトゥマルのルーゴに知らされた。さっそく王宮から役人二人と従者四名が遣わされてきた。像は念入りに梱包され、頑丈な木箱に納められて使者に手わたされた。チャンはまるで、肉親と別れるみたいに嘆き悲しんだ。彫り物師としての最後の作品であるし、この地の誰もがかつて考えたこともない、生身の人間をそのまま写しとるという偉業をなしとげたのだからむりもなかった。チャンの一世一代の作品なのだ。
 ハラルの像が行ってしまって、チャンはもぬけの殻のようになってしまった。といって、元気がなくなってしまったというのではない。いやその反対だった。彫り物師としてはもはやぬけ殻にひとしいのだが、そのくびきから解き放たれたという開放感が限度をこえ、狂騒的ともいえる昂ぶった浮揚境に彼を連れ去ったのだ。これも天才ならではのことなのかもしれない。
 毎晩のように酔いつぶれ、そのかたわらにはたいてい女がいた。目はうつろだった。わたしの顔を見ると「さあ、早く商売をはじめよう」とせきたてた。わたしは言った。
「もうしばらく待ってくれ。わたしがヌシの世話になってからまだ二年もたってないんだ。いくらなんでも一人立ちするには早すぎる。ヌシの立場にもなってみてくれ」
 チャンは小さくうなずいた。チャンの放蕩三昧の生活はそれからもつづいた。
 チャンが心配で、仕事にもろくろく身が入らないでいたわたしは、ふとあることを思いついた。そうだ、ハラルだ! ハラルにいさめてもらおう。いくらあいつでも、ハラルの言うことなら聞くだろう。さっそくハラルをともなってチャンのところに行き、彼女に説教してもらった。やさしい説教だった。彼は神妙に聞いていた。そしてぽつんと言った。
「わかった。もう心配はかけない」
 だが、しばらくたつとそんな誓いはけろりと忘れ、もとのすさんだ生活にまい戻ってしまった。そして「さあ、早く商売しよう」とわたしをせきたてた。ここまできたのじゃもうしょうがない、ヌシに相談するほかないと思っていたやさき、とんでもない報(しら)せがチェトゥマルのルーゴからとどいた。ハラルの像に魅せられた王様が、ハラルに直接会いたいとだだをこねているというのだ。チャンもさすがに驚いて、乱行もしばらくはとだえた。
 みなでいろいろ相談したものの、王様にさからうなんてことはできっこない。とって食おうというのではないし、会うだけならいいじゃないかということになって、承諾の返事をルーゴに出した。
 一週間ほどして迎えの使者たちがやってきた。ハラルだけをやるわけにはいかないので、ヌシとわたしとチャンがつきそっていくことにした。チャンは、自分の作品にもう一度会ってみたいと真顔で言った。

    しょの10

 ハラルは、王との接見を無難にこなした。しかし、王のほうは無難では済まなかった。実物のハラルを見て、王はのぼせあがってしまったのだ。王は女に対しては淡泊だと思い込んでいた家臣たちは、びっくりしてしまった。
 王はなかなかハラルを手ばなさなかった。そのうちに、ハラルを妃にしたいと言いだした。王はわたしくらいの歳だが、まだ独身だった。ハラルの家柄が問題となるが、父親のヌシはいちおう名のとおった商人だし、一流の商人は貴族と同格とみなされていたから、そこは何とかつじつまは合わせそうだった。
 ヌシはわたしの意見を求めた。わたしは、ハラルさえよければ、彼女が王妃になるのに反対する理由はないと答えた。ヌシはびっくりしたような顔をした。そして静かに言った。
「実はな、おまえにハラルをもらってもらおうと思っていたのだ。そして、いずれはわたしの家業をついでもらおうともな。それがこうなったからには、おまえの本当の気持を聞かせてもらわなけりゃならん」
 わたしは言った。覚悟はできていた。
「旦那さん、まことにかってで申しわけないのですが、それはできません。わたしは、自分の故郷に帰る望みをまだ捨ててはいないのです。わたしは、ルーゴのようにこの地の娘をめとり、子をつくってこの地に根をおろすことはできません。わたしはしょせんよそ者なのです。ですから旦那さん、そのことだけはどうかあきらめてください」
 ヌシはわたしの言葉を聞いてしょんぼりした。そしてうめくように言った。
「わたしは、すんでのところでカシケ夫婦に仲人を頼むところだったのだ。いや、おまえの気持を聞いておいて本当によかった」
「すみません、旦那さん・・・」
 わたしは、こんなにつらい思いをしたことはなかった。海で遭難していたほうがよほど楽なくらいだ。わたしはヌシの気をひき立てるように言った。
「それにハラルは、わたしなんか相手にしてませんよ」
 ヌシは怖い目をしてわたしをにらんだ。が、すぐにまたもとの柔和な目に戻って言った。
「そうだとも。おまえのようなよそ者に、心を寄せるはずがあるものか。だが念のために、あいつにはおまえの本当の気持をつたえておくべきだろう。わたしから言っておくよ」
 わたしは、何か大切なものを失うような気持で小さくうなずいた。
 チェトゥマルの王は多少風変わりではあったけれど、決して頑昧でもわがままでもなかった。少し時間をくれというハラルの頼みを快く聞きいれ、村へ帰る彼女とわたしたちを、船着き場までわざわざ見送りに出たほどだった。自分の作品と再会したいと願っていたチャンは、王のはからいでその望みを叶え、ずいぶんすっきりした顔をしていた。
 父親からすべてを聞かされたハラルは、結局、王のもとに嫁ぐことになった。妻を亡くしているヌシ・パンヤオは、一人ぼっちになってしまうので、住まいをチェトゥマルへと移すことになった。ヌシはわたしに、稼業のほうはもう引退して自分は隠居するから、あとはおまえが継ぐようにと言い、さらにつづけて
「どうだ、いっそのことおまえもチャン・プーも、わたしと一緒にチェトゥマルへ移ってみては。そうすればわたしもさびしい思いをしないですむ」
 と言った。
 わたしはチャンと話し合って、ヌシの提案を受けいれることにした。チェトゥマルにはルーゴもいる。何か、気分が浮き立つようなすばらしいヌシの提案だった。
 そんなわけで、ハラルのチェトゥマルへの旅だちは、ずいぶんにぎやかなものになった。ハラル親子だけでなく、異邦人の使用人と気まぐれな彫り物師が加わり、さらに黒マントの神官長までが同行することになったからだ。神官長は実はチェトゥマルの大神官の息子で、老齢の大神官のあとを継ぐべく国に帰ることになったのだ。
 カシケをはじめ、村じゅうの者が見送りに出た。カシケにしても、自分の村から王妃がでるというのはひじょうに名誉なことだった。彼は上機嫌で、しかし一方では少しさびげに、また不安そうにこう言った。
「ああ、ヌシだけでなく神官長も行ってしまうのか。ヌシ、あんたのおかげでこの村は、チェトゥマルやウルア、そして遠くはタバスコまで取引を広げることができた。あんたがいなくなっても、それは変わることはないのだろうな。それから、神官長、あなたほどの器量のあるあと継ぎというのは、もう望んでもむりであろう」
 ヌシは言った。
「大丈夫だよ、カシケ。かえってこれまでよりもよくなるさ。この村でのわたしの商いは、わたしの商売仲間がみんなひき継ぐし、それにチェトゥマルにはわたしたちがひかえている。心配はいらないさ」
 こんどは神官長が言う。
「カシケ、あなたはわたしをかいかぶっておられる。なに、わたしくらいの人材ならいくらでもおるし、こんど村にやってくる神官長は、わたしなんぞよりもずっと徳の高い僧ですぞ。安心なさい」
 素直なカシケは安心したようにうなずく。このカシケをわたしは好きだった。カシケはわたしに言った。
「思えば、おまえほど数奇な運命にもてあそばされた者はない。だが、おまえは決して不幸ではないのだ。チェトゥマルにいるあのルーゴにしてもな。ルーゴは我々の神に帰依したが、おまえはどうやら、おまえたち伝来の神をまだ捨てられずにいるようだ。おまえが隠し持っている十字架にかけてそう言うぞ。だがまあいい、神官長、この若い異教徒のことをよろしくお頼み申しますぞ」
 神官長はほほ笑んで小さくうなずく。
「それから、チャン。おまえは、おまえの生まれたところに戻るのだ。おまえの母はすでに死んだと聞く。その母親の菩提をとむらってやるがいい。どんなにひどい親でもな、死んでしまえばその罪は浄められる。だからな、その親をとむらってやれば、おまえも共に浄められるのだ」
 チャンの目にちらっと光るものが浮かんだが、彼はそれをふっきるようにすかさず言った。
「カシケ、あんたはすばらしい説教をなさる。あんたが神官長のあとをつげばいい」
 カシケは神官長の顔をうかがった。神官長は顔を真っ赤にして笑いたいのをがまんしている。カシケは神官長をつっ突いた。神官長の笑いがはじけた。カシケも腹をかかえて笑った。みなが笑いくずれた。その笑いは見送りの村民たちにも伝染し、その高らかな笑いのうずに押し流されるようにして、わたしたちは村を離れた。
 チェトゥマルへの旅の途中の、海上でのことである。わたしは右岸の絶壁の上に、エスパーニャのセビージャ(セビリア)にもおとらぬほどの壮麗な石造建造物が建っているのを見つけた。正確に言うと、また見つけたのである。船旅の途次、この海域を通過するおりにはいつでもここで、あの城塞のような建造物に出くわすのだ。わたしは神官長にたずねた。
「いつも気になっているのですが、あの立派な建物はいまでも使われているのですか?」
「いや、使われてはいない。あそこはサマ(現トゥルム)といって、一時は海上交易で栄えたところだがな。マヤパンが盛んなころはマヤパンの支配下にあった」
「マヤパン?」
「そうだ。六十年ほど前に滅びた国だ。我々の村のずっと西のほうにあった。我々の村ももちろん、マヤパンに服属していた。マヤパンは、この地方随一の強国だったのだ。そのマヤパンが滅亡したあと、この地方は各地の族長が小さな国を建ててあい争うようになり、混乱のちまたと化してしまった。そんなさなか、我々の村はずっと南にあるチェトゥマルの支配下に入ったのだ」
 この地方は、いまよりも昔のほうがずっと栄えていたということは、ヌシやその商人仲間からもよく聞かされていた。そのころの大規模な遺構が、あちこちにまだ残っているという。
 神官長は言葉をつづけた。
「これから帰るチェトゥマルの西から南にかけては、もっとすごい栄華の跡が密林のなかに埋もれている。それらの都はもう何百年も前のものだという。チェトゥマルはそれらの栄華の残り火みたいなものだ。我が民の栄光は、はるか昔にすでに燃えつきてしまっているのだ」
 絶壁の遺構にぼんやり目をやる神官長はひどくさびしげだった。

    しょの11

 ハラルの婚礼の儀式が盛大にとり行われて、彼女は晴れて王妃の座についた。それと同時に、わたしたちのチェトゥマルでの新生活もはじまった。ヌシは、王室から立派な邸宅を与えられてそこに住んだ。彼は隠居の身ではあったけれど、まだまだ経験不足のわたしを何くれとなくたすけてくれた。
 特筆すべきはチャン・プーである。この男は、彫り物では腕のいい職人だったが、商売をやらせても隅にはおけない、如才なく抜け目のない一流の商人だったのである。神はこの男に二物を与えたのだ。いや、ひょっとするとまだまだ隠れた才能があって、神は三物も四物もこの男に与えているのかもしれない。
 最初のうちは少々とまどったものの、チェトゥマル流の暮らしぶりにもだんだんとなれて、商売のほうもそこそこに順調だった。もっとも最近では、わたしなんかよりもチャンのほうが仕事に夢中で、わたしなんぞはいてもいなくてもいいようなあんばいだった。それをいいことに、商売のほうはほとんどチャンまかせにして、わたしは一人のほほんと過ごしていた。
 平穏無事な時間が流れてゆく。その時の流れのなかで、わたしはふと、憂鬱に似た気分にとらわれている自分に気づいた。理由らしきものをあげることはできる。故郷へ帰るという自分の望みは果たして叶えられるのか、はたしてそれはいつのことになるのか、その機会はもはややってはこないのではあるまいか・・・。
 これまでにも幾度となくくり返されてきた、答のないせんない自問である。そんなことで、いまさらくよくよ思い悩むものであろうか。
 思い起こせば、そもそもはサント・ドミンゴへ向かった船が遭難して、わたしはかろうじてあの海辺に流れつき、原住民の捕虜になったのだった。最初は囚われの身であったが、生贄になりそうなところをどうにかたすかって奴隷となり、さらに運が好転して、尊敬にあたいする人物の使用人になることができ、チャン・プーという得がたい友達までできた。おまけにいまでは使用人ですらなく、一人前の独立した商人である。そして仕事のほとんどは相棒のチャンにまかせっきりなのである。
 ようするに余裕ができたのだ。これは、ある意味でよくないことだった。人間は変な余裕ができると、その余裕が余計となり、その余計に見合うやらなくてもいいようなことばかりに精を出すようになる。遊惰や享楽に走ったり、酒や女におぼれたり、かと思うとわたしのようにとりとめもなく必要以上にあれこれ思い惑ったりする。わたしのもやもやの原因は、たぶんそんなところにあるのだと思う。
 わたしはあるさわやかな夕暮れどき、もとは村の神官長、いまではチェトゥマルの大神官の座にある黒マントの男のもとへ向かった。チェトゥマルに大神官は三人いるが、彼はそのうちの一人だった。
 神官たちの住まいは、町の中心の大広場に沿って建っていた。今日は何の祭礼もない日なので、大神官は居宅にいてくつろいでいた。いつもはごわごわの髪の毛も、今日はきれいに洗ってある。黒のマントもはずしている。
「おや、珍しいことがあるものだ。自ら異教徒の神域にご入来とはな」
 大神官の皮肉にも、わたしはにこりともしなかった。簡素な部屋の窓からは、高さ二十五エスタード(四十メートル)ほどもある大基壇が見え、その頂きにこの国の首座をほこる神殿が鎮座していた。わたしは何からきり出したらいいのかわからず、とほうにくれていた。
「夕食はまだなんだろう、一緒に食べようじゃないか。ちょうどはじめようとしていたところなんだ」
 そう言って、大神官はわたしにすわるよううながした。まもなく下僕の手によって料理が運ばれてきて、白い木綿の布地でおおわれたテーブルの上に並べられた。タマル、アトレ(とろ火でふやかしたトウモロコシをすりつぶして煮たてた粥)、スープ、それに食後の葉巻。庶民の食卓と変わらない。神につかえる身ともなれば、食事も簡素なのであろう。
「王家ともゆかりのある商人のあんたには、とても口には合わないだろうが、まあがまんして食べてみてくれ」
 大神官の人柄に触れてほっとし、力が抜けた。わたしたちは黙々と料理を口にはこんだ。そして食後には、葉巻に火をつけた。葉巻というのは、インディアスだけでしか採れないある植物の葉(煙草)を乾してまいたものである。これを吸うとフワッとして、くつろいだいい気分になる。香の一種として儀式にも用いられる。
 大神官が言った。
「何かお悩みのようだが」
 わたしは言った。
「いえ、悩みというほどのものではありません。何かその、もやもやして気分がすっきりしないのです」
「それは、あんただけにしかわからないような種類のものか? つまり、あんたというまれにみる数奇な運命の渦中にある者だけにしかわからないようなものなのか?」
 はたしてどうなのだろう? わたしは自信なさげに答えた。
「ええ、たぶん」
「あんたは確か暦を持っていたね」
「故郷で使っていたやつを、いまでも持っています」
「見せてくれないか」
 わたしは、いつも肌身離さず持ち歩いている革製の小さな暦をとり出して彼に渡した。
「万年暦になっていて、何年でも使用できるんですよ」
「ふむ」
 と言って、大神官はくい入るように暦を見ていた。わたしは暦の見方を彼に教えた。
「ふむ、ふむ」
 彼はじつに興味深げにわたしの説明を聞いていた。
「で、この暦は実際の季節とうまく合っているのかね」
「いえ、だめです。実際の季節とのずれが年々積み重なって、最近では暦のうえの春分が実際の春分と十日もずれてしまっています」
「十日もか!」
 わたしはうなずく。
「それはひどい、あまりにひどい」
 大神官は身も世もないといったふうに慨嘆した。
「我々の暦はな、一万年に一日のずれしか生じない」
「嘘だ。本当のはずがない」
「いや、本当だ。太陽と月それに金星の運行をな、幾世代にもわたって精密に観測しつづけて、暦の修正が必要な時期になると正しい日付に戻すのだ」
「なぜ、そこまで精密な暦が必要なのです」
「この世界はな、十三バクトゥンごとに死と再生をくり返すのだ。一バクトゥンというのは十四万四千日のことだ。だから、十三バクトゥンは百八十七万二千日となる。暦の修正もふまえると、それはだいたい五千百二十五年だ。計算によると、あと五百年もしないうちにその五千百二十五年がすぎてこの世は滅びる。この地上にあるものはすべて、洪水で押し流されてしまうのだ。だからな、その終末の日へ近づく日々を正確に数えていく必要がある。心の準備のためにな。それで正確な暦がいる。我々はだが、その終末を決して恐れてはいないのだ。それはまた、新世界誕生の産声があがるときでもあるのだからな」
 わたしは妙な符合に気づいた。ヨハネの黙示録によれば、神と悪魔の最終戦争によってこの世が滅びても、神に選ばれた十四万四千人はなんとか生き残るという。大神官の言う一バクトゥンとは十四万四千日だから、数は一緒だ。そして洪水と戦争の違いはあれ、世界がいったんは滅亡するという点でも両者は一致している。だから、大神官の言う終末論が、わたしにはそれほど突拍子なものとは思えなかった。
「それにな、暦は我々の運命も左右しているのだ。時をあらわす数字には神々が宿っていてな、その神々のおぼし召しによってその日、その月、その年の運勢が決まるのだ」
「しかし、それでは運命はもうあらかじめ決められたものとなってしまうじゃないですか」
「いや、それがそうはならんのだ。互いに矛盾対立する神性をそなえた神々が、その時々を同時に支配するのでな。どの神のどの神性の影響がいちばん強く及ぶのかは、複雑きわまる時の秘法に通じた者でなければわからない」
「そのような秘法を会得している人はいるのですか」
「いや、いまはおらんさ。我が民の栄光はなやかなりしころにはいたと聞く。はるか昔の話さ」
「あなたはどうなんです」
 大神官は、思いがけないことを聞かれたというような顔をした。
「うむ。いちおう勉強はしてるがな。錯綜した時の秘密をきわめるところまではとてもとても」
「わたしに教えてくれませんか。いえ、時の秘密を知ろうだとか、そんなおおげさなものじゃないんです。わたしもあなた方ほどではないにしても、暦にはひとかたならぬ関心をもっています。あなた方の暦のおおよそのしくみを知りたいんです」
「ふむ。心に巣くう葛藤をまぎらわそうというのであれば、心ゆくまで遊びほうけていればいいものを、またあえてわずらわしい考えごとを上積みしてなおかまけようというのか。あんたはどうやら、嵐のときに、みなが火を囲んでくつろいでいるときに、たとえ自然に彼らの仲間になれるとしても、あえてはだしで帽子もかぶらず、吹雪のなかへ出ていってしまうような男のようだな」
 わたしはぎくりとした。彼のこの言葉は、わたしの好きなカタルーニャの詩人であり、騎士であり、王室づきの鷹匠でもあったアウジアス・マルクのつくった詩そのものなのだ。

 わたしは嵐のときに
 みなが火を囲んでくつろいでいるときに
 たとえ自然に彼らの仲間になれるとしても
 あえてはだしで帽子もかぶらず、吹雪のなかへ出ていくような男なのだ

 こんな異国の詩をどうして彼は知っているのであろう。あまりに驚いて言葉を失っているわたしに、大神官が言った。
「ははは。びっくりするのもむりはない。実はな、いまの文句はまだ村にいるころにペドロから聞いたものなのだ。あいつはな、慎重で口数も少なく、喜怒哀楽を表に出すタイプではなかった。剛毅な男なのだが、愛嬌に欠け愛想がないので損をしていた。だが不思議とな、わたしには気持を開いていろいろと話をしたんだ。そんな彼がある夕方、口ずさんでいたのがいまの文句だ。わたしは、そのときの彼の目に涙があるのを見て、その文句に興味をひかれて、我々の言葉に直してもらったのだ」
 ああ、ペドロ。むくわれることない奴隷の身のままで、この地の人と世情をも知ることなく、一人孤立したまま生を閉じてしまった男。その男の心のうちを吹きあれていたであろう嵐。わたしはペドロのせつない涙を思い、自分も思わず泣きそうになった。
 そういえば、ペドロが内緒でこっそりうち明けたところによれば、彼はカタルーニャの出身なのだった。彼は、以下に述べる理由から、自分の出身地を偽ってここインディアスにやってきていたのだ。
 カタルーニャというのは、フランスと国境を接する地中海沿岸の地方で、かつては地中海を制覇して、その海上権を握るほどの勢威をふるった時期もあったのだが、いまではエスパーニャの中央部を占めるカスティーリャに押されて、かつての勢いはなくしている。そしてカスティーリャ出身の女王イサベルの遺言によって、カスティーリャ出身以外の者はインディアスの征服と経営からは完全にしめ出しをくっている。そんなわけで、カタルーニャ人は、我々カスティーリャ人に対しては並々ならぬ敵愾心をいだいている。ペドロが何かと孤立しぎみだったのも、そのへんの事情がからんでのことだったかもしれない。
「どうした?」
 という大神官の心配そうな声がして、わたしは我にかえった。彼はやさしくほほ笑んでいた。
「ぼちぼちはじめるとするかな」
 という大神官の声をかわきりに、わたしのわたしなりの暦の修学が、その日からはじまった。

    しょの12

 大神官のもとでわたしが学んだ暦法の数々をここでくどくど言うのはやめよう。ややこしいことこのうえなく、しかも完全に暦法を習得するためには、天文の知識と天体観測の技術も不可欠なのだ。でも、その複雑さと難解さのおかげで、わたしのもやもやはどうにかふっきれたのである。
 チャンは、そのことでよくわたしをからかったものだ。
「あんたは神官になるといい。商売はあんたには向いてない。あとのことは大丈夫、わしにまかせておくがいい」
 まあ、そう言われてもしょうがなかった。商売はそっちのけで、毎日のように大神官のもとを訪れては、時の秘密がどうだの、金星の満ち欠けがどうだのとやっているのだから。暦だの文字だのに通じるのは神官と一部の王族と貴族だけで、庶民にはしょせん無縁のものなのだ。
 いま文字といったが、この地で使われる文字というのはじつに風変わりで、複雑怪奇である。人面や獣面の多用された奇怪な絵柄が描いてあって、それが文字なのだという。過度の装飾がほどこされたうえ、まるで空白を恐れるかのようにぎっしり石に彫り刻まれていたり、陶器に描かれていたり、コデックス(絵文書)に書き込まれている。

マヤ文字

コデックスというのは、木の皮をたたいて伸ばしたものの両面に漆喰を塗ったもので、文字はもとよりひじょうに細密な絵や意匠を、ふんだんに彩色をほどこして記すことができる。ふだんは屏風のように折りたたんでおく。このコデックスは、いにしえの賢者や知者から受け継いできた天文や暦法などに関する貴重な知識の宝庫である。日食と月食の予知についての計算法を記したものまである。
 これらの文字が、その面目をもっともほどこすのは石碑においてである。王の誕生や結婚、即位、死、戦勝記念などの歴史的事実とその日付が、高さ五エスタード(八メートル)もあるような巨大な石碑に刻まれる。チェトゥマルの王とハラルが結婚した事実とその日付の刻まれた石碑もすでに建立されている。

若い王の即位を記念して761年につくられた石碑(ピエドラス・ネグラスより出土)
創元社刊「古代マヤ文明」マイケル・D.コウ著より引用


 チェトゥマルの西から南にかけての密林のなかには、何百年も前に栄華を誇った都市の遺構がいくつも残っているが、往時は暦の命ずるままに、五年、十年、あるいは二十年と経るたびに、石碑や神殿を新しく建てていったのだという。ときには、暦の修正を記念するために、新しく神殿をつくるということもあったらしい。これらの石造都市はだから、そのまま石でつくられた暦だともいえる。都市はまさに時間にとりつかれていたのだ。
 だが、これらの諸都市は奇妙なことに、その支配者自らの意志によって棄てられてしまったという。師匠の大神官はこう言った。
「生き物に寿命があるように、この世にあるすべてのものには寿命がある。この世そのものですら、その運命をまぬかれることはできないのだ。棄てられた都は、ある逃れようのない理由によってその寿命が尽き果ててしまったのだ。都の支配者は姑息な延命は望まなかった。そんなことをしても危機を先伸ばしにするだけで、かえってより深刻な混乱をもよおしてしまい、せっかくの再生の芽をつみとることにもなってしまうからだ。彼らはすべてのものには寿命があり、再生があるという真理を受けいれたのだ」
 この地では、首をつって自殺した者は女神イシュタブの保護のもとで、天国の安息を得られるという信仰があるが、それも、おのれの寿命をいさぎよくみきった者は祝福されるという暗黙の了解があるからではあるまいか。

自殺の女神イシュタブ


なぜ首つりなのかといえば、その他の自殺の手段、たとえば水に飛び込むとか、高いところから飛びおりるとか、刃物を使うだとかは、生贄を捧げる聖なる行為、たとえば聖なる泉に生贄を投げ込んだり、刃物で生贄の心臓をとり出したりする行為と重なってしまうので、具合がわるいのであろう。
 さて、このように、時間だとか、文字だとか、天文のことばかりにうつつを抜かしているうちに、さすがにわたしもいくらか疲れをおぼえてきた。そんなやさきに、ヌシとチャンとこのわたしに王宮から球戯観戦の招待があった。王とハラルのはからいであろう。渡りに船と、わたしたち三人は、王宮から指定された日時に球戯場へ出かけた。
 球戯場は町の中心の大広場にあった。大広場には、大神殿を筆頭にさまざまな規模の神殿が建ちならんでいるが、球戯場は、それら神殿群の付帯施設の一つとして広場の一角を占めていた。
 球戯は、石で組まれた高さ五エスタード(八メートル)ばかりの二列の長い基壇にはさまれた東西に細長い空間で行われる。

メキシコのチチェンイッツアにある最大規模の球戯場跡(サイト「マヤ遺跡探訪」より引用)

その細長い球戯場の両端には神殿があり、長い基壇の中央部の壁上には二階建ての石造建物が鎮座して球戯場を見おろしていたが、これは王族と貴族らの専用観覧席となっていた。わたしたちは女官に案内されてこの専用観覧席の一階に座を占めた。二階は一階よりも小づくりだがずっと贅沢で、王一族と貴族らの御用達になっている。そこにはハラルもいるはずだった。
 今日の球戯は、青色リボンの戦士団と、赤色リボンの戦士団とのあいだで争われるのだという。七日後にやってくるエカブの使者にたいする対応を決するための試合なのだ。青色リボンの戦士団が勝てば諾を、赤色リボンの戦士団が勝てば否を使者につたえるのだという。否をつたえた場合、エカブとのあいだで戦(いくさ)が起こる可能性もあるらしい。エカブというのはチェトゥマルの北方にある国で、五年前に、わたしたちエスパーニャ人を捕まえたことのあるあの太ったカシケのいた海辺の村は、この国の一角を治めるさる首長の支配下にあった。
 そんなわけで、この地の球戯というのは単なる見せ物ではなく、神託を得るためのものであったり、都市間の代理戦争であったり、豊饒を祈願する儀式であったりした。球戯を見まもるのも、王族と一部の貴族、特権者のみにかぎられていた。
 球戯場というのは、前述したごとく二列の長い基壇にはさまれたやけに細長い空間なのだが、その東西へ伸びた空間の中央部分が試合場となっていた。そして、その試合場を東西にはさんで試合に出場する戦士たちと楽隊が対峙していた。楽器はすでに奏でられていて、押さえた楽のねが場内に静かに流れている。
 やがて、細長い球戯場の両端にある神殿のそれぞれから審判役の神官が一人ずつ出てきた。よく見ると、その一人は、わたしに暦を教えてくれているあの黒マントの大神官だった。もう一人の審判は若い男だった。二人の審判はそれぞれ、そこからはじまっている長い基壇の起点に刻まれた階段をのぼって壇上に立った。二列の基壇のそれぞれの端に佇立する彼らは、細長い球戯場をはすかいにはさんで互いに相向き合い、やがてしずしずと中央に向かって壇上を歩みはじめた。ボールは黒マントの大神官が持っている。中央に達すると、彼はボールを大事そうに両の手のひらでつつみ込み、それを高々とさし上げた。彼が主審であることがわかった。
 緊迫した一瞬ののち、彼はそのボールを試合場に投げ入れた。試合が始まったのだ。待ちかまえていた楽隊の奏鳴が、ここぞとばかりに炸裂した。
 ボールをめがけて両軍の戦士たちが殺到した。彼らは、ひじ、前腕部、腰、腹、ひざに革製の防具をつけている。手足を使うことは禁じられているので、手足以外の部位、腕、ひじ、腰、ひざなどでボールを扱わねばならない。それらの部位を使って味方からのボールを受け、対手(あいて)にぶつける。対手へ当てたボールが地に落ちれば一点が与えられ、対手がそのボールをうまく受け止めてしまうと点にはならない。また対手側の首将に当てて、その首将が受けそこなえば三点が入る。首将だけは手を使ってボールを投げても受けてもよいが、ボールを持ったまま歩いたり走ったりすることは禁じられている。また、対手にボールをぶつけることもできない。彼がボールを受けたり、地に落ちたボールをひろったときには、その位置から味方へ投げるか、基壇の壁面から垂直に突き出たマーカー(石の輪)めがけてボールを投げる。もちろん対手側のマーカーにである。マーカーは二列の基壇それぞれの中央部にとりつけられ、一方が青色リボン側、もう一方が赤色リボン側のマーカーである。うまく対手側マーカーの輪を通れば三点が与えられる。マーカーの地上からの高さは四エスタードぐらい(六メートルちょっと)であろうか。そのマーカーの真上の壁上に審判がいる。青色リボン側マーカーの上には黒マントの大神官が、赤色リボン側マーカーの上には若い審判がいた。
 ボールは、ひじょうに固い木の実の芯をツルクサでぐるぐるまきにし、その上をゴムで厚くおおったもので、強い弾力をもっている。大きさは手のひらにのるカボチャほどだ。ちなみに、ゴムの原料となる樹液はこの地の原産で、この当時にはまだインディアス以外の地では知られていない。
 主審に投げ入れられたボールを両軍いり乱れて追いかける。足の早い赤色リボン側の首将――彼のつけている防具は赤色で、青色リボン側の首将のそれは青である。他の戦士たちはみな白色の防具をつけている――が、頭一つ抜け出してボールを手で拾い、味方の戦士に投げた。
 ボールを胸で受けた赤色リボンの戦士は、それを前腕でかかえ込んで対手側の首将を追った。首将に当てれば三点が奪えるからだ。青色リボンの戦士らは、自軍の首将の前にたちふさがって対手の突進をはばみ、別の青色リボン戦士数人は、ボールをかかえた赤色リボンの戦士に襲いかかる。ボールを奪われてはかなわないので、ボールをかかえた赤色リボンの戦士は、手近の味方にボールをぽんと放った。その浮き玉をもらった赤色リボンの戦士は、前腕で思いきりボールをたたいた。

ボールを打とうとする戦士像(ニュートンムック「マヤ・アステカ・インカ文明」より引用)。

そのボールは青色リボンの戦士に当たったが、青色リボンの戦士はかろうじてそれを胸と前腕とで抱きとめ、ぽんと浮き玉をあげて逆に前腕でうち返した。そのボールは赤色リボンの戦士に当たり、地に落ちて転々ところがった。青色リボン側の壁上にいる黒マントの主審の手がさっと上がり、青色リボン側に待望の一点が入った。
 地に落ちたボールをめがけて両軍の首将が突進した。地に落ちたボールをひろえるのは、手が使える彼らだけである。足の早い赤色リボン側の首将がひと足さきにボールに達して、たまたまそこが対手側の壁ぎわのいい位置だったので、壁のマーカーめがけてボールを放った。ボールはマーカーの輪をそれ、壁をかすって落ちた。地にはずむそのボールを、走りよった青色リボン側の首将がひろって味方に投げた。
 再びボールの激しい奪い合いがはじまった。点をとったりとられたりの熾烈な争いが小一時間ばかりつづいた。神殿のコパルの香が燃えつきるまで、この闘いはつづけられるのだ。両軍ともいまや必死で、試合は肉弾戦と見まごうような様相をおびはじめた。血を流す者も出はじめたが、よほどの大怪我でもないかぎり戦士の交替は認められない。これは遊戯ではないのだ。本当の戦(いくさ)のつもりで戦士たちは戦っているのだ。試合の激しさはいっそう増していく。なぐり合い、けり合いもある。止める者は誰もいない。
 足の速い赤色リボン側の首将がいま、点をとるには絶好の位置にいた。彼は、味方が腰ではじいたちょうど頃合いのボールをもらって、対手側のマーカーめがけて放った。ボールは吸い込まれるように青色リボン側マーカーの輪をくぐりぬけた。マーカー壁上にいる黒マントの主審がそれを見とどけて合図を送り、赤色リボン側の壁上にいる若い審判の手が高々と上がった。赤色リボン側はこれでいっきょに三点を加えた。
 その後も赤色リボン側の優勢のうちに試合は進行した。主審の指示で一度の休憩ははさんだものの、戦士たちの疲労は増す一方で、それにつれ得点は入りやすくなってくる。気がつくと、五点の差をつけて、赤色リボン側が勝っている状況となっていた。
 青色リボン側の首将が胸をたたいて何ごとか叫んだ。これまで気づかなかったが、その声を聞いてその男が誰なのかやっとわかった。それはルーゴだった。そうだ、彼は戦士なのだ。彼が出場していたって何の不思議もない。ルーゴが栄えある首将として、また黒マントの大神官が畏敬すべき主審として出場している・・・。そこには、王夫妻のわたしたちに対する心づかいが見てとれた。
 ルーゴはなおも叫んでいた。彼は猛りくるっていた。エスパーニャの闘牛場の牛みたいだった。彼は赤色リボンの戦士をけ散らして対手側マーカーに向かい突進した。赤色リボン戦士のボールの一撃をかろうじてかわすと(これに当たって受けそこねると三点を失ってしまう)、そのボールを拾って、えいやとばかり対手側の壁めがけて投げつけた。強くはね返ったそのボールを、近くにいた味方が壁まぢかまで迫っているルーゴに前腕でうち返した。ルーゴはそれを受けとめると、ねらいすませた力強い投擲を行った。ルーゴの強い意志をのせてボールは宙を飛んでいき、赤色リボン側のマーカーの輪に見事に吸い込まれた。ルーゴの美しいゴールだった。それを見とどけた若い審判の合図を受けて黒マントの主審が手をたたいてルーゴを祝福し、手を高々と上げて青色リボン側の得点追加を告げた。
 青色リボン側に勢いがついた。そして彼らは思いきった作戦にでた。彼らの一人がボールを両腕に確保すると、ほかの者たちはその男とルーゴをとり囲み、一団となって対手側マーカーに突進したのだ。一団が壁ぎわまで迫ると、ボールを両腕にかかえた男はルーゴにそれをぽんとわたし、ルーゴはそれをもらってマーカーめがけて放った。それは惜しくも輪をかすめて、赤色リボン戦士の前腕で受けとめられた。
 と、ここで、青色リボン側の戦士はいっせいにばらけて赤色リボン側戦士を追い、とびかかって脚に組みついた。ルーゴは全速力で自軍マーカーに向かってひきあげる。おりしもそこでは、対手側の首将が、味方から返ったボールを余裕たっぷりにマーカーめがけて放ろうとしているところだった。そんな対手側首将にかろうじて追いついたルーゴは、対手側首将に組みついてシュートを妨害した。ボールは輪をそれて壁をかすめて落ち、地上をてんてんと転がった。ルーゴがそのボールを奪い、思いっきり対手側の壁へ向かって投げつけた。
 二人の首将は、はね返ってくるボールを追った。ほかの戦士たちは組んずほぐれつのまっただなかにあるため、いま自由に体が動かせるのはこの二人だけだ。ルーゴがいち早く壁からはね返ってきたボールを奪い、(ボールを持ったまま走ることは禁じられているので)さらにもう一度壁に向かってこんどはゆるく投げつけた。そのはね返ったボールを敵の脚に組みついている青色リボンの一人が、不自由な姿勢のままひざでけり返した。ボールは壁ぎわまで迫っていたルーゴに渡り、彼はマーカーをめがけてボールを放った。ボールは、たよりなげな軌跡を宙に描きながらもマーカーの輪をくぐり抜けた。ルーゴの得意技が再び決まった一瞬だった。
 若い審判からの合図を見定めた黒マントの主審がおごそかに手を上げ、ある神の名を高々と叫んで試合の終了を告げた。長い戦いはついに終わった。一二対十一の僅差ながら青色リボン側の勝利となり、この結果、エカブとの戦(いくさ)は回避されることとなった。

        
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    しょの1

 わたしはクリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)の言葉を思いだしていた。二度目に彼に会ったとき、彼はこう言ったのだ。
「はて、約束したというからには確かに約束したんだろう。なんせ隠居同然の身の上だ、もの忘れがひどくてな。だが、そんなにも前に約束したのなら、なぜそのときにすぐに来ん。すぐに来ていれば、そうはやすやすと失念せはしなかったものを。はあ、迷ったな。それとも臆したか。そう言ってわるければおまえさん、多少優柔不断なところがあるな。迷いやひるみは人間なんだからむりからぬところもあるが、優柔不断はいかん。優柔不断ではこの時代を生き抜いてゆけんぞ」
 わたしはうなだれて彼の声を聞いていた。半年ほど前にわたしは、いまや落ちちぶれて尾羽うち枯らしたコロンが居酒屋で酔いつぶれているのを見つけ、思いきって彼に「この自分をどうかインディアス(新大陸)へ渡るコンキスタドーレス(征服者)の一員として通商院に推薦してほしい、それがむずかしいようなら、船の下働きでも何でもいいからインディアスに行かせてほしい・・・」と頼み込んだのだ。コロンの返事はこうだった。


インディアス通商院(現インディアス古文書館)。左の建物はセビージャ大聖堂。

「ふん、そんな頼みはもう聞きあきておるわい。わしの推挙で、もうずいぶんのコンキスタドーレスや、そのとりまき連中がかの地に渡った。しかし、やつらのほとんどは、行ったきり何の音沙汰もなしだ。成功したやつほど何も言ってこん。わしもむかっ腹がたつから、最近ではただでは推挙しないことにしておる。おまえさん、百ペソの金が払えるかな?」
 貧乏郷士の次男坊に百ペソなんて大金が都合つくわけがなかった。わたしは彼の顔をにらみつけた。
「おわっ、怖い顔をしよる。いやいや、金のことは冗談、冗談だよ。おまえさんに何か特技の一つでもあれば、喜んでコンキスタドールにしてやるさ。いつでもわしのところに訪ねてくるがよい」
 しかし、わたしはすぐにはコロンのところへは行かなかった。わたしには特技と呼べるものは何もなかったし、両親は猛反対だったし、また、いざインディアスに行けるとなると急に怖気づいてしまったのだ。ああだこうだとさんざん迷ったすえ、やっと半年もたってから、バリャドリードにある彼の住まいを訪れたわけだった。彼がわたしとの約束を忘れるのもむりはなかった。
「おまえさんはたぶん頭のよい人間なんだろう。だが、中途半端な教養くらい征服事業にじゃまっけなものはない。ならず者のような向こう見ずさか、金貸しのような小ずるさこそ肝要なんだ。おまえさんには、そのどちらも欠けておるようだ。悪いことは言わん、冒険はあきらめて、何か地道な稼業につくがいい」
 こう言われて、結局のところ、わたしはコロンの前をすごすごとたち去った。それから三ヶ月がたった五月のある日、おりしもクリスト(キリスト)昇天祭の日に、そのコロンは死んでしまった。まだ五十五歳くらいだったというが、髪は真っ白に染まり、心痛とさまざまな労苦、そしてかつての栄光から転落したというおのが身に対する悲しみからか、その肉体はぼろぼろに疲れ果てていたという。
 あれから五年後のいま、わたしはこうして木の葉のような小舟に身をあずけて、インディアスの海をただよっている。同船しているのは遭難した船の船長と三名の乗組員、それと三人の船客だった。船客三人のうちの一人がわたしである。我々はエスパニョーラ島(現ハイチ/ドミニカ)のサント・ドミンゴへと向けティエラ・フィルメ(現パナマ)のダリエンを出航したのだが、途中、ハマイカ(ジャマイカ)の沖で船が座礁して身動きがとれなくなり、やむなく船にそなえつけの小舟をくりだして、それに乗り移ったというわけだった。
 わたしは、インディアスに来てしまったことをひどく後悔したが、もちろんあとの祭りだった。両親に死なれ、性悪女にはだまされ、二十二歳にもなって正業すら見い出せないでいたわたしは、今年のはじめ、やけくそになってここインディアスにやってきたのである。わたしのような優柔不断な男は、やけくそにでもならなければコンキスタドールにはなれない。またやけくそになってでも自分の居場所ぐらいは見つけねばならなかった。

16世紀のセビーリャ港(主人公はここを出航してインディアスへ向かった)。Wikipediaより引用

 小舟は西へ西へと流されていた。これまでに七人が飢死し、半数の七人だけがこうして生き残っていた。
 燃える太陽の容赦ない灼熱にさらされて波間をただようこと七日間、もはや生をあきらめかけていたわたしたちの耳に、水夫ルーゴの大声がつき刺さった。
「陸だ! ありゃあ陸だ、確かに陸だ!」
 ルーゴが指さす方角に、確かに陸のような影が見えた。人間とは不思議なもので、エネルギーのかけらすら残っていないこんな状況でも、一縷(いちる)の希望の灯火がともるやいなや、櫂を動かすぐらいの力は湧いてくる。我々は必死になって陸をめざして小舟を漕いだ。
 たどり着いたそこは白く美しい砂浜だった。そして、人がいた。顔に入墨をほどこしたインディオの男たちが、わたしたちを待ちうけていた。腰布一つをまとっただけの彼らは、口々に我々の知らない言葉を発していたが、頭株らしき男のひと声を合図に、我々は全員縄にかけられてしまった。
 わたしたちは男たちにひったてられ、ジャングルをきり開いてつくられた彼らの村に連れていかれた。住民たちの好奇の目が我々を出迎えた。
 わたしたち一行は村の広場に出た。そこには、かなり大きな石造の建造物があった。どうやら住民らの神を祀る神殿を頂(いただき)にいただく大きな基壇らしかった。切り石を積み上げて建造されたその基壇の前に、白地の木綿の長衣を身にまとった、異様な風体の男たちが五人ほど立っていた。ごわごわの髪は伸びほうだいで、ほぐすこともできないくらいにからみあっていた。あとでわかったことだが、彼らはこの村の神官たちで、髪がごわごわにからみあっているのは、血がべっとりこびりついているせいだった。
 その神官たちの一人が、かんばしった声で何かを叫んだ。すると、我々をとり囲む住民たちがいっせいに手のひらを口にあて、それをくり返したたいて、フクロウの鳴くようなかん高い断続した雄たけびの音を発した。ぞっとする音色だった。
 音が鳴りやむと、村の有力者らしき男が三人、神官たちの前に進み出た。三人は額(ひたい)を寄せ合って何やら話し合いをはじめた。これもあとから知ったことだが、彼らは我々捕虜を、自分たち三人のあいだでいかに分け合うかを相談していたのである。
 話がまとまると、三人の有力者は、それぞれ自分の分け前の捕虜と従者をひき連れて自分の住まいへと向かった。わたしと水夫のルーゴ、それに船長のメンドーサの三名を従えた有力者は、他の有力者がそれぞれ二名の捕虜しか与えられなかったところからみて、この村いちばんの権力者、すなわちカシケ(首長)なのであろう。彼はひどく太っていた。
 カシケの家は、広場に面した、ひときわ大きな屋根をもつ宏壮な館だった。大勢の使用人が我々一行を出迎えた。わたしたち捕虜三人は広い中庭へ連れていかれ、片隅に建っている頑丈そうな丸太小屋に放り込まれた。
 わたしたちは、海で飢え死にするよりはましだとはいうものの、先ゆきがまったく見えないという新しい恐怖におかされていた。
 そんなわたしたち捕虜に対するここでの扱いは実に予想外のものだった。食事が異様なほどに与えられたのである。でも、それが単なる好意から出たものでないことは、我々の身に自由が与えられなかったことでもわかる。
 一週間ほどして、屈強な男が二人やってきて船長のメンドーサを連行していった。彼は翌日になっても、翌々日になっても帰ってこなかった。水夫のルーゴが小さく、しかし断固とした口調でつぶやいた。
「逃げよう。逃げないと殺される」
 わたしはうなずいた。血でべっとり染まった長い髪の神官たちの凄惨な残影が、わたしにそう決意させた。
 その夜、わたしたちは小屋を脱け出した。手足をしばってあった縄は、そんなに苦労しなくても二人の歯でくいちぎることができたし、丸太壁の下の固く突きかためた地面を掘って外にはい出すこともどうにかできた。こんなことがやれたのも、見張り番がいなかったからだ。なぜか、ここの住民たちはどこか間が抜けていた。
 夜陰にまぎれてわたしたちは館の外に出た。住民たちはすでに深い眠りについている。彼らは決して宵っぱりではなかった。日の出と共に起きだし、日の入りと共に床につくのだ。
 わたしたちの眼前には、海辺で捕まったあと、最初に連れてこられた広場があった。切り石を積み上げた基壇上の神殿からはうす明るい灯りがほんのりもれている。
 広場はしんとして誰の姿も見えなかった。村を出るにはこの広場を通り抜けねばならなかった。わたしたちは、神殿からもれる灯りをさけながら基壇の前を通り過ぎようとした。しかし、そのときのわたしたちは、この脱出行があまりにもたやすく進行しているせいで少し大胆になっていた。わたしはルーゴに言った。
「神殿のなかをちょっとのぞいてみないか」
 何か、そうしなければ気のすまないようなある予感があった。ルーゴとてもそれは同じだったらしく、こっくりうなずいた。
 わたしたちは、神殿の内部からは死角になりそうなところを選んで、基壇に刻まれた石段をのぼった。基壇上に出ると、そこには血まみれの石の台が置かれており、あたりには血しぶきが飛び散っていた。わたしは思わず目をそむけた。やっとの思いで気をしずめると、わたしは香の匂いのたちこめる神殿の内部をおずおずうかがった。
 祭壇があった。壇上には土製の神像がたくさん置かれている。悪魔のような顔のもの、女の顔のようなもの、のっぺらぼうで背丈の高いもの、蛇のようなものなど、醜悪な形相のものばかりだった。そして、それらの神像には血が塗りつけられていた。周囲の壁面と床にも、血が一面にこびりついていた。
 祭壇の前には供え物を置く台があった。その台には真新しい心臓が三つ供えられていた。そのうちの一つは船長メンドーサのものかもしれない。いや、きっとそうだ。
 恐ろしい夢のなかで、ある得体のしれないものから逃げなければならないのに、体がすくんでしまってまったく身動きがとれないという情けない経験は幾たびかしたことがあるが、それが現実となったのがいまの状態だった。ひき返さねばと足を踏み出そうとするのだが、気ばかりがあせって足は動かない。ルーゴが手をひっぱってくれなかったら、わたしはそこに釘づけになったままだったろう。
 やっとの思いで石段を降りたわたしたちは、無人の広場を走り抜けた。そして、やっとぽつんぽつんとまばらに散るようになった民家をあとにして村の外へ出た。海岸へ向かったが、いつ来るともしれぬエスパーニャ(スペイン)船を待つには、海岸はいかにも不向きであることに、途中わたしは気づいた。海岸でうろうろしていれば、じきに原住民のインディオに見つかってしまうであろう。それよりも、村を迂回してジャングルに身をひそめるほうが賢明ではないかと、わたしはルーゴに言った。ルーゴはじっとわたしの目を見つめていたが、にやっと笑って小さくうなずいた。わたしたちはきびすを返し、漆黒のジャングルに向かった。

     しょの2

 ジャングルにもぐり込んですぐに気づいたのが、樹々の丈の低さと幹のか細さだった。痩せたジャングルなのである。その樹々のあいだをすり抜けるようにして、わたしたちは奥へ進んだ。おびただしい数の蚊が襲いかかってくる。この地に漂着してからというもの、わたしたちはこの蚊に悩まされどおしだった。おまけに空気はむし暑く、じとじとと五体にまつわりついてくる。
 果たしてどのあたりまで行けばいいのか、我々には皆目見当もつかなかった。二人ともはだしだったから、毒蛇にでも噛まれればひとたまりもない。闇に聞こえる物音といっては、二人のたてる荒い息づかいの音だけだった。汗みずくになってしゃにむに進んだ。いまは進むことしか、考えることも、なすこともない。
 前に落ちそうな低い姿勢でおぼつかない足をくり出し、前方をゆくルーゴのたくましい尻に思わず頭をぶつけてしまったとき、いきなり鋭い鳴き声がして、背後の茂みが揺れた。ぎょっとしてふり向いたが何者の姿も見えない。ルーゴが言った。
「猿だろう」
 わたしはほっと安堵のため息をもらした。ルーゴが闇のなかで白い歯を見せて笑っている。と、何とこんどは大きな人影が、月明かりを背にぬっと現れた。思わずわたしはルーゴの腕にとりすがった。人影が言った。
「おい、そこにいるのはルーゴじゃないか」
 それはまさしくエスパーニャ語だった。
「そういうおまえは、航海士のペドロじゃないのか?」
「そうだ、ペドロだよ。おまえたち無事だったんだな」
「ああ、いま脱け出てきたばっかりだ。おまえはいつ逃げ出したんだ?」
「ついさっきさ。一緒に捕まっていた船客が昨日、連中に連れだされたっきり戻ってこないんでな、こいつはやばいと思って脱け出したんだ。幸い足の縄がゆるんでたんでな、何とか逃げ出すことができた」
 わたしはペドロにたずねた。
「途中で神殿のなかをのぞかなかったか?」
「いや、そんな余裕はなかったさ」
 わたしは言った。
「我々と一緒だった船長は生贄にされて、五体ばらばらにされてしまったらしい。祭壇に供えられていた心臓は三つだったから、あんたと一緒だった船客も、それからほかの捕虜の一人も、もうこの世にはないだろう」
 ペドロの目が闇に光った。
「脱走して正解だったというわけだな」
 わたしとルーゴがうなずいた。ペドロが言った。
「さてと、これからどうするんだ?」
 それはこちらが聞きたいことだった。三人とも急におし黙ってしまい、にわかに気がゆるんだせいで地べたにへなへなとへたり込んでしまった。夜が明ければ、わたしたちの脱走に気づいた村の住民たちがあとを追ってくるだろう。見つからないようにするには、どこかに身を隠すか、もっとうんと遠くまで足を伸ばさなければならない。身を隠すにしても、こんなジャングルにいつまでも長居できるものではない。わたしたちは奥へ向かって歩きつづけることにした。
 夜が明けてきた。一睡もしていないのでひどく眠かった。それでもわたしたちは歩きつづけた。しばらく行くと、地べたに露出した大きな岩の塊(かたまり)があった。一面がくずれていて、その崩落した岩の堆積の背後には、人間の三人くらいはもぐりこめそうなすき間があった。わたしたちは立っているのもやっとのありさまだったから、そのすき間に身をひそめることにした。
 どれくらいの時がたったのだろうか。わたしはふいに人の声で目がさめた。ルーゴとペドロはすでに目をさましていて、蒼い顔をしていた。わたしが声をかけようとすると、二人はそれを目で制した。また外で人の声がした。インディオたちがこの岩をとり囲んでいるらしい。とうとう追っ手に見つかってしまったのだろうか。
 インディオたちは口々に何かをわめいている。わたしたちは、なすすべもなく無言でうずくまっていた。そのうちに、インディオの一人がしびれをきらして押し入ってきた。槍を突きつけてしきりに何ごとか叫んでいる。もちろん、何を言ってるのか皆目わからない。男は、いちばん端にいるわたしの腕をひっつかんでひきずり出そうとした。わたしは抵抗することも忘れてなされるままになっていた。ルーゴもペドロも同様で、結局、わたしたち三人は全員外にひっぱり出されてしまった。
 男たち十人ばかりがどっと押し寄せてきて、我々をとり囲んだ。わたしはてっきり追っ手に捕まったのだろうと思っていたが、男たちをようく観察してみると、顔と上半身に彫られた入墨の模様や、後頭部にさした羽根の色などが、わたしたちを捕虜にしていた村民のそれとはいくらか異なっているのに気づいた。言葉の抑揚も微妙にちがう。
 男たちはわたしたちを縛ろうともせず、一緒についてくるよう身ぶりでうながした。この態度を見て、この男たちが追っ手ではないことを確信した。追っ手であれば、こんな悠長な扱いを受けるはずがなかった。別の部族の者たちに相違なかった。わたしは幾分ほっとした。
 ジャングルの茂みを小一時間も進んだ頃だろうか、いきなり眼前が開けて集落が姿を現した。わたしたちが捕虜となっていた村よりも大きな集落だった。大勢の住民たちの好奇の視線にさらされながら村に入るという二度目の体験をして、我々は集落の中央にある広場に連れていかれた。
 広場には石造の神殿が二つ建ち並んでいた。大きいほうの神殿の前では、色鮮やかな柄(がら)の腰布とマントをまとった身分の高そうな男たちが我々を待ち構えていた。彼らの頭上にひるがえる極彩色の羽根飾りが、朝日に燦々と照り映えている。広場のまわりは、続々とつめかけてくる村の住民らでびっしり埋めつくされていた。
 わたしたちは、ヒスイと貝殻と獣の牙でできた首飾りと、ひときわ大きな羽根飾りとによって、他の者らとの身分の違いをきわだたせている初老の男の前にひき出された。この村のカシケなのであろう。彼はしきりに何かの手真似をしてみせた。わたしたちは必死でその意味を探ろうとした。手や足をしばる真似が見てとれたので、わたしは、そしてルーゴもとっさにカシケに向かってうなずいた。我々が別の村に囚われていたことを言っているのだろうと思ったからだ。カシケは相好をくずして大きくうなずいた。ここの原住民と我々とのあいだに、最初の意思疎通が成立した一瞬だった。
 彼はものを食べる手真似をした。わたしたちはなりふりかまわずこっくりした。食べ物はともかく、ひどく喉がかわいていたのだ。カシケは従者たちに何ごとか命じた。従者数人が、広場に面した大きな館に駆け込んでいった。
 カシケはこんどはぷりぷり怒りだした。その怒りが、わたしたちに向けられているのではないことはすぐにわかった。その怒りは、最初にわたしたちを捕らえて監禁していた村民に向けられているのだ。彼の手真似でそれが理解できた。どうやら、あの村とこの村とは敵対関係にあり、このカシケは敵の村が我々を捕虜にしていたのを知っているのだ。
 これはよい兆候だぞとわたしは思った。彼のいだいている敵対心をあおってやれば、その分だけわたしたちに対する彼の心証はよくなるであろう。ルーゴはいち早くそれを察したらしく、過剰な身ぶりでかの村の太ったカシケを演じてみせ(でぶを演じるのはとてもたやすいのだ)、次いでエスパーニャ人のよくやる愚か者のしぐさをした。それはカシケにも通じたらしく、彼は腹をかかえて笑った。
 カシケはルーゴの身ぶりを真似てみせた。すると、カシケにつき従っているこの村の有力者と従者たちがくすくす笑いだし、つづいて広場をとり囲む群集もどっと笑いくずれた。張りつめていた気配が一気にゆるんだ。口笛とほら貝のねが鳴り響いた。
 と、背後の神殿から神官たちが姿を現した。彼らの風体は、わたしたちがこれまで捕虜にされていた村の神官たちのいでたちとさして変わらなかった。ただ、黒色のマントをまとった者が一人いて、その男がどうやら神官らのうちではいちばん位が上であるらしかった。神官たちの伸びほうだいの髪はごわごわしていた。血がこびりついているのに違いない。わたしの気持ちはとたんになえてしまった。生贄にされてしまった仲間の血と心臓の凄惨な残像が、ありありとよみがえった。
 そこへ、さきほどカシケに命じられて広場に面した館に飛び込んでいった従者たちが、十人ばかりの召使をひき連れて戻ってきた。召使たちは手に手に、トウモロコシを蒸した丸いパンや果物、野菜、獣の干し肉、飲み物などをたずさえていた。わたしたちは喉がからからだったので、早く飲み物がほしかった。
 召使たちは、持参してきた食べ物と飲み物をわたしたちの前に並べた。カシケがそれらを指さし、食べる手真似をしてみせた。わたしたちはちょっとのあいだ躊躇していたが、ルーゴがとうとうがまんしきれなくなって飲み物の入った壺をひっつかみ、口へもっていってごくごく飲みはじめた。わたしはカシケの顔をぬすみ見た。彼はしごく満足した顔つきをしていた。これなら大丈夫と、わたしもペドロも飲み物に手を出してごくごく飲んだ。それは水ではなく、トウモロコシの香りのする飲料だった。ひんやりしてかすかに甘味と酸味があり、ほのかに辛さもただよっていた。最初に捕えられた村でも口にしたものだったが、きわめて美味で、その清涼感が五体の隅々にまでしみ通った。
 ルーゴはこんどは干し肉にむしゃぶりついた。何の動物のどこの肉かもわからないものを、よくもそう簡単に口にできるもんだとわたしは感心した。この男は女王陛下のお膝元ではただのしがない下賎の民だが、ジャングルや砂漠にあれば、エスパーニャのどんな貴族や金持ちたちよりも、うまくたち回れるタイプの人間なのかもしれない。もっとも、食べ物に対する警戒心は、最初に捕えられていた村で過分の食事を与えられ、それをおっかなびっくりしつつも口にしていたせいで、かなり薄らいではいた。
 ルーゴはむしゃむしゃと食らい、ペドロはおずおずと手をだし、わたしは精いっぱい行儀よく食べた。どの食べ物もうまく、これでヘレス(シェリー酒)でもあれば、そして虜囚の身でさえなければ、歌い出したくなるようなけっこうな気分でいられたことだろう。
 だが、そんな甘ったるい夢想はたちまちけし飛んだ。わたしたちが十分に腹ごしらえをしたと見るや、カシケは、それまでとはうって変わったきびしい表情になり、有力者の一人を呼び寄せて何ごとかを命じた。ジャガーの頭のかぶり物を頭上にいただいたその有力者は、手にした槍を大きく振り回した。すると、神殿の背後から武器を構えた屈強な男たちが小走りで現れ、わたしたちをとり囲んだ。

     しょの3

 カシケと有力者たちが、何ごとかぼそぼそと相談しはじめた。おそらく、我々捕虜を彼らのあいだでいかに分配するかを話し合っているのであろう。相談はあっさりまとまったらしく、我々三人はそれぞれの所有者の屋敷に連れていかれた。これでわたしたち三人はばらばらにされてしまった。
 わたしが連れていかれたのは、広場の左端に位置するかなり大きな館だった。一人ぼっちなのですごく心細い。大勢の使用人の視線にさらされながら、母屋とは別棟の粗末だが頑丈そうな木造建物に連れていかれた。
 男が二人、出迎えた。その一人は顔が不釣り合いにでかかった。建物の内部はがらんとした大部屋で、板敷きの床に怪我人と病人とおぼしい者が数名いるだけだった。
 顔の大きな男がわたしの体をあらためた。男の手つきは決して、ぞんざいなものではなかった。わたしは多少ほっとした。男は部屋の一隅を指さして、わたしにそこへ行くよう手ぶりでしめした。わたしは彼の指示に従って板敷きの床にあがり、壁ぎわへ行って、重いものを放りだすようにして五体を床に投げ出した。もうどうにでもなれという気持が、わたしの態度を幾分ふてぶてしいものにしていた。頭のなかはからっぽだった。
 ひどく荒々しい手でわたしはたたき起こされた。どうやら寝入ってしまったらしい。目をあけると、さきほどの顔の大きな男がつっ立っていた。半身を起こしてあたりを見まわすと、部屋の人数が増えており、汗を光らせた十人ばかりの半裸の男たち(全身が赤色に塗られていた)が、わたしのほうをながめていた。窓の外には夕闇がせまっている。ずいぶん長いあいだ眠りこけていたことがわかった。
 女たちの手で食べ物が運ばれてきた。部屋の男たちがそれを受けとって部屋の中央に運び、直接床に置いた。すべてを運び終えると、男たちは食べ物をとり囲んで車座になった。新参者であるわたしは、一人ぽつんと壁ぎわにうずくまっていた。部屋の端で食事の仕度の様子を監視していた顔の大きな男が、食事に加わるようわたしに手ぶりでしめした。わたしは壁ぎわをのそのそとはい出し、車座にそっと割って入った。こうして、わたしの奴隷としての第一日目がひっそりはじまった。
 そう、わたしはインディオの奴隷にされてしまったのだ。エスパーニャ人が奴隷にしたインディオの奴隷なら数千、数万もいるだろうが、インディオに奴隷にされたエスパーニャ人なんて、わたしをおいてそうはいるはずがない。ああ、なんと奇特なエスパーニャ人であることよ。
 奴隷は、日の出と共にたたき起こされ、ありとある仕事をさせられる。畑仕事はいうに及ばず、狩猟や漁の供、荷物運び、伝令、神殿や家屋の築造・改築、根菜掘り、果実の採集・・・などなど。わたしの風貌といでたちも大いに変わった。服は脱がされて腰布だけの裸体にされ、全身を赤色に塗られた。頭部は額(ひたい)とこめかみから剃り上げられ、残りの頭髪は紐でたばねられた。そして、赤い皮のリボンを腰までたらすことが義務づけられた。奴隷のしるしというわけだった。
 ルーゴとペドロもわたし同様奴隷にされた。ただルーゴの場合、彼はカシケの持ち物となっていた。捕えられて、この村に初めて連れられてこられた日の広場でのやりとりが、カシケに気にいられたらしい。
 まわりの者に比べていくらか背が高く、肌の色が白い――といっても赤く塗られているが――インディオが三人こうして誕生したわけだが、そのあまりにみじめな境遇にもかかわらず、脱走するつもりにはまるでなれなかった。ここを逃げだしてジャングルをさまようくらいなら、いまの境遇のほうがずっとましなのは明らかだったからだ。
 さて、これまでは、自分の身にふりかかってくる災難にばかり目と気をうばわれて、この地の住民の様子や暮らしぶりなどについてはあまり触れてこなかった。多少の余裕もできてきたいま、そういったものにもいくらか言及してみよう。
 この地の住民はおしなべて小柄で首が短く、体は頑丈で力もある。容貌はなかなかに立派で、女はエスパーニャの女よりもきれいな者だって中にはいるくらいだ。
 住民の住まいはおもに木造で、ワラやシュロの葉でふいた急勾配の屋根が軒の下まで低くたれている。床は土をつき固めてこころもち高くしてある。壁はすだれのようになっていて風通しがいい。
 男の多くは腰布一つの裸ですごすが、大きな四角い布を首でむすんでマントのようにはおることもある。腰布は手の幅ほどの長いもので、これを腰にぐるぐるまきつけ、数度股間に通してその両端は腰の前後にたらす。
 女は、ウィピルと呼ばれる一種の貫頭衣をまとう。布の袋に首と腕が通るように穴を開けただけの簡素なものだ。
 履物としては、リュウゼツランの繊維で織った粗布とか、なめさない獣皮でつくったサンダルなどを用いたが、ジャングルに分けいるときや戦闘のとき以外の平時は、はだしでいるほうが多かった。
 この地の住民のひじょうにきわだった特長は、斜視が多いことである。斜視は美しいものとされているのだ。わざわざ斜視にさせるために、子どもがまだ幼いあいだに前髪の先に樹脂の玉をぶらさげたりする。子どもは眉間のあいだでぶらぶら動くものを見ようとして目をみはるので、いつのまにか斜視になるという寸法だ。
 住民たちはまた、額(ひたい)がたいらのまま、まっすぐうしろに傾斜している頭部を高貴なものと考えていた。そうした形にするために、生まれてまもない幼児を、二枚の板のあいだにあお向けにはさんで数日間しめつけた。しめつける角度は平行ではなく、頭頂側ほど強くしめつけられる角度になっているから、額から頭頂部にかけて扁平になると同時に、後方に傾斜した形になるわけである。

 男も女も、黒い髪を長く伸ばして、妍(けん)をきそうようにいろいろな形に結いあげていた。男たちは額をできるだけ広く見せようと、髪の生えぎわを焼いてあとから毛髪が生えないようにしていた。女はそのみだしなみとして、着るものよりもはるかに入念に髪の手入れを行った。それに没頭すること、エスパーニャの女にひけはとらない。娘時代と結婚後とでは髪型を変えた。
 彼らの体を飾る手だてとして、特筆すべきなのは入墨である。多くの入墨をほどこした者ほど勇気があるとされて、相当な痛みにも耐えてその体を飾りたてた。一人前の男なのに入墨のない者は軽んじられ、何かにつけ揶揄の対象とされた。入墨の色と模様は身分によって決まっているようで、たとえば神官は青、戦士は赤と黒をおもに用いた。女も乳房を残して、きめ細やかな入墨模様を上半身にほどこした。
 男女をとわず、鼻輪、口輪、耳飾りなど、思いおもいの装身具を身につけた。そのために、鼻と唇と耳たぶに穴をあけた。また、歯にも特殊な加工を行った。石のやすりで、歯にのこぎりの目のような刻みをいれたり、鋭くとんがらせたり、はては歯を抜いたりもした。文字どおり、身をけずって自分の顔の魅力をひき立たせたのである。
 彼らはとてもきれい好きで入浴を好んだ。冷水浴はもとより、蒸し風呂の装置も発明していた。蒸し風呂はぐるりを石壁でとり囲んで、その一角にきられている炉で火を焚いて、壁全体を熱する構造になっていた。これはもっぱら、産後の女や病人によって用いられた。
 食生活はきわめてユニークで、またなかなかに豊かである。主食はトウモロコシで、その実をもいで石灰の溶液にひたし、ひと晩中とろ火にかけ、翌朝柔らかくふやけたところを、メタテ(石製の平うす)の上でマノ(石製の棒)を使って丹念にすりつぶす。それを団子にして、バナナやトウモロコシの葉にくるんで蒸したもの(タマルと呼ばれている)を、いろいろな具と一緒に煮たててつくったとても辛いスープにひたして食べる。儀礼や祭りなどではタマルに七面鳥の肉などを詰めるので、参列者はきそってこれに手を出すから、あっというまになくなってしまう。
 長旅や航海に出かけるときの携行食も、すりつぶしたトウモロコシを丸めた団子である。この団子は持ちがよく、数カ月たっても腐敗しない。また、この団子をひきちぎって木の実の殻でつくった椀のなかにいれ、殻に残った果肉と共にすりあわせて食べる。よく練れたむだのない食事法で、感心させられることしきりである。
 彼らはまた、焼いたトウモロコシをすりつぶして水に溶かし、カカオの種のすりつぶしたものを少し混ぜ、トウガラシや蜂蜜なども加えて風味絶品の清涼飲料をつくる。この地で囚われの身となっていた頃には、わたしも何度か口にしたことがあるが、奴隷になったとたん、高嶺の花と化してしまった。
 トウモロコシと共に、彼らの食卓に欠かせないものの一つとしてフリホール豆がある。黒色ないしは赤色をした豆で、これをぐつぐつ煮たてて適度にすりつぶしたものを料理のつけ合せとして用いる。うすい塩味がある。この地の料理は全体に辛いので、この豆料理のまろやかな淡白さはひじょうにありがたい。
 トウモロコシ、フリホール豆、それにトウガラシ、カボチャの四つの作物は、この地の基本作物である。しかもみなこの地原産で、この頃にはまだ、インディアス以外の地ではその存在を知られていない。
 これら基本作物のほかに、トマトやカボチャ、ピーマン、各種青菜などの野菜、鹿やウサギ、猿、大トカゲ(イグアナ)、アルマジロなどの獣肉、サツマイモに似た芋や山芋などの根菜、パパイアやバナナなどの果実、魚や海草などの水産物、水鳥や七面鳥などの鳥肉、南京虫やイナゴなどの昆虫、さらに、蜂蜜やカカオ、アボガド、落花生など、実に多彩な食材が用いられる。トマト、ピーマン、アルマジロ、パパイア、七面鳥、カカオ、アボガド、落花生なども、やはりこの地原産である。ちなみに、鶏はこの地には棲息していない。
 この地の住民は、毛のない犬(無毛犬)を肥育していて、これを何よりのご馳走として食べる習慣もある。おとなしい小型の犬で、飼育と販売の専業者もいる。奇妙なことに、この地に棲息する犬はこれが唯一で、住民はこれを愛玩動物とか番犬としては見ず、牛や豚と同じように食肉用の家畜として扱っている。ちなみにこの地には牛も豚も棲息せず、羊や山羊もいない。この地で食肉用の家畜といえばほかに七面鳥、ウズラ、ウサギ、食用のヘビがいるくらいである。
 料理はもっぱら女の役目とされた。トウモロコシを仕込んで、メタテとマノですりつぶす作業はかなりの重労働で、女たちは一日のかなりの部分をこの仕事に忙殺された。人生の大半を、この仕事に捧げているといっても過言ではない。こうしてせっかくつくった料理を食べるにあたっては、彼女らは男と同席して食べることは許されない。女どうしで地面か、よくてテーブルがわりのむしろの上で食事をした。インディオの社会は完全な男尊女卑社会なのである。

     しょの4

 わたしの奴隷生活も少しずつだが板についてきた。小屋で寝起きを共にしている奴隷仲間はみなインディオであったが、彼らは戦闘で生け捕られた他の部族の者であったり、盗みなどを働いて奴隷に落とされた者たちだった。初めのうちこそ、人種の違い、言葉の相違などでなかなか彼らになじめなかったわたしも、そのうちにだんだんうちとけて、いまでは簡単なインディオ語ぐらいはしゃべれるようになっていた。
 わたしが特に親しくなった奴隷は、チャン・プーという名の中年男だった。彼は酔った勢いで知人の娘に手を出してしまい、娘の父親に訴えられて鞭うち刑に処せられたあと、こらしめのために奴隷の身分に落とされたのである。半年もすればもとの身分に戻れるという。
 チャン・プーに言わせると、彼は決してよこしまな気持で娘に手を出したわけではなく、それどころか、昔からかわいがっているその娘愛おしさのあまり、思わず抱きしめたところ、酔った勢いもあって二人抱きあったままごろごろと転がってしまい、思わず娘が悲鳴をあげたところに娘の父親がすっ飛んできて、うむをいわせず婦女暴行の罪で訴えられたという。
「わし、娘の父親とは昔から仲がわるい。だが、娘とはとても仲がいい。娘はちっともわしのことを恨んではおらん。それなのに、父親がわし憎さのために訴えに及んだのだ」
 チャン・プーのこの言葉はたぶん本当なのだろう。この男はとても親切だし、仲間うちでも人気者だし、ただ酒には目がなくて、ひどく酔っぱらってしまうとつい何かを、それも致命的な何かを、悪気はないのにしでかしてしまうというたちの人間なのであろう。
 酒といえば、この地の住民はバルチェという木の皮を原料として酒をつくる。この木の皮を、蜂蜜を溶かした水にひたして発酵させるのである。彼らにとって酒は強壮剤をも兼ね、酔って吐けば体内の虫などが駆除されて、食欲も旺盛になるのだという。家々のまわりには好んでバルチェの木が植えられた。
 彼らの酒にはとめどがなく、酔いつぶれるまでやめようとはしない。とくに、祝いや祭りにともなう飲酒と酩酊は強制的に義務づけられているようで、酔ったあげくのはてに、高いところから飛び降りたり、家に火をつけたり、互いに殺しあったり、他人の寝台にもぐり込んだりと、信じがたいような狂気じみた行動をとる。ただし、この地のインディオは男女間のけじめについてだけは潔癖で、いくら酔っていようとそれを犯すことはタブーとされた。だからチャン・プーの行為は、いくら酒のうえだったとはいえ、軽はずみのとがはまぬかれない。
 夕食後など、チャン・プーはわたしにせがむ。
「おまえは我々の知らないあるどこかからここにやってきた。そのどこかの話をしてくれ」
 わたしは、手真似をまじえ、精いっぱいの努力をして、故郷のエスパーニャの話をする。ほかの奴隷たちも我々のところに集まってくる。奴隷の監視と監督をつとめる顔の大きな男も寄ってきて耳をかたむけた。
「わたしの生まれたところは海の向こうのはるか彼方にある。そこから海を越えてここへやってきた。二十人の五倍もの人数をのせられる大きな舟にのり、二十日間を二回もやりすごしてやってきた」
 インディオは我々が用いる十進法ではなく、二十進法を使って数をかぞえるのだ。
「わたしの故郷ではみな服を着ている。いろいろな形のいろいろな色の服がある。だが、あまり入浴はしない。だから体はくさいのだろうが、みながそうだからお互いに気づかない。あんたたちのほうがずっと清潔だ」
 チャン・プーはにやりとする。わたしはつたない言葉をつづける。手真似のほうが多い。
「国は王が治めている。女の王もいる」
 チャン・プーはこんどは目をひんむいてびっくりする。
「女でも王になれるのか?」
 わたしはうなずく。男尊女卑のこの地では信じがたいことなのだろう。ちなみにエスパーニャでは女王が二代つづいていて、先代の女王は夫のファランとの共同による統治で君臨したイサベル、いまの女王はイサベルの次女ファナである。ファナは女王に即位する前に、神聖ローマ帝国皇帝の嫡男フェリペのもとへ嫁いだのだが、このフェリペという男は、形だけの結婚式をとっととすませると、ファナをさっそくベッドに連れ込んで、家来どものひんしゅくをかったというほどの女好きだった。やがて花嫁のファナに飽きると、宮中のいろいろな女たちに手をつけるようにもなった。イサベル女王の死去にともなって新女王に即位したファナは、夫に対する嫉妬の激情を押さえきれず、やがてはその正気を失って狂ってしまった。
 しかし、彼女はフェリペを心から愛していて、フェリペが五年前、突然の病いで没してしまうと、夫の亡骸(なきがら)を豪華な黒い棺(ひつぎ)におさめ、その棺と共に、女王としての供まわりをひき連れて荒れ野をさまよった。各地の修道院をめぐり歩き、フェリペの菩提をとむらったのである。道々、棺を開けさせては、腐乱しはじめた夫の遺骸を自らの手でくまなく点検するのを日課とした。この旅は七百八十七日間にもおよんだという。その後ファナは、父ファランのさしがねで僻地の修道院へ幽閉された。そのため、実際の政務は父親が摂政となってとりしきっているのだが、まあ、こんなことどもは、いまのわたしにとってはもはやどうでもいいことだ。
 チャン・プーが言う。
「おまえたちが信じている神は何というのだ?」
「主ヘスース・クリスト(イエス・キリスト)だ」
「その神は何の神だ?」
「何の神、かんの神というのはない。唯一無二の神ひとつあるのみだ」
「そのたった一人の神は、さだめし忙しい思いをしておるに違いないぞ」
 わたしはほほ笑むしかない。
「わしたちにはうんとたくさんの神々がついていて、その神々が分担して、わしらのいろいろな悩みや願いごとを聞いてくださる」
「どれくらいたくさんいるんだい?」
「イツァムナー、フナブクー、バカブ、チャク、アハウキンチェル、ククルカン、イシュチェル、イシュタブ、エクチュア、アフプチ、ボロンツァカブ、ホブニル、ホサンエック、カナルアカントゥン、カンウワイェヤブ、チャクシブチャク、サクシニ、キニチアハウ、ヤシュコカフムット、ワクミトゥンアハウ、エケルアカントゥン、エクウバイェヤブ、サクパワフトゥン・・・」
 わたしは両手をあげて、まだ延々とつづきそうなその神々のメンバー発表を押しとどめた。
「それぞれ役割分担が決まっているというわけかい?」
「ああ、そうだ。なかでもイツァムナーは、昼と夜を支配するいちばん偉い神だ。文字や暦、薬などを人間に教えた。

天神イツァムナー

イシュチェルはイツァムナーの連れ合いで、月と洪水の女神だ。この世界をこしらえたのはフナブクーで、イツァムナーはこの神の息子だ。世界はこしらえられるたびに洪水に襲われ、いまは第三番目だか第四番目の世界だとされておる」
 わたしはそっと肩をすくめる。チャン・プーがそれを真似る。するとこんどは、まわりのとりまきのインディオたちがそのチャン・プーを真似る。この地の住民はどうやら、自然と右ならえになる習性があるらしい。チャン・プーは得々として言葉をつづける。
「バカブは四人いて、世界の四隅で天を支えている。チャクは雨の神だ。アハウキンチェルは太陽の神、ククルカンは羽毛の蛇として知られる金星の神だ。イシュタブは自殺の女神で、首をつって自殺した者は、イシュタブの保護のもとで死後の安息を得られる。エクチュアは黒い戦(いくさ)の神、アフプチは死神だ」
 わたしは、この地に来て以来、ひどく気になっていることを、思いきってチャン・プーにたずねることにした。
「この村に来る前、わたしは海辺の村の住民に捕まって捕虜にされていた。太ったカシケのいる村だ。ある夜、わたしはそこを逃げだした。逃げる途中、わたしは広場の神殿のなかをのぞいてみた。祭壇が血まみれだった。心臓が三つ供えられていた。それらの心臓は、わたしと一緒に捕らえられた仲間のものではないかと思うがどうだろう」
 チャン・プーはほくそ笑んで「ああ、きっとそうだ。生贄にされたのだ」と言った。「神々は血を欲する。わしらと同様、神々も力をつけねばならぬのでな。それで血を欲する。とくに太陽は毎日死んでそれが日没となり、毎日再生してそれが夜明けとなる。太陽の再生にはとても大きな力がいる。それでよりたくさんの血を欲するのだ。だが、わしらは、生贄の血だけを神々に捧げておるわけではない。自分の血だって神々のためには流すのだ。おまえも見ただろう、カシケのかみさんが舌に穴を開けてワラを通すところを」
 確かにわたしはその場面を見た。何かの祭りででもあろうか、カシケとその女房が着飾って神殿の祭壇の前に現れ、女房はカシケの前にひざまずいた。そばにいる神官が、黒く細いとがった黒曜石製のナイフを女房に渡した(この地の者は鉄や銅などの金属を知らないのだ)。女房はしばらくそのナイフに見入っていたが、やがて意を決すると、そのナイフを自分の舌に突きたて、ぐいと力をいれた。真っ赤な鮮血が、刺しつらぬかれた舌からほとばしり出た。彼女は、神官からワラの束を受けとると、舌に開けた穴にそのワラを通した。鮮血がワラをつたってどくどくとしたたり落ち、その血を粘土づくりの皿が受けとめた。

右側の人物が舌に通している

「ところでおまえ、海辺の村のやつらに捕まっていたとき、食べ物をたくさん与えられなかったか?」
「ああ、どっさり与えられた。いまと比べると天国と地獄だ」
「あいつらは最低なやつらだ。捕虜をわざと太らせてから生贄にするのだ。太らせたほうがうまいからな」
 わたしは慄然とした。
「食・べ・る・の・か?」
「そうだ。生贄というのは神聖なものだ。だからその肉を食べる。そうすると自分の魂も浄められるのだ。ところがあいつらは、自分の舌と腹の欲望のために喰らうのだ。それでは鹿やウサギの肉を食うのと変わらない。しかも、わざと太らせてから食うのだ。くさりきったやつらだ」

     しょの5

 奴隷の仕事は、ようするに力仕事である。力仕事をきらってインディアスに来たつもりなのに、それをよすがとせねば生きていけないなんて、運命とは皮肉なものだ。
 わたしは、日付を忘れることのないように、革製の小さな暦を国を出るときからずっと大切に保持している。海で遭難にあったときでも、これだけは首にさげて肌身から離さなかった。わたしが遭難にあった日は忘れもしない、一五一一年四月一〇日である。それから早いものですでに五ヶ月が経過している。いまは少しは涼しくなった九月、栄えある収穫の季節である。奴隷のわたしは毎日、トウモロコシの穫り入れにかり出されている。
 そのトウモロコシの種をまいたのもわたしである(もちろん、わたし一人でやったわけではないが)。種を入れた袋を背負って、先のとがった棒で地面に穴をあけ、そのなかへ五、六粒種を落として、上から棒で土をかぶせて終わり。おそろしく簡単だ。

 この地の農法は典型的な焼畑農業で、四月のはじめころに森の木を切って乾かし、月の末にこの切った木を焼き、数日後に種まきを行う。
 この地の住民たちは、どんな作業であっても互いにたすけ合うというよい習慣をもっている。種まきに人手が足りない場合は、足りない家どうしが二十人前後の組をつくって、各自の分担を決めて共同で作業をする。全部が終了するまでは、誰も仕事を離れようとはしない。種まきは広範囲にあちこちの地に分けて行うが、これは一つの地がだめになっても、他の地で埋め合わせができるようにするためである。
 そのトウモロコシがいまや、白、灰色、黄、ピンク、赤色と色とりどりの実をたわわにつけて、不本意にも人間に食べられるのを待っている。

南米のトウモロコシはカラフル(レプリカ)

農夫がそれを刈りとるが、わたしたち奴隷はそれを手伝う。同じ労働でも、こういう仕事にはどこか華がある。みながうきうきしているのがよくわかる。我々奴隷に対しても、いつものようなつっけんどんな態度ではなく、一人の相棒として接してくれる。
 収穫が完了すると、村は酔っぱらいであふれかえる。さまざまな名目の豊饒の祭りがあくことなくくり返され、そのたびごとに大量の酒がふるまわれる。我々奴隷どうしが、ささやかなうたげを開くのさえ大目にみられる。このときばかりはわたしたちも、酔いつぶれるまで好きなだけ酒を呑む。奴隷小屋の外からは祭り囃子が聞こえてくる。手でたたく小太鼓、バチで打つ大太鼓、木の管にねじれたヒョウタンをつけて吹くラッパ、亀の甲羅でつくった打楽器、ヒョウタンの殻でできたガラガラ(マラカス)、土笛(オカリナ)、骨笛、葦笛、ほら貝など、思いおもいの楽器で奏でられる原始の楽のねが、陽気に激しく、ときには物悲しく、いつ果てるともなく夜のしじまに奏鳴する。わたしはそれをうとうと聞きながら、胎児のごとき無心の眠りをむさぼる。
 祭りのやま場は、カシケの血の儀式である。五月はじめの種まきのときには、カシケのかみさんが舌にワラを通して血をしたたらせ、その血をトウモロコシの神に捧げたのだが、そのかいあって豊作の実りを手にしたいま、亭主のカシケは、神への感謝のために、おのれ自らの手によっておのが一物にアカエイのとげを刺し、その血を神に捧げなければならない。
 その日がとうとうやってきた。我々奴隷もこの日ばかりは休みである。村じゅうのすべての住民が広場につどい、まずは豊作の踊りを神に奉納する。神殿の前に大勢の踊り手が集まって円陣を組む。楽器が奏され、踊りがはじまる。頃合いを見て円陣のなかに男が二人飛び出す。一人は葦の槍束をふりかざして舞い、もう一人はしゃがんだまま舞う。槍束を持った踊り手は、束の一本を力いっぱい相手の踊り手に投げつける。相手は手に持った棒きれで、それを巧みになぎはらう。槍束がなくなると二人は円陣にもどり、また別の二人が出てきて同じ舞いをくり返す。
 もう一つの集団群舞もなかなかの見ものである。村じゅうの男がすべて参加する大がかりなもので、全員が小旗を手にし、戦いに出るときのような大またの足並みで奏楽に合わせて踊る。誰一人その調子をくずす者はない。食べ物や飲み物を女に運ばせて、日が暮れるまで踊りつづける。男と女が一緒に踊ることは例外的で、卑猥なものが多い。
 日が落ちて奉納の踊りがひととおり済んでしまうと、いよいよ本番がはじまる。住民たちは遠まきに神殿をとり囲む。その目はじっと祭壇にそそがれる。祭壇は篝火にこうこうと照らし出され、壇上には豊饒の女神をはじめとする不気味な神像群が、濃いシルエットを背後に従えてい並ぶ。楽隊が打楽器を中心とした勇壮な楽のねを奏する。祭壇に供えられた実のないトウモロコシの穂に火が点ぜられ、その小さな炎が、風もないのに群集の気でゆらゆら揺れる。
 楽隊がひときわ大きなほら貝の吹鳴をなり響かせたとき、カシケが、黒いマントをはおった神官長に先導されて祭壇に登場した。
 わたしはこのカシケが好きだった。わたしたちが初めてこの村に連れてこられたとき、このカシケは食べ物や飲み物を我々にふるまってくれた。しかも、捕虜にすることも、生贄にもすることなく、我々を生かしておいてくれた。たとえその身は奴隷に落とされはしても、ありがたいことではあった。
 いつもはひょうきんなカシケが、このときばかりは顔を真っ赤にしてひどく緊張している。黒マントを着けた神官長が、何やら祝詞のようなものをとなえはじめた。それを見まもる住民たちも、彼に合わせてぶつぶつと祈りを捧げた。群集の祈りの声が月明かりの虚空にこだまする。
 カシケは、美しく織られた豪華な帯のような腰布を身につけていたが、その腰布の前をはだけておのが一物をたぐりだした。一方の手でその一物を支え、もう一方の手にアカエイのとげを持ち、そのとげをおのが一物にぐいと突きたてた。血しぶきが飛びちる。その鮮血を素焼きの皿が受けとめる。
 皿に血がたまると、黒マントをまとった神官長が、その皿を持って豊饒の女神の像のもとまで運び、皿の血を神像になすりつける。群集の興奮は頂点に達する。楽隊がここぞとばかり、もはや狂騒としかいいようのない激しい奏鳴をはりあげる。
 と、神殿の前庭に、奇妙な装束に身をくるんだ老女が十人ばかり登場して、前庭の中央に置かれた神像のまわりで、ざんばらの髪をふりみだして狂ったように踊りはじめた。それを合図とするかのように、屈強な男どもがどっと前庭に押し寄せ、踊っている老女たちを突き飛ばしてかたわらへ追いやり、神像のぐるりを自分たち男だけでとり囲んだ。少年もまじっている。男たちの手にはアカエイのとげがにぎられている。
 前庭には、不気味な彫刻をほどこした木の柱が数本たっており、それらの柱頭で焚かれる篝火によってあたりは昼をあざむくばかりに明るい。群集が催促するかのように喚声をあげ、口笛を吹くと、神殿から神官が降りてきて、男たちのつくっている円陣の内の神像の脇に立った。神官が何ごとか叫んだ。男たちは待ってましたとばかり、腰布の前をはだけて一物をとりだし、その包皮をつまんでアカエイのとげを突き通した。神官が長いひもの一方の端を先頭の男に渡すと、男はそのひもをおのれの一物に開けた穴へ通し、くぐり出たひもをぐいぐいたぐってその端を隣の男に渡した。渡された男も同じことをして、ひもの端を隣の者に渡した。これがくり返されて、一物のじゅずつなぎができあがった。ひもは血にべっとり濡れ、鮮血をしたたらせている。
 ひもの最後の端は神官の手にゆだねられた。彼はひもをゆっくりとたぐりながら、どっぷりひもに染み込んだ血を神像になすりつけてゆく。血臭がこちらの鼻先にまでただよってくる。ぞくぞくと寒気がする。一物がちぢみあがる。それなのに、混濁した意識の妙な高揚は押さえることができない。ねばい汗が体を這う。
 このおぞましくもばかげた光景は、何度見てもなれるということがない。この奇想天外な儀式は、ちょっとした祭礼ではよくとり行われ、これにたくさん参加した者ほど勇者であるとされた。男の子などはこれに夢中になる。
 彼らはまた、規模の小さな祭礼の場合は自分の耳や頬、下唇などに傷をつけて、その血を神々に奉納する。それはもはや、ごくありふれた日常の儀式となっている。一物のじゅずつなぎなどもその延長上にある少しばかり気ばった儀式であるにすぎない。彼らにしてみれば、彼らの神々が血を求めるので、おのれの体に傷をつけるというだけのことなのだ。
 血にまみれた前庭の神像はいま、神官らの手によって祭壇に運びあげられた。感謝の最後の祈りがおごそかに捧げられ、祝祭はそろそろ終わりを告げようとしていた。

     しょの6

 奴隷仲間のチャン・プーはもう中年なのに独り者である。彼に言わせると「所帯をもつ気のない男にとって、女なんてものは必須の無用品」なのだという。結婚して自由をしばられるなんてことは、彼にはがまんのならないことなのであろう。女が必須のときには、それを買うこともあるらしい。この地の女の貞節とたしなみのきびしさは特筆にあたいするが、なかにはそれなりの事情でころぶ者もいるのだろう。売春宿みたいなものもあるらしい。
 貞節とたしなみのきびしさといえば、この地の女は男と同席して飲食はしないし、通りすがりに男と出会ったときには、かたわらによけて背を向けて男を通す。宴会で男にしゃくをするときなども、ついだ酒を男が呑みほすまでは背を向けている。男の顔をまともに見たり笑いかけたりすることも、ふだんは遠慮しなければならない。そういう行為は、ひじょうにはしたないこととされているのだ。また、不貞を犯してしまった女は、鞭でうたれたり、陰部にトウガラシをこすりつけられたりした。そうしたきびしさへの反動のためもあってか、この地の女は嫉妬心はきわめて強い。夫のわずかな浮気にもいきりたって、夫にうってかかる女もいる。
 ふだんの彼女らはとても細心でこまかなことによく気がつき、礼儀正しく、気心の知れた者どうしでは、ひじょうにうちとけ合って陰ひなたなくつき合う。またきわめて気前がよく、もの惜しみしない。おおらかで気性がやさしく、産まれたばかりの子鹿を拾ってきて自分の乳で育てたはいいが、森へ放しても去ろうとはしないので困ったなどというほほ笑ましい話もある。信心も深く、神に飲食物や布などを供えるが、自分の血を捧げることはしない。それは男だけの特権とされていた。
 彼女らは多産ではあるが、子育てに追われながらもたいへんな働き者である。家事と子どもの教育、カシケへの貢納などを受けもち、重い荷物を運んだり、畑を耕したり、市場で売り買いなどもする。その一方で、七面鳥、ウズラなどの家禽を飼い、仲間どうしで協力しあって糸をつむぎ、機(はた)を織る。
 わたしはしがない奴隷である。その奴隷に女は無縁かというと、そこはうまくしたもので、同じ奴隷どうしであるならば男女のことは大目にみられた。しかし、わたしは土地の女に手を触れようとはしなかった。カシケの持ち物となったルーゴは、よろしくやっているようだった。
 奴隷どうしの行き来はおおっぴらには許されていなかったが、カシケがたまに、我々三人のエスパーニャ人奴隷を手もとに呼び、いろいろな話を退屈しのぎに聞くことはあった。そんなおりに、わたしとルーゴとペドロの三人は一堂に会することができた。ルーゴに対するカシケの気にいり方はたいへんなもので、おかげでルーゴはいまではほとんど自由人といってもいいくらいの待遇を受けていた。奴隷としての奉仕は一日おきでよく(三日、四日おきになることもざらだった)、残りの日々はかって気ままにすごしていた。そしてもちまえのひょうきんさが彼を村の人気者にしていた。
 ペドロは慎重で口数も少なく、喜怒哀楽を表に出すタイプではなかった。わたしもペドロほどではないが、口は軽いほうではなく、また天性の臆病者でもあったから、そう容易には周囲にうちとけることも、上手にたちまわることもできずにいた。そんなわけで二人とも、みなからもの珍しがられこそすれ、人気者というにはほど遠かった。ただ黙々と主人の言いつけに従い、ただ黙々と日々を過ごしていた。そのうちには住民たちのわたしたちへの好奇心も薄れて、わたしとペドロは何のへんてつもないただの奴隷になり果てていた。
 雨季(五月中旬〜十月下旬)が三回、乾季(十一月初旬〜五月上旬)が三回通りすぎていった。四回目の雨季もすぎ、四回目の乾季がやってきたとき、わたしは二十七歳となっていた。まだ奴隷の身のままだったが、そんなわたしにも女の友達ができた。
 その日わたしは、カシケへの貢納のために、村びと一同がかり出される共同労働に従事していた。わたしは山芋掘りの手伝いをさせられていた。山芋掘りにはよほどの熟練が必要で、まだ作業になれないわたしは指先に怪我を負ってしまった。わたしは怪我をした指をしゃぶってみたが、かなり深く切ったのか血がなかなか止まらない。そこへ白い木綿の布をさしだしてくれたのが彼女だった。
 インディオにしてはすらりとした体で、めだたない模様のウィピルをまとっており、耳飾りはしていたが鼻輪はしていなかった。入墨のない肌はこの地の住民と同様、褐色で、大きな瞳が心配そうにわたしを見つめていた。わたしは「ありがとう」と言った。彼女は恥ずかしそうにほほ笑むと、自分の持ち場に小走りで戻っていった。そこでは近親者らしい年配の女が、心配そうな目つきで娘の帰ってくるのを待っていた。
 彼女に二度目に会ったのは、何かの小さな祭礼のときで、わたしはそのとき、生贄に捧げられる無毛犬(この地に棲息する唯一の犬)の引き綱をとっていた。祭りはどうやら特殊なものらしく、通常は女の参加は認められないのに、この祭りでは三人の女が巫女としてつらなっていた。彼女はその三人のうちの一人に選ばれていた。
 儀式は、森の奥深くにある、聖なる泉のほとりでとり行われることになっていた。その泉は、この地方特有のセノーテの一つだった。セノーテというのは、表面の地盤が陥没して地下水が露出した泉のことで、河川と湖がまったく存在しないこの地方の唯一の水源だった。洞穴をたどって直接地下水脈に達し、水をくむ場合もある。この地方の地盤はほとんどが石灰岩でできているので保水力がとぼしく、雨水はすべて地盤の下にまでしみ込んで地底に溜まる。それは地下水というより、地底の湖のごとくだった。
 数人の神官と巫女らを先頭に、カシケと村の有力者、それに従う従者たち、楽隊、選ばれた住民らが、夕暮れの森のなかを粛々と進んだ。もうすぐ日没なのだが、日没こそは彼らにとっては一日の終わりであると同時に、一日の開始への序章なのだった。古き一日をみとるときであり、新しき一日の再生(夜明け)をくじこうとする夜の闇との戦いへの門出ともなる時分だからだ。
 鳥や猿の鳴き声がかまびすしい。木々にはツルクサがひっからまり、それらのツルのあいだからときおり、貧相なランの花が顔を出す。人の背丈ほどもある巨大なシダの葉の姿もある。あいも変わらず五体にまといつく蚊。だが、この蚊にも最近はずいぶんなれた。こうして裸で歩いていても気にならないくらいだ。
 どんどん暮れかかる空のもと、たいまつに火がともされた。生贄にされる二匹の犬が心細げに鼻を鳴らす。その心細さがわたしにもつたわって、わたしは思わず小さなくしゃみをした。
 けもの道のような踏み跡をさらにたどっていくと、前方に少し開けた場所があって、月明かりがそこを明るく照らし出していた。一行の足が止まった。どうやら目的地に着いたらしい。黒のマントをはおった神官長が進み出て、泉の状態を調べに行く。彼は泉のほとりで呪文をとなえながらなかをのぞき込む。支障になりそうな異常は見つからなかったらしく、彼はうしろに控えている一同にこちらへ来いという手つきをした。
 一行は泉をとり囲んだ。それは泉というよりは、地底湖をのぞき込むための大きな井戸といったほうがよい。底にあるのは、どこまでつづくか知るよしもない広漠たる水のつらなりだ。上から見えているのは、それのほんのごく一部でしかない。
 黒マントの神官長が、ほとりの一角にしつらえられた石の祠(ほこら)にぬかずき、祈りを捧げる。コパルの樹から採った香がたかれ、従者が持参したトウモロコシのパン、酒、果物、獣の干し肉、山芋、蜂蜜などが供えられる。カシケ、村の有力者、十人ほどの住民らも、しかつめらしく祈りの姿勢をとる。小さな楽隊が荘厳だがどこか物悲しい楽のねを奏する。
 そして、彼女が登場した。三人の巫女が泉のほとりで舞いをはじめたのである。白と青に染め分けられた瀟洒なガウンをはおり、羽毛を長くなびかせた金の冠を頭上にいただいている。泉をとり囲むたいまつの灯りに、ぽっと浮かびあがるその幽玄な舞いの姿は、まさに息をのむ美しさだ。薄いガウンごしにしなやかな肢体がすけて見える。その肢体はときには物憂く、ときには激しく躍動し、もはや人とは思えぬ不思議な造形を描いている。
 泉の暗闇の底から小さな灯りが、いくつも舞いあがってきた。蛍だ。蛍の群舞と、乙女らの舞い。信じがたいほどの麗しさと高貴さ。ああ、なぜであろう、涙があふれて止まらない。黒マントの神官長が朗々と祭文を唱えはじめた。その声はうちふるえている。泉をとりまく人々の目からも涙が、自然のしずくのごとくあふれている。その表情はからりとした不思議な晴れやかさだ。
 神官の一人がわたしのところへやってきた。いよいよ聖なる泉に生贄を捧げるのだ。わたしは犬の引き綱を神官に手渡した。二匹の犬は、自らの宿命を自覚しているかのようにうちしおれて神官に従っていく。祠で待ちかまえていた神官長が犬に対して呪文を唱える。犬には最後のご馳走が与えられる。呪文が終わると、神官の一人が犬を抱きかかえた。犬の首輪が切られる。犬は泉に投げ込まれ、虚空にはかなげな弧を描いて地底に吸い込まれてゆく。そして、もう一匹の犬も。
 乙女らの舞いは激しさを増し、楽隊の奏楽は最高潮に達する。泉をとり囲む人々の口から神の名が発せられ、祈りの言葉があとにたなびく。これが何度も何度もくり返され、その聖なる言葉は熱帯の闇夜に染み込んでゆく。泉のほとりの乙女らの舞いは、激しさからしだいにゆるりとした優美さに、やがて寂寥の色をも加えて、祭りの終焉を無言で演出する。
 黒マントの神官長が祭りの終わりを告げる。参加者たちは、なごり惜しそうにきびすを返す。ちらちらと舞う蛍がそれを見送る。あたりは再び太古の静けさにどっぷりつかる。
 この祭りからの帰り道、ある事故が起きた。蛇があの娘を襲い、咬んだのだ。うずくまる彼女のもとへ祈祷師が駆けよる。彼は患部に煙草(たばこ)の葉の粉末をすり込み、悪霊退散を神に祈ったが、その神はそのとき、このわたしの裡(うち)にこそいた。わたしはつかつかと娘のところに歩みより、患部のふくらはぎの咬み跡を調べた。たいまつの灯りに浮かびあがる牙の跡二つ。明らかに毒蛇による咬傷である。患部は腫れあがり、体は熱でほてっていた。わたしは、いまは無用になった犬の引き綱をひきちぎって、咬み跡から心臓に近いところを、皮下の静脈血流がとまる程度の強さでもってしばった。
 わたしは、十五歳のときに畑で毒蛇に咬まれたことがあり、たまたまそばを通りかかったアラブ人の腕ききの医師にその命を救われた。傷が癒えるとわたしは、その医師のもとへ奉公に出された。医者にするつもりで、両親がそのひとのいい医師にむりやりわたしを押しつけたのだ。しかし、半年もしないうちにわたしは医師のもとを飛び出した。食事が喉を通らぬ、夜はうなされる、便秘にはなるで神経がまいってしまったのだ。大量の血、ナイフによってひき裂かれた傷口からはみでる内臓、治るあてのない黒死病(ペスト)患者・・・。そんなものを正視するには、わたしの神経はあまりにか細すぎた。そんなわたしがいま、おぼつかぬ貧弱な経験と見聞をたよりに、こうして毒蛇の咬み傷とたたかっている。やはり神がいたのだろう。
 わたしは石のナイフで傷口を切り広げ、口をあてて強く吸った。そして外に吐きだし、また吸った。これを何度もくり返した。腫れはどんどん広がっていく。その腫れを出し抜いて、しばる場所をさらに心臓に近いところに移動させた。そしていちばん腫れあがったところにナイフで十文字に傷をつけ、出血させて毒を流出させた。できるだけ水を飲ませ、体には冷えないようにマントをかけてやった。その黒いマントをさしだしたのは神官長だった。

     しょの7

 蛇に咬まれた娘は無事に回復した。娘の父親の喜びようはひとしおではなく、わたしはとうとうこの父親の持ち物となった。父親は大枚をはたいて、わたしを前の持ち主から買いとったのである。父親の名はヌシ・パンヤオ、娘の名はハラルといった。母親は数年前に病がもとで死去していた。
 わたしの生活は一変した。ヌシ・パンヤオは、タバスコやウルアといったはるか遠方にまで取引を広げているよく知られた商人で、わたしはこの商人の使用人となったのである。奴隷の身分からは解放されて、身なりも一般住民のそれと変わらなくなった。
 この地は海に近く、しかも天然の塩田とでもいえるラグーナ(潟)が無数にあるため、良質の塩がとれた。また養蜂が盛んで蜂蜜の収穫もあった。この地の商人はこうした特産品を各地に運んで、カカオの種とか貴石のじゅず玉、ケツァル鳥の羽毛や黒曜石などと交換するのだ。カカオの種はひじょうな貴重品で、これでつくった飲料は神の飲み物とされ、それを口にできるのは一部の特権階級だけに限られていた。彼らはこれを強精剤や薬として用いた。カカオの種は貨幣の代わりとしても使用され、十粒でウサギ一匹、百粒で奴隷一人、八〜十粒で売春婦が買えた。
 村の広場では市が定期的に開かれて、各地のあらゆる産物が取り引きされた。掛売りも行われたが利息はつかず、しかも何の証書も担保もなく、当事者どうしが公の場で酒を呑みかわすだけで取引が成立した。この地の者は疑うということを知らなかった。家々の入口には開け閉めする扉すらないのだ。
 この地方には河川がまったくないので、交易路としては陸路と海路が用いられた。わたしは主人につき従ってあちこちをへ巡るうちに、この地方のおおよその地理がつかめるようになった。この地方はどうやら、耳の垂れた顔の短い犬の横顔のような形の半島になっているらしい。右(東)を向いていて、鼻先をやや上(北)にあげている。我々の村は、その犬の鼻先をいくらか内に入ったところにある。海路で犬の鼻先から前額部に沿って左(西)へ進み、頭頂部を周回して下(南)へくだればタバスコへと向かい、反対に犬のあごに沿って喉もとをくだればウルアへと向かう。
 この地の者はおかしなことに車輪というものを知らなかった。大量の荷物なら背負いばしご、ふつうの荷物ならボルサを使ってつねに人が運んだ。ボルサというのは、頑丈に編んだふろしきの両端をベルトでつないだもので、そのベルトを額(ひたい)にかけて背負う。荷が軽いときには肩にかけた。
 主人の娘のハラルは、何のかのとわたしに気をつかってくれた。父親のヌシ・パンヤオはそれを大目にみてくれているようだった。こうしてわたしは、女の友達と強力な保護者とを同時に得ることができたのであるが、ここで忘れてはならない人物がもう一人いる。我が友、チャン・プーである。
 チャン・プーはもうとっくの昔に自由の身になっていた。ところが、その彼がわたしのもとへおいそれとはやってこれない事情が存在した。それはほかでもない、彼が以前に奴隷の身に落とされてしまったそもそもの原因が由来していた。何と、彼を婦女暴行で訴えたのはヌシ・パンヤオなのである。そして暴行されたとされる娘とは、ほかならぬハラルだったのだ。
 わたしの立場は微妙なものになってしまった。チャン・プーは貴重な友達だし、ヌシ・パンヤオは大切な恩人である。チャン・プーと親しくすればヌシ・パンヤオはいい顔をしない。わたしは困ってしまった。
 そんなある日、ヌシ・パンヤオが怪我をした。床に置いてあった先のとがった黒曜石を踏んでしまったのである。足裏に開いた穴をわたしは治療してやった。以前、ハラルが遭遇したあの毒ヘビの事故以来、わたしはこの村のにわか医師みたいなものとなっていて、怪我人やら病人がときたまやってきていた。祈祷師までが隠れてやってきたこともある。
 チャン・プーは、かつてわたしにうち明けたように、ヌシ・パンヤオとはずいぶん前から仲がわるかった。チャン・プーは言う。
「信じられんかもしれんが、ヌシ・パンヤオとわしとは昔は親友どうしだった。あるとき、女のとりあいをやってわしが勝った。ヌシはさぞかし誇りを傷つけられたであろうところに、さらにわしは追いうちをかけるようにその女をさっさと捨ててしまった。ヌシは怒った。ヌシはその女を本当に愛しておったので、その女をボロクズのように捨てたわしを許さなかったのだ。わしらは絶交した。
 その女というのは、実はどうしようもない性悪女で、そのことはわしだけが知っていた。しかし、ヌシはうぶなものだからそれに気づかない。しかも、ヌシはまじめ一方だからその女と結婚までする気でいた。将来の不幸は目に見えていた。そこでわしは手練手管を尽くして女を落とし、自分のものにした。そして捨てたのだ

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