第2章

←表紙へ

第3章へ⇒

     しょの1

 三年の歳月がまたたくまに過ぎ去った。その三年のあいだにも、わたしの知らないところでは、運命の歯車は休むことなく回りつづけていたらしい。
 その年(一五一九年)の二月下旬のことである。乾季の明けまでにはまだ間のある時分だった。わたしは珍しくチェトゥマルの市に商いに出ていた。チャン・プーはすでにご用聞きに出ている。久しぶりに市に出てきたわたしは、手もちぶさたで半分居眠りをしていた。そして妙な夢をみた。
 頭に羽毛を生やした大蛇が虚空をただよって、口をかっと開けている。金星の神であり、風の神であり、創造をつかさどる神でもあるククルカンだ。

チチェンイツァ遺跡のピラミッドの階段の側壁に階段の影が浮かび上がり、それがちょうど大口をあけた大蛇(ククルカン)がうねっているように見える現象で、春分の日と秋分の日にだけ見ることができる。

その口からは、月と洪水の女神であるイシュチェルが顔をのぞかせている。老婆である。

イシュチェル(天神イツァムナーの妻)

彼女は、手にした水瓶をかたむけて地上に水をそそいでいる。地上は大洪水にみまわれていて、人と人の創ったすべてのものが洗い流されている。
 この決して心楽しいとはいえない夢を、チャンがけ散らしてくれた。彼は血相を変えて飛び込んできて、わたしの背中を思いきりどやしたのである。彼のかたわらには身なりのよい商人ふうの男が二人立っていた。
「ぐうたら旦那の夢見を妨害してすまないところだが、いまはそれどころじゃないぞ。あんたとルーゴを探しているやつらがいるんだ。あんたと同じ白い皮膚をした人間どもだ。そいつらがあんたとルーゴに宛てた手紙も届いておるぞ」
 わたしは、その日がやっと巡ってきたことを知った。わたしたちのことをつたえ聞いたエスパーニャ人が、ついに現れたのだ。
「そいつらはコスメル島にいる。ものすごく大きな家を海に浮かべてやってきたそうだ」
 コスメル島というのは、チェトゥマルのずっと北にある大きな島で、この一帯の海上交易の中継地となっている。また、最前の夢に出てきた女神イシュチェルの聖地ともなっており、ほうぼうから巡礼が訪れる。
「チェトゥマルの商人の口からあんたらの噂をつたえ聞いたコスメルのカシケが連中につたえたものらしい。白い皮膚をしたそいつらはものすごい関心をしめして、ぜひおまえさんたちに会いたいと言ったそうだ。そしてたまたまコスメルにたち寄ったこの二人に、あんたらに宛てた手紙を託したというわけだ」
 こう言って、チャンは同行してきた男たちの一人にぐいと手を突き出した。チャンは早くしろといわんばかりにその手をふった。せかされた五十年配の温厚そうな顔をした男は、腰にまきつけた小物入れから手紙をつかみ出してチャンに手渡した。チャンは怒ったような顔をしてその手紙をわたしにさし出す。
 わたしは手紙を受けとり、書面に目を落とした。そこにはなつかしいエスパーニャ語が書きつらねられていた。じつに八年ぶりで目にする母国語だった。内容はこうだった。

 親愛なる我が同胞よ。わたしはエルナン・コルテスと申す者で、クーバ(キューバ)総督ディエゴ・ベラスケスのもとで、秘書と財務官のようなことをしておりました。たまたまこの地への遠征の機会が与えられ、二日前にここコスメルに到着しました。土地のカシケたちの話をいろいろ聞くうちに、あなた方の噂が出ました。びっくりすると同時にきわめて朗報であると思いました。あなた方にとっても、我々にとっても。
 何はともあれ、ぜひお目にかかりたい。我々はあと十二日間、ここにとどまります。どうかそのあいだにこちらへおいでください。十一隻の船と五百名の隊員たちが、首を長くしてあなた方をお待ちしています。我々はあなた方をお迎えして、できるかぎりのおもてなしをする所存です。我々がめざしているのは、ずっと西のほうにあるタバスコという土地で・・・

「何と書いてあるんだ?」
 チャンがおどおどしたような表情で聞く。
「うん、わたしと同じ国の人間が五百人もコスメルに来ているらしい。わたしたちに会いたいから、いますぐコスメルに来いと言っている」
「行くのか?」
 わたしはうなずいた。
「ルーゴもか?」
 わたしはうなずく。
「だがルーゴはこの地の女と一緒になり、子どもまでおるぞ。おまけに栄えある戦士で、しかも一軍をあずかる隊長の身だ」
 そうだった。ルーゴはいまや、チェトゥマルきっての有力者にのしあがり、軍の中枢をあずかるほどの身分となっていた。故郷へ帰る望みなどとうに捨て去っているようにも見える。
「確かにルーゴはわたしと違ってすぐれた戦士であり、仲間や部下からも尊敬され、貴族出身の妻とかわいい子どもまでいる。だが、しょせん彼はわたしと同じ国の人間なのだ。故郷へ帰りたいと願うその気持ちに変わりはないと思うが」
「まあいい、ここでルーゴの気持ちをああだこうだと言っててもはじまらん。いますぐ二人で王宮へ行こう。ルーゴに会うんだ」
 わたしたちは、チャンに同行してきた二人の商人にあとのことを託すと、とるものもとりあえず王宮へ向かった。
 王宮はあい変わらず美しかった。白の美しさをこれほどまでに完璧に具現したものをわたしは知らない。熱帯の陽光と蒼空が、その澄明な美をさらにきわだたせていた。
 ルーゴに面会を求めると、ルーゴはちょうど軍事教練のさなかで、若い戦士たちを鍛えあげているところだという。わたしたちはじりじりする思いで教練の済むのを待った。女官の出してくれたカカオの飲み物を口にはこびながらチャンが言う。
「ルーゴは、この国の腰ぬけ戦士どもに本当の勇気を仕込んでおるのだ。正々堂々と敵に渡り合う男らしさをな。いまどきの戦士どもは殺し合いを恐れる。敵を生けどりにして生贄にすることばかりを考えておる。そのせいでいつのまにか腰抜けになってしまったのだ。ルーゴは、そんな戦士たちに真の戦(いくさ)とはどんなものかを教えているのだ」
 チャンはにやにやしながらわたしの顔色をうかがう。そして、冷やかすような口ぶりでこう言った。
「まあ、こんなことはあまり言いたくはないが、ルーゴとあんたとはずいぶん人間がちがうな。あんたは腕っぷしのほうはからきしだめなようだし」
 わたしは力なくうなずく。ルーゴという男は確かに剛毅活発で勇猛果敢、このわたしはどうせ軟弱で弱虫なのだ。かつてクリストバル・コロンが言ったように、わたしにはならず者のような向こう見ずさもないし、金貸しのような小ずるさもない。ルーゴはそういった素質もそなえている。わたしのような者が、まがりなりにもこうして商人として過ごしていられること自体が不思議なくらいなのだ。それもまったく、ヌシという恩人とチャンという相棒のいるおかげなのだ。そんなふうにわたしが我が身を責めさいなんでいると、ルーゴの覇気のある野太い声がひびいた。
「おお、来てたのか。いま着がえてくる。ちょっと待っておれ」
 汗に光る肌がまぶしかった。笑顔はもっとまぶしった。風のように待ち人の前に来たり、風のごとくにそこを出ていったルーゴは、また風のように戻ってきた。小ざっぱりとした木綿の服をまとっている。女官がルーゴのもとにカカオの冷たい飲料を運んできた。彼はそれを口にしながら言った。
「なんだ二人とも、ばかに深刻そうじゃないか」
 わたしは息をととのえて言った。
「ルーゴ、大変なことが、といっても決してわるいことではないんだが、起こったのだ」
 ルーゴは太い眉を寄せ、怪訝そうな顔つきでわたしを見る。
「エスパーニャの船がコスメルに来たんだ。五百人ものエスパーニャ人がそれに乗ってるんだ」
「ほ、ほんとうか?」
 わたしはうなずいた。
「さあルーゴ、帰ろう。エスパーニャに帰ろう」
 ルーゴはあいまいに首をゆすった。それは拒否のようにも、消極的な承諾の合図のようにも見えた。沈黙の長い時がながれた。ルーゴの体がひとまわり小さくなったように思われた。やがてルーゴは勢いよく顔を上げ、目をかっと見開き、こう言った。
「おれにはこの地でめとった妻がいる。三人のかわいい子どももいる。周囲からは戦士として一目おかれ、戦いともなれば指揮もとる。おれのこの体には入墨があり、耳と唇には穴だって開いている。いまさらエスパーニャ人の前に出ていくことなんてできないよ。おまえだけで行くがいい。おれはここに残る」
 チャンが言った。
「よく言いなすった。あんたは真の勇者だ。あんたはおれたちの誇りだ」
 ルーゴはうつむいている。ひざの上に涙がぼたぼた落ちている。わたしは言葉が出ない。再び長い沈黙・・・。ルーゴはひと言も発しない。
 ルーゴの決意はゆるがないようだ。わたしはあきらめて立ちあがり、ルーゴの肩に手をかけた。
「ルーゴ、さらばだ。わたしだけ行くよ。もし・・・もし心変わりしたならすぐに連絡してくれ」
 ルーゴは、肩に置かれたわたしの手に自分の手のひらを重ね、小さくうなずいた。ルーゴの手のひらのぬくもりがさざ波のようにつたわってくる。小刻みに震えるこのぬくもりを、わたしは生涯わすれることはないだろう。

     しょの2

 重い沈黙を残したまま、わたしたちはルーゴのもとを去った。帰る道すがら、チャンの口から思いもかけない言葉が発せられた。
「わしも連れていけ。きっと役にたつ」
 わたしは最初、彼が何を言っているのかわからなかった。わたしがきょとんとしていると、彼はこう言った。
「あんたと一緒にわしも行くんだ」
「一緒に行く?」
「そうだ」
「どこへ?」
「あんたの故郷へ、と言いたいところだが、実はちがう。これはわしの勘なのだがな、あんたはたぶん故郷へは向かわない」
「なぜ?」
「別の運命があんたを連れ去っていくのだ。その運命はあんたの故郷へは向かわない。わしらのこの土地のずっと遠くのどこかへ、それはころがっていくのだ。だからわしもついてゆく」
「商売のほうはどうする?」
「気心の知れた仲間にゆずる。たっぷり礼をはずませてな。ヌシだって許してくれるだろう」
 わたしの運命についてチャンの言うことが当たっているのだとすると、チャンがわたしについてくるというのも、それが彼の運命というものなのかもしれない。わたしは反対するのをやめた。
「後悔してもしらんぞ」
「悪さや卑怯なまねをしてしまったんじゃないかぎり、わしは後悔なんてしたことはないぞ。後悔ってのはあのときにああしておけばよかった、こうしておけばよかったと思い悔やむことだろう。あのときの自分を否定することだ。しかしな、あのときの自分が自分に恥じない自分であったのなら、自分で自分を否定することはないのだ。たとえ自分がまちがっていたとしてもな。悔やむのではなく甘受するんだ。受けいれてしまうのだ。それだから、わしには後悔なんてものは存在しない」
 なるほど、そういうものなのか。この地の者はようするに、とり返しのつかないことや、あらがいがいようもないことであってもあっさりそれを認めてしまい、べんべんとひきずることはせず、それをふつうのこととして受け入れるのだ。大神官も言っていたように、この地のあちこちに散在する古い都市の遺構群は、何らかの事情で、それら諸都市の寿命が尽きたのを理由に棄て去られたものだというが、そのようなあきらめのよさが、この地の人々の精神の骨格をつくっているのかもしれない。
 よし、話は決まった。わたしはチャンと共にコスメルへ行くことにする。わたしの、そしてチャンの新しい運命に出会いにいくのだ。
 翌日、さっそく旅じたくにとりかかったのだが、ひじょうにつらいのは、ヌシ・パンヤオとの別れである。彼にどうやってきり出したらいいのか。彼には筆舌ではつくせぬ恩を受けている。わたしがこうして自由の身でいられるのも、みな彼のおかげなのだ。
 しかし言わねばならなかった。日が落ちかかるころ、わたしとチャンはヌシの邸宅を訪れた。ヌシは在宅していて、ちょうど夕食にとりかかるところだった。わたしたちはその食事の相伴にあずかった。
 食後の葉巻の時間に、わたしはおずおずときり出した。
「旦那さん。とうとうお別れのときがきてしまいました。わたしの故郷の船がコスメルにやってきたのです。その船にはわたしの同胞が五百人も乗っています。そして彼らの隊長からの手紙も受けとっています。これがそれです」
 わたしは、コルテスという男からきた手紙をヌシにさし出した。ヌシは手紙を受けとって、ためつすがめつそれを検分した。この地には紙はまだなかった。彼はようやく書面に目を落とした。もちろん彼に読めるわけがない。
「これがおまえたちの使う文字なのか」
 わたしはうなずく。ヌシは、この地で使われる奇怪な絵文字とはあまりにへだたる文字のたたずまいに、しばし見とれていた。彼はぼんやり言った。
「何と書いてある」
「西への航海の途次に、コスメルにたち寄ったということです。そこでわたしとルーゴの噂を耳にしたのです。ぜひ会いたいから、至急コスメルに来るようにと言っています」
「止めてもむだなのだろうな」
 ヌシは、わたしが故郷に帰る望みを決して捨ててはいないことを知っている。わたしは力なくうなずく。横にいるチャンがいいにくそうに言った。
「実は、わしも一緒に行くんだ」
 ヌシは目をまん丸にひんむいた。
「一緒に行くだと!」
 チャンは神妙にうなずく。
「おまえまで行ってしまうのか。商売はどうするんだ」
 わたしたちは言葉が出ない。ヌシは我々の顔を交互にじろじろながめていたが、ふっと表情をゆるめて言った。
「ふむ、何ともつらいことにはなったが、一つだけいいこともあるぞ」
 ヌシはにやにやしている。
「本当を言うと、わたしは退屈をもてあましていたんだ。だからな、おまえたちのいなくなったあとをひき継いで、商売に戻ることにするよ。前からそうしたかったんだが、おまえたちの足手まといになってはいけないと思って、言い出せなかったんだ」
 チャンの顔がぱっと輝いた。
「うん、それがいい。まだ老け込む歳じゃない。隠居は早い。それにな、わしらはたぶん、こいつの故郷には向かわん。わしの勘なのだがな。この地のずっと遠く、たぶん西のほうにあるどこかへ向かうはずだ。その見知らぬ地で、商売に有利な情報はいくらでも手に入る」
「そうだといいのだがな、チャン。おまえの勘が当たることを祈ってるよ」
「なに、大丈夫だ。わしにまかせておくがいい」
 二人は、わたしをさしおいて無責任なことを言い合っているが、それでも、そのおかげで重苦しい雰囲気がやわらげられたのはありがたかった。ヌシは「さあ呑もう」と言って、バルチェ酒の入った甕を召使に持ってこさせた。わたしたちはバルチェ酒を酌みかわして、ときには笑い、ときには涙しながら、夜半まで尽きることのない思い出話に花を咲かせた。
 翌日はひどい二日酔い。終日、死んだようになって過ごしたが、チャンは元気だった。さすがに鍛え方がちがう。出発は明日に伸ばすことにする。
 明くる日の早朝、わたしとチャンは港にいた。コスメルへ向けてついに船出するのだ。ヌシとルーゴと黒マントの大神官、それに商売仲間の面々が見送りに来てくれた。ルーゴは、王様夫妻からことづかった記念の品々――水晶でつくられたお守り、黄金の首飾り、いぶした黒曜石製の魔よけの鏡、黄金製の貝殻やヒスイを編み込んだ脚絆、美しく彩色された皮のサンダルなどを手わたしてくれた。ルーゴはもうふっきれたと見えて、未練の陰など微塵も感じさせないすがすがしい笑顔を浮かべていた。
 大神官が言う。
「いよいよ行ってしまうのだな。でもな、これがあんたとチャンの運命なのだ。運命を前にして決してころぶではないぞ。運命と共にころがっていくのだ。今年は一の葦の年だが、この地のはるか西方ではきっと大変事が起こる。あんたたちはそれに立ち合う」
 わたしは、チャンが言っているのと同じようなことを告げる大神官の目を見た。いつもにも似ずきびしい光をたたえている。彼の言うことを素直に聞いておこう。このようなことを軽はずみに言うような男ではないのだから。
「おおせに従って、運命のままにころがっていきましょう」
 そう言って、わたしは大神官の手を握った。初めて握るその手は、乾いて暖かかった。
 こんなときというのは、意外と語る言葉が出ないものである。万感というものがいかに言葉を無力にしてしまうかを思い知った。つたないありきたりの別れを告げるぐらいが精いっぱいだった。
 うしろ髪のひかれるような思いをふりきり、チャンとわたしは波止場に横づけられたカヌーにとび乗った。ヌシが言う。
「さあ、行くがいい」
ルーゴがうなずいている。その目は心なしかさびしげだった。わたしは胸がつまる。ゆるゆるとカヌーが岸を離れた。わたしは声にはならない言葉を波止場へ向けて投げかけた。ああヌシよ、言葉につきせぬ恩人よ、本当にお世話になりました。受けたご恩は生涯忘れることはありません。おおルーゴよ、真なる丈夫(ますらお)よ、すえながく達者でな。なあに、おまえなら大丈夫、大丈夫だ、きっと。ああ大神官よ、未来を読む真(まこと)の賢者よ、あなたのおかげでわたしはほんの少しだけ賢くなった気がします・・・。その彼らの姿がみるみる小さくなっていく。

     しょの3

 チェトゥマルを出航して五日後の夕刻、コスメル島が視界に入ってきた。カヌーは急に元気づいて、ぐんぐん島との距離をちぢめていく。そしてついに、わたしの視線は、入江に停泊しているエスパーニャ船団の豆粒のような姿をとらえた。おりしも一五一九年三月三日のことだった。
 船影がしだいに大きくなっていく。それに比例してわたしの胸の鼓動も早まる。チャンはあっけにとられたような顔をして言った。 「おい、ありゃあなんだ? 山が浮いているのか。いやちがうな、木材でできておる。でっかい家のようだ。家が浮かんでいるのか?」
「うん、まあ家と言えないこともないがな。実はあれは船なんだ。ふだんはたたんである大きな布きれを、出航のときには広げて風を受けて走るんだ。想像もつかないような長い距離を航海できる」
 そう言っているあいだにも船影はさらに近づき、船体の木目が判別できるくらいになった。甲板には誰もいない。六人の漕ぎ手をせかしにせかして、わたしたちは船に接近する。ぐんぐん近づく船体へ向け、わたしは待ちきれずに手をさし伸ばす。ひと漕ぎ、ふた漕ぎ、み漕ぎ、ついにわたしの手は船体に触れる。その瞬間、失われた八年がいっきにけしとんで、わたしは一人のエスパーニャ人に戻っていた。
 カヌーが浜辺に着いたとき、わたしは思わず歓声をあげた。踊りだしたいような気分だった。もうすぐエスパーニャの同胞たちに会えるのだ。チャンはというと、彼はまだ入江に浮かぶ船の群れを飽かずながめていた。彼のいう浮かぶ家が十一軒も海上にあるその異観は、確かに彼の度肝を抜くに足るものだったろう。
 たっぷり報酬をはずんで、カヌーの漕ぎ手たちを帰らせたあと、わたしたちは浜辺の向こうに見えている小さな集落へ足を向けた。浜辺にはひとっこ一人いない。夕闇はさらに濃くなってくる。少し心細くなりはじめたとき、浜辺のとぎれるあたりからはじまるジャングルのなかから男たちが五人ばかり出てきた。その姿かたちはまさにエスパーニャ人のものだった。銃を持っている者もいる。わたしは手を振りながら大声で叫んだ。もちろん、エスパーニャ語で。
「おーい、わたしだ。あんたたちが探している落し物のエスパーニャ人だ」
 男たちはたちどまり、こちらのほうを見ている。わたしはまた叫んだ。
「何をぐずぐずしてるんだ、早くこっちへ来てくれ。この地で原住民と共に八年もすごしたエスパーニャ人がここにいるんだ」
 男たちはかけ寄ってきて、わたしとチャンをとり囲んだ。わたしはコルテスという男からきた手紙をとり出して、彼らの一人に手渡した。手紙を渡された男は、ちらとそれに一瞥を与えるや歓声をあげ、わたしに抱きついてきた。まわりをとり囲む男たちも大きな歓声をあげた。そしてかわるがわるわたしたちを抱きしめた。決して夢なんかではない。わたしはとうとう、同胞のもとに帰りおおせたのだ。
 野豚狩の帰りだというエスパーニャの男たちと共に、わたしとチャンは彼らの宿営している宿舎へ向かった。エスパーニャの男たちは、かわるがわるいろいろなことを問いかけてくるが、しまいにはわたしは、久方ぶりに聞くエスパーニャ語の洪水にどっと疲れをおぼえて、ただあいまいに笑みを返すしかすべがなくなっていた。チャンはすっかりおびえあがって、わたしの腕にしがみついていた。
 わたしたちは集落内に入った。日がすっかり暮れているなか、我々は大きな住居――たぶんこの集落のカシケの家――に向かって進んでいった。大勢のエスパーニャ人がその家の門前で待ちうけていた。すでに伝令が飛んで、わたしとチャンの到来を報告してあったのであろう。我々の姿を認めるや、彼らは大歓声をあげた。銃を鳴らす者もいる。
 彼らのなかから、上背のある、均整のとれたがっしりした体格の男が一人進み出てきて、わたしたちのところにゆっくり歩いてきた。供の者にたいまつを持たせている。わたしの隣にいる男が「隊長のコルテスだ」と小声で教えた。

エルナン・コルテスのオリジナル肖像画の複製
wikipedia
より引用

スペインの通貨はペソ→ペセタ→ユーロと変遷してきた。上図は 1,000ペセタ(700円前後)紙幣に印刷されていたエルナン・コルテスの肖像(イケメン過ぎ)。

 わたしとコルテスとはいま互いにたち止まり、しばし見つめあった。ひき込まれるような心地よい笑顔がそこにあった。彼は言った。
「ようこそ。本当にようこそ。もうおいでがないのかと思って、実は明日にでも出発するつもりで、船積みのほうもすでに済ませておったところです」
 わたしは適当な言葉が思い浮かばず、ただうんうんとうなずくのが精いっぱいだった。チャンもわたしを真似て、しきりにうなずいている。わたしは一瞬、自分がチャンと同じ種族の人間なのかと疑ったほどだった。
「あなた方を歓待する準備をいま大急ぎで進めています。さあ、何はともあれ宿舎に入っておくつろぎくだされ」
 コルテスはそう言って、先にたって歩きだした。わたしたちは彼のあとに従って大きな住居へ入った。
 その夜はたいへんな騒ぎになった。わたしとチャンが現れたのをだしにして、エスパーニャ人が呑めや歌えやの大饗宴をくり広げたのである。わたしはもう疲れ果ててしまって、杯を口に運びはしたもののただうすぼんやりして、えへらえへらしていた。コスメルへの長い航海の疲れよりも、砲弾のように飛びかうじつに久方ぶりのエスパーニャ語についていくことのほうがずっとしんどかった。
 一方、大酒呑みのチャンはさすがだった。生まれて初めて口にする異国の酒――葡萄酒やラム酒を、おそれげもなくぐびぐびあおっていた。この地の男どもはチャンと同様、酒を前にするとほどというものを失うが、なあに、この夜のエスパーニャ人だって似たようなものだった。彼らは主賓たるわたしたちについてのあれこれを聞くことも忘れ、たまに聞いてもすぐ忘れた。
 この夜の宴会でわたしは、エスパーニャの実質的な国王が、ファナの父であるファランから、ファナとその夫フェリペとの長男、カルロスに代わったことを知った。やり手の精力家として知られたカルロスの祖父ファランは三年前、六十三歳か六十四歳で死んで、女たらしの父親フェリペも若死にしてすでに久しく、母親のファナは狂っているため、当時十六歳だったカルロスにお鉢が回ってきたのだ。しかも今年、本家方の祖父である神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世も死んだため、カルロスはその跡をも継ぐであろうということだった。もしそうなればエスパーニャは、フランデス(フランドル)、南イタリアだけでなく、マクシミリアン一世の宗家であるハプスブルク家の広大な領地をも併合して、一挙に大帝国にのしあがるわけである。
 しかし、名目上のエスパーニャ国王は、依然として狂女王のファナであることにかわりなく、彼女は幽閉された修道院の高い塔の上で、衣服も着がえず、大小便もたれ流し、食事も手づかみで食べ、火鉢すら満足にあてがわれないという、凄惨な日々を過ごしているという。
 翌日の午前、眠い目をこすりこすり、ひどい二日酔いに悩まされながら、わたしとチャンとコルテスは三人だけで話し合った。わたしはあらためて自分の姓名を名のり、出身地を告げ、チャンを紹介した。
「この男はチャン・プー。この地の者です。わたしとは妙にうまが合って、さんざん世話にもなりました。わたしがエスパーニャに帰ると言うと、この男も一緒に行くと言ってこうしてついてきたのです」
「えっ、それではこの男は、もう一人のエスパーニャ人ではないのか?」
 と、コルテスはチャンを指さしながら言った。わたしはうなずいた。
「どうりで風貌がエスパーニャ人らしくないわけだ。とすると、もう一人のエスパーニャ人はどうしたのです」
「彼はルーゴという男で、パロス出身の船乗りでした。わたしたちは八年前に、船で遭難してこの地に流れついたのです。たった七人だけでした。その七人のうち、何とかこうして生き残ったのはわたしとルーゴだけで、ほかの者たちは原住民の生贄となったり、病気になったりして、みな死んでしまいました。
 ルーゴはいまではチェトゥマルという国の重臣で、一軍をあずかるほどの身分に出世しています。原住民の女をめとり、三人の子どももいます。この地の風習にならい、体には入墨を入れ、耳と唇には飾りをつける穴も開けています。そのような姿でいまさら、エスパーニャ人の前に出ていくことはとてもできないと言っています」
「エスパーニャ人の誰かを使いにやって、もう一度説得してみたらどうだろう」
「やめたほうがいいでしょう。ルーゴの気持も察してやってください。わたし以外のエスパーニャの人間を彼に会わすのはひどく酷なことだと思います」
「ふむ。そういうものかの。あきらめるほかないというわけかの」
 と、コルテスは妙に年寄くさい言いかたをした。あとで知ったことであるが、彼はわたしより二つ年上だった。
 コルテスは、急に思いついたように言った。
「ところであんたは、この地の言葉はしゃべれるのだろうな?」
 彼のわたしに対する言葉づかいが、だんだんぞんざいになっていくことに気づく。
「ええ、しゃべれます。いまではエスパーニャ語のほうがむしろあやしいくらいで」
 コルテスは二度、三度うなずいて、満足そうな笑みを浮かべた。
「あんたには通訳になってもらう。マヤの住民の言葉を我々の言葉になおして我々につたえ、我々の言葉をマヤの住民の言葉にかえて彼らつたえてほしい」
「マヤとはどこのことです」
「この島の対岸にひろがる大地を我々はマヤと呼んでいる。実は我々はいま、先の遠征隊が対岸の北方で見つけたカトーチェ岬というところで生け捕った二人の原住民を通訳として用いている。この者たちが、自分たちの生まれ育った地域がかつてはマヤと呼ばれていたというので、我々もそう呼んでおるのだ。もっともな、我々の仲間うちではユカタンという者もおる」
 マヤとは、六十年ほど前までこのあたり一帯を支配していた強国、マヤパンのことであろう。チェトゥマルへの移住の旅の途中、大神官からその名を聞かされたことがある。それからコルテスが奇妙な発音でいうカトーチェ岬のカトーチェというのは、「さあ、こちらのわたしの家へおいでなさい」を意味しているこの地の言葉である。同様にユカタンもこの地の言葉で、「何を言っているのかわからない」を意味する。原住民の言った言葉をそのまま地名にしてしまったのだろう。おかしくなってわたしはにやにやしてしまう。
 コルテスがいぶかしげな顔をして聞いた。
「何がおかしい」
「いや、何でもありませんよ。ところで、あなた方の船は本当に今日、出航するんですか」
「いや、今日はみんな二日酔いだ。明日にしよう」
 チャンは、わたしとコルテスの言葉のやりとりをうずうずして聞いていた。むりもない。チャンには、わたしたちの話す言葉がまったくわからないのだ。彼はわたしの服の袖をひっぱって小声で言った。
「おい、あんたたちはさっきから何をしゃべっているんだ?」
「ああ、チャン、すまない。あんたには我々の話す言葉がわからないんだったな。なあに、たいしたことはしゃべってないさ。コルテス隊長は、あんたらの言葉がわかるわたしに、通訳になってくれと言ってるんだ。あ、それからな、コルテス隊長はあんたのことをルーゴとかん違いしていたぞ」
 チャンはにやりと笑みを浮かべ、
「ルーゴとまちがわれるなんて光栄だがな。しかしルーゴのほうは承知せんだろう」
 と言った。わたしは笑った。コルテスも意味はわからないなりに笑みを浮かべる。愛想のよい男だ。
「それからな、コルテス隊長ひきいる船団は明日出発するそうだ」
「おっ、そうか。じゃいよいよ西へ向けて船出するのだな」
「そうだ」
「出発が明日だというのであれば、お参りできるのは今日しかないな。すまんが、ちょっと席をはずしてかまわんか」
 わたしはチャンの希望をコルテスに告げた。
「ああ、それはかまわんが、何をお参りするというのだ?」
 わたしは、コルテスのこの言葉をマヤ語(今後、この地の原住民の言葉をこう呼ぶことにしよう。また、この地の原住民のことをマヤ人と称することもあろう)に訳してチャンにつたえた。チャンは答えた。
「コスメルへ来たなら、それはイシュチェルに決まっておる。ここはイシュチェルの聖地なんだからの」
 これをエスパーニャ語になおしてコルテスにつたえるわけなのだが、こんな通訳のうんぬんかんぬんをいちいちことわっていたのではきりがないので、今後はわたしが通訳しているのは自明のこととして、それをいちいちことわることなく、マヤ人とエスパーニャ人との会話を進めていくことにしたい。
 チャンの答をひきとってコルテスが言った。
「ふむ、この島はそのイシュチェルとかいう神の聖地なのか。どうだ、そのお参りとやらにわたしも連れていってくれぬか。おまえたちの信じている神というものをこの目で見てみたいのだ」
 チャンが愛想よく答える。
「ああ、いいとも、ついてきなさるがいい」

     しょの4

 いまにして思えば、わたしとチャンとがつき合わされることとなった、コルテス一行らによるメシカ(メキシコ)遠征への最初の運命的な第一歩は、このコスメル島のイシュチェル神殿からはじまったのである。

コスメル島のイシュチェル神殿遺跡(サイト「マヤ遺跡探訪」より引用)

 コルテスとその隊員らは、この神殿において、神官と土地のカシケの止めるのも聞かず、イシュチェルの神像を粉々にうち砕いた。対岸のユカタン各地からやってきていた大勢の巡礼者を前に老神官がたれる長説教をわたしの口づてに聞いて、その内容のあまりのまがまがしさと荒唐無稽さにコルテスが腹をたてたのだ。神像は、小高い基壇の頂きの石造の神殿からエスパーニャ人兵士らによってひきずり出され、石畳に横倒しにされてばらばらに砕け散り、階段にけ落とされた。巡礼者たちのあいだから嗚咽ともつかない悲鳴があがった。
 コルテスは部下の兵士に命じて、イシュチェルの神像のあとにクリスト教の祭壇をつくらせた。祭壇は、この地のどこにでもころがっている石灰のかたまりをかき集めてつくられた。
 わたしたちは急ごしらえの祭壇にぬかずいた。同行の従軍牧師がミサを捧げる。コルテスから強引に与えられた小さな聖母像と十字架を手にした神官とカシケ、それに何も知らされてはいない巡礼者らの一群がそれをじっと見つめる。さぞかし奇妙な光景だったことだろう。
 チャンは我々のすぐうしろにつっ立っている。彼の背後には神官とカシケ、さらにそのうしろの神殿の前庭には巡礼者の一群がいる。チャンは我々異邦の者と、自分の同胞とのはざまでぽつんと佇立している。その顔はぼんやり虚脱していた。
 コルテスは、神官とカシケを呼び寄せて言った。
「さあ、これからは我らが帰依したてまつる正しく清い神におつかえするのだ。これまでおぬしらが奉じてきた邪悪な神のことは忘れ、新しい祭壇をいつまでも大切にして、新しいまことの神におつかえするのだ。さすれば、おぬしらの汚れた魂は浄められ、地には争いごともなくなり、豊かなる作物の恵みにもあずかれるであろう」
 いまでも争いごとはなく、豊かな恵みにもあずかっている神官とカシケは、それでも神妙にコルテスの言葉を聞いていた。その顔は早くここをたち去ってくれといっていた。神官は、コルテスに神像の破棄を強要されたとき、「我々の神をどうしても撤去するというのなら、お手前がたご自身の手でそれをなされるがよろしかろう。だが、我らが神はそんな非道は決してお許しにはならない。お手前がたは必ずや海において神罰にあうであろう」と言っていたが、顔をふせた肚のうちではきっと真剣に、その神罰の成就を願っていたことだろう。
 コルテスは神官とカシケにやさしい言葉をかけ、自分は、初めて目にしたこの地の神に対して反発しているのであって、おぬしら住民らと争いをかまえるつもりはさらさらないと言った。そして、別れぎわには彼らの肩を抱き、ガラス玉も与えた。ガラス玉は、エスパーニャにはいくらでも転がっているごくありふれたものだが、もちろんこの地にはまだ存在しない。コルテスは、エビでタイを釣ろうという魂胆で、このガラス玉を大量に持ち込んできていた。
 次の日の朝、待ちにまった出航のときがやってきた。十一隻の中大型帆船と小回りのきく小型帆船一隻からなる堂々たる船団が、ついにここを出発するのだ。歩兵五百八人、船員百九人、弩(いしゆみ)をあやつる弓兵三十二人、銃兵十三人という大所帯である。さらに、馬が雌雄合わせて十六頭、青銅製の大砲が十門、船上砲が四門、それに多数の犬、大量の火薬と弾丸、そして糧食がある。
 わたしとチャンは、コルテスと共にいちばん大きな旗艦に乗り込んだ。国王旗が風にはためいている。

コロンブスが使ったとされる中古帆船「サンタマリア号」

 チャンが乗船するところはけだし見ものだった。
「おい、わしの手をとってくれ。一人では怖くて乗れん。足がふるえる。何でこんなに大きなものが水に浮くんだ。何か魔法でも使ってるんじゃないのか。その魔法使いはどこにいる。そいつはわしがこの船に乗るのを許してくれておるのか。そうじゃないとわしに呪いがかかる」
 わたしはそんなチャンをなんとかなだめすかして、彼の手をひいて船にひっぱり上げた。
 チャンはもう一つ、大きな恐怖に出くわさねばならなかった。それは船上の馬だった。この地には馬は棲息せず、それどころか牛も羊も山羊も豚もいなかった。だから彼は馬を初めて目にしたのである。彼は馬に近寄ろうともせず、おっかなびっくりこう言った。
「うへー、ずいぶんでかい鹿だな。いや、よく見ると鹿ではないな。何かの神なのか? わしらの見しらぬ神が、あんたらにはまだいるのだな。なに? これは人を乗せて走るのか。うへー、おそれ多いことだ。この神には生贄を捧げるのか? え、捧げない。草を食うんだと。それでは鹿とおんなじ動物なのか」
 わたしは騎兵の一人を連れてきて馬に乗ってもらい、馬を少し歩かせてくれと頼んだ。チャンはそれを見て、いくらか納得したようだった。馬がしっぽをふると、とびあがって驚いた。わたしは笑いころげた。
 そろそろ出発というそのとき、カシケと神官が別れの挨拶にやってきた。カシケはガラス玉のお礼に七面鳥と蜂蜜をさし出した。さっそくガラス玉の効果があらわれてコルテスは喜び、丁寧に礼を言ってカシケの肩を抱いた。神官は一歩うしろにさがってその光景をながめていた。彼の態度は、カシケに比べるとだいぶよそよそしかったが、伝来の神が否定されてしまった彼にしてみれば、それもまあ、いたしかたないことであろう。
 カシケと神官がたち去ると、船のいかりがついにひき上げられた。天候はいたってよく、船足は順調だった。潮風を全身に浴びるわたしの心は、うきうきはずんでいた。これから西方へ探検におもむき、それがどんな形であれ終えてしまいさえすれば、あのなつかしいエスパーニャに帰れるのだ。チャンのやつは、わたしは故郷へは戻らないだろうなんて言っていたが、なあに、そんなことはあるものか。
 浮きたつようなそんな気分に、ふとある気がかりな言葉が小さな影を落とした。
「今年は一の葦の年だが、この地のはるか西方ではきっと大変事が起こる。あんたたちはそれに立ちあう」
 チェトゥマルを発つまぎわに、大神官がもらしたひと言である。わたしは少し憂鬱になった。うさ晴らしにチャンでもからかおうとしたちょうどそのとき、「船が沈むぞー」という大声が聞こえた。次いで大砲の空砲が鳴りひびいた。そっちのほうを見やると、カサーベパンを積んだ船が潮に流されてコスメルのほうへ戻っていくのが目に入った。カサーベパンというのは、山芋の一種であるユカ芋でつくったパンのことで、この遠征隊員の主食である。コルテスはあわてて全船に向け、コスメルへひき返す指示をだした。
 こうして、わたしたちはさっき船出したばかりのコスメル島へまい戻るはめになってしまった。幸いカサーベパンを積んだ船は沈没をまぬかれて、他の船と共にどうにか帰港することができた。
 島で船を降りるとカシケと神官がやってきて、どういうわけでまた戻ってきたのかとたずねた。コルテスはちょっときまりわるげに事情を説明した。そして、沈みかかった船の食糧を陸にあげる手伝いを頼んだ。神官はにやにやしていた。彼はイシュチェルの神像の破棄を強要されたとき、そんなことをすればあんたらの船は神罰にあうだろうと予言していたが、その予言が見事に的中して、彼はしてやったりとほくそ笑んでいるのだ。
 カシケと神官はコルテスの頼みをきいてくれた。どこまでも人のよい者たちではあるが、これがこの地に生をうけた者たちの天性なのだ。本当に困っている者の頼みをことわるのは、彼らがもっとも苦手とするところなのである。
 住民の協力も得てカサーベパンはいったん陸あげされ、船の修理がはじまった。四日後、船はまがりなりにももとの状態に戻って、カサーベパンはまた船に積み込まれた。コルテスの命令で我々は再び船に乗り込み、昼少し前にコスメルを出航した。
 エスパーニャ人がいうユカタンという地方は、前にも述べたように、耳の垂れた顔の短い犬の、やや上(北)を向いた横顔のような形の半島になっているが、コスメルはその犬のあごの下あたりに浮かんでいる大きな島である。船団はいま、その島を出て犬のあごづたいに北上している。
 船団はやがて、犬の鼻先にまで達したが、ここはエスパーニャ人がカトーチェ岬と呼んでいるところである。船団はここから前額部にそって左、つまり西へ向かい、犬の頭頂部を周回して南へくだり、タバスコをめざす。
 タバスコは、先の遠征隊が住民と交渉して、かなりの量の黄金を手にしたところだという。黄金と聞いてエスパーニャ人がほうっておくはずがない。彼らはほとんど黄金の亡者である。どんなに立派な人間でも、黄金と聞くととたんに人間が豹変し、黄金亡者になり果てる。コルテスとてそれは同じなのだろう。それでまず、タバスコへと向かうのだ。
 船べりで海面を見つめながらチャンが言う。
「わしは恐ろしいものを見てしまった。イシュチェルをあんなふうに扱うのはぜったいにまちがっておる。おまえさんたちの神を、わしたちがあんなふうにうち砕いたら、おまえさんたちはどうする」
 わたしは言葉が出ない。まさしくチャンの言うとおりなのだ。コルテスのとった仕置きの顛末は、ぜったいに許されるべきものではない。とはいってもこの思いは、それほど熱心なカトリックではなく、ましてやマヤという土地に八年間も住んでいたという、とてもふつうのエスパーニャ人とはいえないわたしの感想である。
 エスパーニャ人はみな信心深いし、たいそう熱心なカトリックであるならばコルテスのとった処置は妥当だと言うのかもしれない。そういう彼らとわたしのどちらが正しいのか、正直いってわたしにはわからない。
 チャンが悲しげに言う。
「あんなことをするおまえさんたちと行を共にするわしは、裏切り者になってしまう」
 これは考えてもみなかった大問題だ。わたしはうちひしがれて言った。
「ああチャン、本当にすまない。まさか、コルテス一行があんなことをするとは予想もしてなかったんだ。あんな所業はとても許されるべきものではないよな。あんたどうする? 近くの海辺へでもたち寄ってもらって、あんただけ船を降りるか?」
 チャンはかぶりをふって答えた。
「戻る魂胆がいくらかでもあったら、この船には乗らなかったよ。おまえさんと行くのさ。それがわしのさだめなのだからな。裏切り者と呼ばれてもかまわん。わしは、自分の運命の前でころぶわけにはいかんのだ。自分の運命を裏切るなんてまねはぜったいにできない。それだからな、“決して裏切らない裏切り者”というのが、わしに与えられた宿命なのだ」
 わたしはチャンを見つめた。それはいつものチャンではなかった。すぐそこのどこか遠くにあるようなおかしがたい不思議な気配につつまれていた。この男の運命を変えてしまったのは、ほかならぬこのわたしなのだ。わたしは黙ったままチャンの肩に手をおいた。チャンはふり返り、いつもの屈託のない笑みを返した。わたしは少し泣いた。

     しょの5

 タバスコへは、カトーチェ岬の通過後、八日ほどして到着した。先の遠征隊にも参加した筆頭航海士のアラミノスが、タバスコの町に通ずる大きな河口付近は遠浅で大型の船は入れないことを知っていたので、小舟だけで河口に向かった。河口の様子がだんだんと視界に入ってくるにつれ、誰もが驚いた。河岸といわず、河上といわず、マングローブ林の蔭といわず武装した住民らが蝟集していて、じっとこちらの様子をうかがっていたのだ。
 先の遠征隊はここの住民とはまずまず友好裡に交渉を進め、物の交換も行って金細工の品々も手にしたというのに、今回はずいぶん手荒いお出迎えである。黄金めあての兵士たちはとまどった。
 しかたがないので、河口はさけて、少し離れたところにある岬に我々は上陸した。河口と岬のあいだでにらみ合いがつづくなか、コルテスがわたしを呼び寄せてこう言った。
「すまんがの、河口まで行って連中に口をきいてくれんかの。我々は決して危害を加えたり、悪事をはたらくためにここにやってきたのではない、友好と交易のためにやってきたのだ、珍しい贈り物も用意してある、とな」
 わたしは、コルテスがつけてくれた兵士三人と共に小舟に乗った。するとチャンが、
「おい、わしも連れてけ。おまえ一人では心もとない。わしのほうが口はうまいのだからな」
 と言って、小舟に割ってはいってきた。兵士二人の漕ぐ小舟は河口へ向かった。
 武装した住民らのあげる口笛や雄たけび、太鼓やほら貝の音がどんどん近くなってくる。それらが耳に突きささるほどにまでまぢかに漕ぎ寄せたとき、カヌーが一艘やってきた。漕ぎ手は四人で、舳先近くに男がぬっと立っていた。その男が吠えるように言った。
「おまえたちはいますぐ、ここをたち去れ。ここはおまえたちのいる場所ではない。どうしても町に入るというのなら皆殺しにしてくれる。おまえたちが押しいってこれないよう、町のぐるりには太くて頑丈な丸太で組んだ柵を囲ってある。おまえたちに勝ち目はまったくない。さっさとここをたち去れ」
 わたしは、揺れる小舟に足をとられて、よろよろしながらも立ち上がって言った。
「我々は、あなた方と友好をむすぶ目的でここにやってきた。危害を加えたり、悪さをはたらくつもりはまったくない。贈り物も用意してある」
「おまえたちの仲間は以前にもここへやってきた。おれたちはそいつらと贈り物の交換をして、無事に帰してやった。だが、こんどはそうはいかん。おれたちは、おまえたちが思っているほど腰ぬけではない」
 チャンが言った。
「何で、こんどはそうはいかんのだ」
「えーい、うるさい。おまえたちの知ったことか。とにかくここをたち去れ。さもないと皆殺しだ」
 いらいらした様子でそうどなると、男はカヌーの漕ぎ手に合図した。カヌーは舳先を返し、飛ぶような勢いで仲間のもとへ戻っていった。わたしたちも岬にひき返した。
 わたしはカヌーの男のかたくなな言辞をコルテスにつたえた。彼は、わたしの言葉をすべて聞かないうちにある作戦を思いついたらしく、さっそくそれを部下の将校たちに伝達しはじめた。おそろしく頭の回転の速い男である。
 コルテスのたてた作戦の骨子は、ようするにはさみ討ちだった。弓兵十名をふくむ百人の別動隊を組織して、先の遠征隊によって発見されていたジャングル内の小道をたどって町へ向かわせ、その一方でコルテスひきいる本隊は小船で河をゆく。敵が本隊に気をとられているすきに、別動隊が町に突入するという筋書きである。すでに陽が落ちかけてあたりはうす暗くなっていたので、作戦の決行は明朝ということになった。隊員どうしのあいだで戦術に関する細かい詰めがなされ、各小舟には大砲が二〜三門ずつすえつけられた。
 我々は岬で眠れない一夜を明かして、朝を迎えた。まず恒例のミサにあずかって、いよいよ作戦の開始である。
 百人の別動隊はひそかにジャングル内に消えた。我々本隊は小船を河口へ漕ぎ寄せ、河岸と河上に数えきれないくらいの敵戦士が密集しているなかをゆっくり遡行していった。戦士たちはいっせいに雄たけびをあげ、口笛を吹き、太鼓を激しく打ちたたき、狂おしくほら貝を吹き鳴らした。河上で待ちうけるカヌーたちは我々が遡行するのを妨害する。
 その彼らに対してコルテスは、わたしを介して、友好の呼びかけと、レケリミエントと呼ばれる通告を行った。教皇から特別に託された権限を有するエスパーニャ国王の代理人たる我々が、主の正しいみ教えをこの地にまき広めるために参上したと告げるのがレケリミエントである。上陸の許可と飲み水の提供もあわせてうったえた。だが、彼らは聞く耳をもたず、それどころかいっせいに攻撃をしかけてきた。
 河岸とカヌーから無数の矢と石つぶてが飛んでくる。矢は石の矢尻である。石つぶてはゴムを使った投石具から放たれてくる。エスパーニャ人兵士は応戦した。こちらには敵勢の知らない大砲と銃、それに弩(いしゆみ)があった。敵の戦士らは、初めて聞く大砲の轟音にはさぞかし度肝を抜かれたことであろう。このわたしだって、大砲が実戦に使われるのを見るのはこれが初めてだったのだ。
 我々は、事前に目星をつけておいた上陸地点になんとかたどりつき、泥沼のような浅瀬をはい上がった。このとき、コルテスのはいていた靴が片方ぬげて、彼はうろうろした。後続の者がその靴をひろいあげ、彼に手わたした。彼はばつのわるそうな顔をしてそれを受けとり、こう言った。
「わたしの靴もだいぶ老いぼれた」
 町に突入するには、二重にはり巡らされた頑丈な丸太の防御柵を突破しなければならなかった。敵の戦士らはかん高い雄たけびをはりあげ、かみそりのごとくに鋭い刃をもった石の大太刀、そして棍棒をふりかざして襲いかかってきた。しかし、エスパーニャ人兵士らの鉄の剣のほうが優勢だった。石の大太刀ではいかにも重すぎ、その刃先はもろかった。
 前方に見える町のほうから馬のいななきが聞こえてきた。別動隊が到着したのだ。エスパーニャ人兵士らは勇気百倍し、敵の戦士らは狼狽した。そこをついて兵士らはいっきに防御柵を突破し、町に突入した。
 町はあっけなく我々の占拠するところとなった。住民はとっくに避難していて、町はがらんとしていた。我々は町の中心にある大きな広場へ行った。そこにはひじょうに大きな神殿ピラミッドが三つと、石造りの大きな建物があった。コルテスは隊員たちを呼び集め、声をはりあげてこう宣した。
「このタバスコの地はいま、国王陛下の名においてエスパーニャの領土となった。ここにそれを布告する」
 彼は大仰な身ぶりで剣を抜きはらい、セイバと呼ばれる大木の幹に三度切りつけた。土地の所有権の証しとしての刻印を記したのである。
 それが済むと、隊員たちはさっそく金あさりに狂奔しはじめた。しかし、広場にある大きな建物と三つの神殿には、めぼしいものは何もなかった。神像をはじめとする貴重な品々はすでに運びだされたあとだったのだ。残っているのは、殺された生贄の流した乾いた血痕だけだった。隊員らは大いに落胆した。彼らのあさましいふるまいを目にしたわたしは、内心いい気味だと思った。チャンもにやにやしている。
 やがて味方の被害の状況が明らかになった。負傷者が十四、五名でただけで幸い死者はなかった。
 戦いには勝ったようだが、我々はいま町の広場に孤立している。こうした状況にあって、いちばんやっかいなのは夜である。敵はいまは退散して息をひそめているが、今日行われた戦闘はほんの小ぜりあいにすぎず、敵の本隊はほとんど手つかずのまままだ温存されている。彼らが本気になって夜襲でもしかけてくれば、我々はひとたまりもない。コルテスはそのへんのことはよく心得ていて、その夜は充分な人数の歩哨をたて、厳重な警戒をおこたることはなかった。だが、タバスコの戦士は結局、夜襲はしかけてこなかった。
 それからの数日間は、もっぱら町の周辺の偵察についやされた。偵察隊に対しては激しい攻撃が加えられ、ある隊はかなりの苦戦におちいったのだが、たまたま近くを通りかかった別の隊がかけつけてことなきをえた。
 この戦闘で得た捕虜のうちの一人を、コルテスは和平の使いとして敵陣に送った。ガラス玉も持たせた。しかし、その使者は帰ってこなかった。残りの捕虜の口をむりやりこじあけて白状させたところ、タバスコとその周辺の町々が大軍を結集させて我々を襲う手はずになっていることがわかった。
 なんの襲うのはこっちだ、と叫んで、コルテスはすでに制圧ずみの河口を使って十頭の馬を上陸させた。何日間も船に閉じこめられていた馬たちは足が地につかず、ふらふらしていた。コルテスはこれらの馬を使って騎馬隊を組織した。別動隊として敵の背後を突かせるためである。指揮はコルテス自らとることになった。コルテスは騎兵らに対し、戦闘にあたっては槍を敵の顔の高さに構えて突きまくり、槍を敵にとりおさえられないようにすること、また敵をけ散らしてしまうまでは決して馬を止めないことなどを言い渡した。
 翌朝、例のごとくミサにあずかってから、隊員たちは旗手のもとに整列した。騎馬にまたがったコルテスは、
「さあ、サンチャゴの名にかけて、我らはこれから邪教のやからに正義の戦いを挑む。いささかもひるむことなく、前進これあるのみなるぞ」
 と大音声で言いはなった。兵士たちは「サンチャーゴ」とときの声をあげた。サンチャゴとは、過酷な支配やキリスト教徒迫害で知られるユダヤの王ヘロデによって斬首された十二使徒最初の殉教者であって、その遺骸の埋葬されたエスパーニャのサンチャゴ・デ・コンポステラはカトリック巡礼たちの一大聖地となっている。
 兵士らの金属製の武器と武具が朝日にきらめく。鉄剣、小銃、大砲、そして鉄の矢尻と穂先。手にする盾は鉄製のものあれば、鉄で縁どられた皮製のものもある。大きな盾は地上に立てて銃兵や弓兵が全身を護るのに使う。身につける防具はといえば、綿をたっぷり詰めて刺し子にぬったひざ上までおおう丈夫な鎧、そして喉あて、顔頭巾、すねあてなどなど。鉄の甲冑や鎖かたびらに身を固めた者も小数ながらいる。全員鉄兜をかぶっている。わたしは、金属の武器と武具を知らない敵側のマヤ人の貧弱な武装を思ってせつない思いをした。
 わたしはいま、マヤ人を敵側だと言っているが、果たして彼らは本当にわたしの敵なのか・・・。それは、たまたまこっち側の陣営に身をおいているわたしにとっての、単なる相対的な見えかたであるにすぎないのではないか。わたしがマヤの人々を敵にまわす理由がどこにあるのだろう。このタバスコの地にしたって、ヌシ・パンヤオの大切な交易先なのではないか。
 わたしはかたわらのチャンを見やった。この決して裏切らない裏切り者は、わたしの顔をちらりと見やると、わたしの手をさぐりあてて強く握りしめた。わたしははっと気づいた。裏切り者は何もチャンだけではない、このわたしだってまごうかたない裏切り者なのだと――。

     しょの6

 広場を進発した我々本隊は、一レグア(五・五キロメートル)ほど進んだところで敵の大軍に遭遇した。そこはジャングルが一時とぎれた広い草原となっていた。敵の戦士たちは羽毛飾りを頭上にひるがえし、顔を赤や黒の筋で塗っていた。小さな弓に石製矢尻の矢、石の穂先のついた槍、葦を割って編んだ円い盾、石の刀心の大太刀、石の刃のついた棍棒、ゴムの投石具、それに火にあぶって固くした投げ棒などを手に手に、エスパーニャ人兵士がそれを真似たという、綿を詰めて刺し子にぬった布製の防具を身につけていた。太鼓やほら貝を手にした者もいる。
 わたしにとってはこれは、いままでの小ぜりあいとはまるで異なる、数千にもおよぶであろう大軍を相手に真正面からぶつかり合う、初めての本格的な会戦体験だった。従軍牧師や、わたしのような通訳にたずさわる者などの非戦闘員は直接戦闘に加わることはしないが、万が一のために簡単な武装だけはしている。それでも臆病なわたしの足はふるえる。チャンはわたしにしがみついている。
 頭上に羽毛飾りをひるがえした敵の軍勢は、まさに草原をおおいつくすかのようだった。羽毛の花があたり一面に植わっているかのごとくだった。その羽毛の群れが四方から我々を囲い込んで、矢と投げ棒と石つぶての豪雨を降らせてくる。このすさまじい雨に当たって自軍の兵士が何人か倒れた。耳に矢を受けて即死する者もいる。わたしのところへもたまに矢と石のつぶてが飛んでくる。いかなる運命のいたずらで、わたしはこんなところにいるのだろう。
 味方も反撃して、一進一退の攻防がつづく。痛手を多く与えているのはどうやら味方のほうだ。鋭く固い鉄剣は敵の戦士の腕をはね、首をはねる。おり重なるように攻めかけてくる敵勢らを、銃と弩(いしゆみ)がおもしろいようにねらい撃ちする。敵勢の密集したところをついて砲弾が撃ち込まれる。
 だが、敵はそんなことにはおかまいなしに次々と新手をくりだし、いくらやられても、まるで新たに涌き出るかのように攻めかけてくる。果たしてどのくらいの痛手を与えているのか、見当もつかないありさまだった。それに敵側は、自軍の死者や重傷者を泥や枯れ草でおおって、その被害を隠してしまう。そうしては狂おしくほら貝を吹き、太鼓や木筒を激しく打ち鳴らし、気味の悪い雄たけびと口笛をたえまなくくり返す。
 敵の戦士たちは、こちらの兵士が手にしている鉄剣の切れ味や、銃兵の持つ長い筒から飛んでくる弾丸の威力をいまや知ったようだった。そのため、彼らはある一定の距離以上にはこちらに近づかなくなった。これがルーゴのいう煮えきらず歯がゆい戦いぶりというものなのかもしれない。これだけの大軍勢を擁していれば、いかに我々の武器のほうがすぐれていようと、全軍が一丸となってうちかかってくれば、いかにも無勢の我々はひとたまりもないのだ。そういう本気で戦い抜く強い意志が彼らには欠けていた。彼らはもっぱら不意撃ちでもって敵を倒す。真の白兵戦を挑む蛮勇が彼らには欠如していた。
 そうこうしているうちに、四方をとり囲む敵軍の一方の背後からコルテスひきいる騎馬隊が現れて、敵中に突進した。騎兵らは当たるを幸いと槍を突きまくる。ふいをくらった敵軍はたちまち崩壊し、なだれをうって森のなかに退却しはじめた。草原をあれほどびっしりと埋めつくしていた敵軍の人影が、あれよあれよというまに消え失せ、戦死者と、身動きもかなわぬ重傷者と、飛びちった首や腕や内臓、それにおびただしい血潮だけがあとにとり残された。
 コルテスお得意のはさみうち攻撃が今回も奏功し、我々は大勝利をおさめた。敵側には数百人もの死傷者が出たのに、味方はたった二名が死んだだけだった。負傷者は多かったが、そのほとんどは矢傷だった。傷薬らしきものはなかったので、怪我の治療には敵の死体の脂身を切りとって、それを傷口で焼いて消毒し粗布(あらぬの)でしっかりしばった。乱暴な治療だが、かなりの効果があるとのことだ。
 コルテスは初めての会戦のこの勝利に気をよくしていたが、そのあとに待ちうけていたのは、相手陣営とのだらだらとした交渉の明け暮れだった。
 まずコルテスが、戦いで捕らえた捕虜のうちの二人を和睦の使いとして相手側に送った。二人には、タバスコとタバスコに加勢した町々のカシケら全員がこちらに見参にやってくるよう言いわたし、先方への贈り物としてガラス玉を持たせた。
 相手側は今回はさすがにこの使いを無視することはなかった。和平のしるしとして十五人の奴隷のみがさっそく送られてきた。コルテスはこのやり口にひどく立腹して、奴隷を連れてきた者に向かってこうなじった。
「わたしが欲しているのは奴隷などではない。カシケの全員が恭順の意を表してわたしの前にやってくることなのだ。おまえはすぐにひき返して、わたしがいま言ったことを彼らに申しつたえるがいい。奴隷も連れ帰ってしまえ」
 こうして、十五人の奴隷は追い返されてしまった。
 コルテスの剣幕に怖れをなしたカシケたちは、翌日、貢ぎ物――トウモロコシでつくったパン、七面鳥、魚、果物など――をたずさえた要人の一団をこちらにつかわしてきた。
 コルテスは、昨日とはうってかわった愛想のいい態度で彼らを迎えた。彼らは戦(いくさ)のことについてはなるべく触れようとはせず、かわりに戦闘で亡くなった自軍戦士の遺体の処理をコルテスに願いでた。コルテスは快諾した。使者らは大勢の人夫を呼び寄せると、彼らのしきたりに従って戦死者を始末した。
 さて、それではいよいよ和平の交渉に入ろうとコルテスがもちかけると、彼らはこう言った。
「我々には交渉をまとめる権限はありません。明日、あらためてカシケの全員がこちらにやってくることになっています。話し合いはそのときに願います」
 これを聞いて、コルテスはとんと何かを悟ったような気配で、いかにもものわかりのよさげな表情をつくって二度、三度とうなずいた。
 使者たちが帰っていったあとで、コルテスは周囲にいる者たちに向けてこう言った。
「もうおわかりだろう。この地のカシケどもはみな事大主義の臆病者だ。最初に奴隷を送ってよこした。それでも我々がいい顔をしないと見るや、要人の使いをつかわしてきた。ところがこの者たちには話し合いの権限がないときている。カシケどもはそうやって時間をひき伸ばしておるのだ。ものごとを小出しにして相手の顔色をうかがおうというのが、この地のカシケどものやり口なのだ」
 わたしはこれを聞いて、さすがにコルテスだと思った。チャンのような変わり者は別として、この地の者には確かにコルテスが言うように日和見的な面があり、即断即決をさけ、露骨よりも婉曲を好む傾向がある。そんな精神のありようが戦(いくさ)の闘いぶりにも現れる。もっとも、このタバスコという土地は古くから交易のさかんなところで、あまり戦(いくさ)慣れしていないということもあるのだろう。
 狡知にたけたコルテスはさらに言葉をつづける。
「先だっての戦いで、我々の騎馬隊が敵軍に襲いかかったときの連中のあわてぶりは諸君も見たであろう。彼らは何より、馬に驚いて退散したのだ。この地の者はどうやら馬というものを初めて見るらしい。雷のような轟音をあげて弾丸が飛びだす大砲もまたしかりである。馬も大砲も人があやつるものとは知らず、おのれの意志でかってに打ちかかってくる凶暴な神か生き物なんぞのように思っているのであろう。それならそれで、そこにつけ込んでひとあわ吹かしてやろうではないか。明日、カシケどもがここにやってきたら、馬と大砲でもってあいつらの度肝を抜いてやるのだ」
 このたくらみの効果は想像した以上だった。翌日の昼ごろ、我々の陣営にやってきたカシケたちは、まず大砲の実射の洗礼をうけた。弾丸は空気をひきさいて宙を飛んでいき、彼方の森に落ちて樹々をなぎ倒した。カシケらは期待どおりにふるえあがり、地にたおれふす者まで現われた。コルテスはにんまり笑って、もう一つのたくらみの開始の合図を送った。
 午前中にこの会見場に、簡単に発情する牡馬と、子を産んだ直後の牝馬の二頭を連れてきて、たけりたつ牡馬には牝馬のにおいをたっぷり嗅がせてあった。その牡馬が連れてこられて木につながれた。馬は、会見場にまだ残っている牝馬のにおいにひどく興奮して、地をけりとばし、頭を激しくふって狂おしくいななき、前足を泳がせて後ろ足でつっ立った。これを見てカシケたちはいっそう驚き、怖れおののいた。コルテスは席を立って馬のところへ行き、その手綱をとった。そして二人の馬丁に命じてたけりたつ馬を連れ帰らせた。
 コルテスは席に戻ると、カシケたちに対してもったいぶった言いようで、
「あれは馬と申す凶暴な生き物である。その馬にいま、おぬしらには決して危害を加えないようきびしく言ってきかせた。だからもう安心するがよい」
 と言った。
 会談は一方的にコルテスのペースで進められていったが、それでもコルテスという男

アステカ関連地図
本文中の画像をクリックしても地図が出ます

はやはり利巧者で、決して威圧的に出ることはなく、カシケたちを終始友人として扱った。コルテスの機嫌は上々であったが、その機嫌のよさは、会談中に大勢の人夫によって運ばれてきた七面鳥や魚や果物などの貢ぎ物を見てさらに倍加された。カシケたちの態度も、だんだんとうちとけたものとなっていった。帰りぎわには彼らはすっかり満足した様子で、「もはや抵抗するつもりのないところをおしめしする品々を持って、明日また参上するでありましょう」と言いおいて帰っていった。

     しょの7

 翌朝、タバスコとタバスコに組みした町々のカシケたちは、大勢の供まわりをひき連れて約束どおりコルテスのもとにやってきた。今日の彼らは盛装していた。ここタバスコは各地のさまざまな物産の集散地だけあって、彼らの装束も飾り物もあかぬけがしていた。が、その分、蛮勇の男ぶりにはいささか欠けるところがあった。彼らはコルテス以下我々全員に挨拶を送ると、昨日と同じようにコパルの香をたいて我々にふりかけた。これが彼ら流の外交儀礼なのだ。
 彼らがやっと本気になって持参した献上品は、四個の冠、コウモリや犬や水鳥などをかたどった飾り物、首飾り、儀式用の仮面、それにサンダル敷きなどの黄金細工の数々だった。これを見てコルテスはじめ隊員たちは大喜びした。
 彼らの献上品はこれだけではなかった。何と二十人の若い女がさし出されたのだ。これが何を意味するかは明らかだった。コルテスはこれらの貢ぎ物を喜んで受けとった。
 コルテスはカシケらに言った。
「明日は棕櫚の主の日(復活祭の前の日曜日)だ。頂戴した娘ごらには洗礼を受けてもらって、主のしもべとなってもらう。ご異存はあるまいな」
 カシケらは、どうせくれてやるものであるから、どうぞごかってにという気楽さでこっくりした。コルテスはつづけて言った。
「先に我々の仲間がこの地にやってきたおりには、おぬしらは戦闘もしかけず物の交換なども行ったというのに、このたびはどうして我々に手向かうようなことをしたのか」
 タバスコのカシケが答えて言うには、自分たちの面目回復のためだという。先の遠征隊がタバスコに到来する前にたち寄ったチャンポトンという町の住民は、ひるむことなく遠征隊と一戦をまじえてこれを敗走させたのに、タバスコの住民は、同遠征隊と物の交換まで行ってそのまま帰らせてしまった。その弱腰が周辺の町々の嘲笑の的となって、それが無念で今回は歯向かったというのである。
 コルテスは、もう一つの、そしてこれこそがもっとも聞き出したかったことなのだが、その質問を彼らに投げかけた。
「ところで、おぬしらが我々への贈り物とされたあの金細工の品々はどこから手にいれたのかの」
 彼らは西の方角を指さして、しきりに「クルア、クルア」だとか「メシカ、メシカ」とかくり返した。クルアというのかメシカというのか、いずれにせよそれは、太陽の沈む方角にある土地の名前であるらしかった。その土地についてコルテスはくわしく聞き出そうとしたが、彼らもその土地についてはほとんど何も知らなかった。コルテスはちょっとがっかりしたような表情をうかべながらも、
「まあよい。今日はおぬしらのつらい立場などについてもいろいろと話してもらったおかけで、これまでの疑念が晴れた。つづきは、また明日話すといたそう」
 と言って腰をあげ、挨拶がわりにカシケら一人一人と肩を抱き合った。
 翌日の主役は、貢ぎ物としてさし出されてきた、まだ十代とおぼしき二十人のうら若い乙女たちだった。彼女らに洗礼をさずけようというのである。
 そこいらの石灰をかき集めて急造された白い祭壇には、木の十字架と聖母像とが安置されている。カシケたちが見まもるなか、我々は祭壇の前にぬかずいてミサを捧げた。オルメドという名の神父が、ひじょうな美声でパードレ・ヌエストロ(父の祈り)を唱えた。それが済むと神父は乙女たちを呼び寄せた。神父はわたしを介して彼女らに対し、おまえたちの神殿に祀られている偶像は神ではなく悪魔であるとか、生贄は断じて許されるべき行為ではないとか、この世には唯一の神ヘスース・クリストがあるのみなりとか、よって人はみな主クリストを信ぜねばならぬだとかの、この地の者らにはいつも言ってきかせる恒例の長説教をたれた。そしていよいよ洗礼の儀式となった。
 わたしがまず、彼女たち一人一人に名をたずねる。すると、コルテスがその名の響きによく似たエスパーニャ人名を彼女ら一人一人に与える。その一人一人に対して神父が洗礼をさずけるのだ。
 その女たちのなかで、ただ一人だけ毅然として、怖れげもなくあたりを見まわしている者がいた。おまけにたいそうな美人だった。この娘に与えられた洗礼名はマリーナというものだった。
 この地で最初のクリスト教徒にされたこの二十人の娘たちは、コルテスの差配によって隊の将校たちにわけ与えられた。美貌のマリーナは、コルテスの親友で学道にもひいでたブェルトカレーロのものになった。
 この娘らをともなって、我々がタバスコの町をひきはらい、海に出たのは四月十八日の早朝、乾季もそろそろ明けようとしているころだった。ゆく先は、最終目的地であるサン・ファン・デ・ウルアというところだった。
 大海原を西へ、水にただよう木の葉のごとく船団は進む。そう、十一隻の中大型帆船と一艘の小型帆船からなる堂々たる船団といったって、この大海にあっては木の葉のちっぽけなひと群れにすぎない。
 船べりでチャンが言う。
「タバスコの娘たちが受けていたあの儀式は何というんだ」
 わたしは答える。
「うん、あれは洗礼といってな、クリスト教徒になる者はみな受けるならわしになっている。そしてな、主のしもべとして生まれ変わることを証すために新たな名前もさずけられる」
「じゃああれか、あの娘たちは自分では知らずに、そのクリスト教徒とかにされてしまったのか」
「まあ、そういうことだ」
「いつもながらの自分勝手というやつだな。自分たちの信ずる神だけが正しくて、そのほかの神々はこれすべて邪神なのだ。そんな邪神を信ずる者の意思など、犬にでも食われろってわけだ」
 わたしはつらくなって、視線を陸にうつした。と、あることにふと気づいた。どこまでもたいらかに樹林でおおわれて、単調そのものだったはずの陸のたたずまいが、どこか変わってきているのだ。まず陸に起伏がある。川も増えてる。彼方のほうをようく見てみると、なんとこれまでは決して見ることのなかった山までが望見できるではないか。それらの山々のあるものはひじょうに高く、白い雪までいただいている。チャンが言った。
「おい、あのずっと向こうに見えるあの高いものは、もしかすると山ではないのか?」
 わたしはうなずく。
「そうか、あれが山なのか」
 そう言って、チャンは飽かず白雪をいただく山並みをながめた。
 彼は山というものを生まれて初めて目にしたのだ。彼の生まれ育ったユカタンという土地には山がない。長いたんこぶのように盛り上がった丘陵地帯が一カ所だけあるというが、とても山と呼べるしろものではない。ましてや雪をいただく高山などというのは、ユカタンの住民には想像することすらできないであろう。山という言葉はあるにはあるが、その実物を目にすることは彼らには決してかなわないのである。
「おまえさんと一緒に来て本当によかった。あの山にはきっと神がおられるにちがいない。これからはその神がわしらを見まもってくださる」
 とチャンが言った。

     しょの8

 船団が、サン・ファン・デ・ウルアに到着したのは四月二十一日の昼頃だった。そこは沿岸の小さな島で、大きな船でも入港できるだけの充分な水深があった。先の遠征隊が発見したもので、見つけた日がたまたまサン・ファン(洗礼者ヨハネ)の祝日であったので、こう呼ばれるようになったという。その遠征隊はこの島にいたる少し前に陸に偵察隊を出していたのだが、そのとき、土地の者から一万五千ペソ相当の純度の低い金を入手していた。
 サン・ファン・デ・ウルアのウルアというのは本来はクルアで、このあたり一帯を支配する有力部族の名前、ないしはその部族が本拠とする国をさす言葉であるらしい。クルアといえば思い起こすのが、タバスコの町でカシケらに金細工の入手先をたずねたおりのことである。彼らは西のほうを指さして、しきりに「クルア」とか「メシカ」とかくり返したものである。そのクルアというのがまさに、サン・ファン・デ・ウルアのウルア(クルア)なのだ。
 それではメシカとは何なのか。その答は、タバスコから連れてきた二十人の女たちの一人が出した。その女とは、ブェルトカレーロのものになったあの美貌のマリーナである。彼女によるとメシカというのは、ずっと遠くに白雪をいただいてい並ぶ山嶺の向こう側にある強大な国をさす言葉で、以前にはクルア、さらにそのずっと前にはアステカと呼ばれていたという。つまり、メシカもクルアも同じ国をさす言葉らしい。彼女は、そのメシカの領土であるバイナラという町のカシケの娘として生まれたのだが、父の死後、若い男と再婚した母親にうとんじられて、まだ年端(としは)もゆかぬころ、シカランゴという町から来た老人にその身を売りとばされ、その後さらにタバスコへ行く奴隷商人に売りわたされたのだという。
 このマリーナが、コルテス隊にとりかけがえのない宝であることがやがて判明した。というのは、メシカとマヤとでは使う言葉が異なっていて、サン・ファン・デ・ウルアの対岸にひろがる広大な一帯では、もっぱらメシカの言葉が話されているらしいからだ。メシカの領土で生まれ育ったマリーナはメシカの言葉が話せ、しかもタバスコの住民の言葉であるマヤ語も理解できる。そしてこのわたしがマヤ語が使える。つまり、あいだにマリーナとわたしをおくことによって、エスパーニャ人はメシカの言葉をしゃべる者とも意思を通わせることができるというわけだ。コルテスは運をも味方につけてしまったらしい。
 さて、島に下船しようとその準備におわれているさなかに、誰かが大声で叫んだ。
「おーい、でっかいカヌーがこっちへやってくるぞ」
 コルテスをはじめ全員が陸側の船べりに殺到した。なるほど、人を満載した大きなカヌーが二艘こちらに向かってくる。そのカヌーは我々の乗る船をめざしているようだった。我々の乗る船は船団のなかではいちばん大きく、しかも旗艦なので国王旗がかかげられている。彼らはそれを目じるしにこちらに向かってきているのだろう。
 カヌーが船に漕ぎ寄せられると、乗り手のなかの頭だった者が我々に向かい何ごとか叫んだ。コルテスはわたしを呼び寄せ、あの男が何を言っているのか知りたいと言った。だが、わたしにはカヌーの男の言っている言葉がわからなかった。おそらくメシカの言葉なのであろう。わたしはマリーナに「あの男は何と言ってるんだ」とマヤ語で告げると、マリーナはこう答えた。
「司令官はどこにいる、隊長は誰だ、と言っています」
 わたしはそれをエスパーニャ語になおしてコルテスにつたえた。
 コルテスは大きく腕を二度三度と振りまわし、次いで人差し指で自分をさししめした。それを幾度もくり返すと、カヌーの男は納得がいったようだった。
 カヌーの男はまた別なことを大声で言いたてた。マリーナはその言葉をマヤ語にかえて、わたしにこう告げた。
「我々はメシカの偉大なる王、モクテスマ様の家来の命令によってつかわされてきた者である。あなた方は何者で、何のためにここにやってきたのか。必要なものはないか。もしあれば何でもうけたまわろう」
 これをそっくりエスパーニャ語にかえて、わたしはコルテスにつたえる・・・。
 このように、エスパーニャとメシカの言葉を話す者どうしが話をかわすたびごとに、いちいちわたしとマリーナの通訳をことわっていたのでは、紙面のむだというものである。そこでこれからは、我々の通訳は自明のこととして、それを逐一ことわることなく、エスパーニャとメシカの言葉をしゃべる者どうしの会話を進めていくことにしよう。
 コルテスが部下に命じた。
「あの者たちを甲板に招じ入れるがよい」
 太い綱がカヌーに降ろされ、それをよじのぼって、乗り手のなかのおもだった者たちが船に乗り込んできた。その者らをコルテスが丁重に迎える。
 船にあがった使者たちは、彼らの作法にのっとってコルテスにていねいに挨拶をした。まず、床に指をつき、その指を自分の唇にもっていったのである。あとでわかったところによると、これは、尊敬する相手や身分の高い者に対して行われる土食いと呼ばれる礼法で、メシカとその近隣で行われている古くからの礼風なのだという。
 コルテスは笑みを浮かべて感謝の言葉を述べると、食べ物と葡萄酒を彼らにふるまうよう命じた。それから例のごとく安物のガラス玉類を与えることも忘れなかった。
 コルテスは彼らに言った。
「お初にお目にかかる。我々は、友好と交易を求めてはるばる海を越えてやってきた。珍しい贈り物も用意してある。通訳もいるので、おたがい何でも話すことができる。だから安心して我々を迎え入れてもらいたい」
 使者たちは表面上は平静をよそおってはいるものの、極度に神経質にこちらの様子をうかがっていることは、その目の動きからも読みとれた。しかし葡萄酒の杯がすすむにつれ、その警戒心もしだいにゆるんできて、「モクテスマ王の正式の使者は明後日、ここにやってくるでありましょう」と上機嫌で言いおいて、足をふらつかせながら帰っていった。
 翌日、我々は小舟をくり出し、馬、犬、荷物をともなって島の対岸に上陸した。そこは砂丘がどこまでもうねうねとつづく海辺の砂漠だった。焼けつくように暑く、蚊もうようよいた。狭い船から解放された犬たちが、大はしゃぎで砂丘を走りまわった。
 まず、用心のためにいちだんと高い砂丘の上に大砲がすえられ、物見がおかれた。次いで仮の祭壇で簡単なミサがあげられ、仮ごしらえの倉庫と野営のための小屋がしつらえられた。
 明けて次の日、モクテスマ王からの正式の使者が二人、荷物を背負った人夫らと十人ばかりの従者をひき連れてやってきた。使者の一人はテントリトルといったが、発音しづらいので我々はテンディレと呼び慣わすことにした。もう一人の使者はピタルピトクといって、たいへんに太った男だった。
 使者二人は、砂丘の一角に建てられたコルテスの小屋に招じ入れられた。二人は土食いの礼を丁寧に行い、香を焚いてコルテスとその幕僚たち、それに通訳をつとめるわたしとマリーナにふりかけた。コルテスは歓迎の言葉を述べて、二人の肩をかわるがわるに抱いた。
 従者らが食べ物をさし出した。それは硫黄のようないやなにおいがした。見ると、トウモロコシでつくったパンや魚や果物に血がふりかけられていた。コルテスの顔面から血の気がひいた。彼は怒りのまなざしを使者に向けた。
「これはどういうことだ」
 テンディレがおずおずして言った。
「お食べになられぬのか?」
「あたりまえだ。こんなものを食わせようというのか。おぬしは我々を愚弄しておるのか」
「いや、決してさようなことはござらぬ。今後は二度とこのようなまねはせぬゆえ、お許しくだされ」
 そう言ってテンディレは、従者に命じて血まみれの食べ物をとりかたづけさせた。そしてもう一人の使者であるピタルピトクを指さして、
「これからはこのピタルピトクが、貴殿らの御意にかないそうな食べ物をいくらでもおとどけいたしますので」
 と言った。
 テンディレらがこのような奇態なふるまいにおよんだわけは、これからおいおいにわかってくることなのだが、ここではとりあえず、コルテスという人物がケツァルコアトルなる神の再来であるかどうかを、彼らが試したのだと理解しておいてもらいたい。わざと太らせたピタルピトクは実は生贄要員で、生贄に捧げられたあと、その太った肉を前にしてコルテスがどう振るまうのかを確かめようという魂胆があったのだ。ケツァルコアトルは血と生贄をきらう神なので、生贄の血のついた食べ物と、肥えたピタルピトクを見て、コルテスがそれを喜ばなければ、コルテスはまさしくケツァルコアトルであろうというわけだった。
 コルテスは、汚れをはらうことにした。使者二人にしばらく待つように言い、祭壇を用意させるとオルメド神父にミサをあげさせた。そうして気をしずめ、気をとりなおして、使者二人と食事――まずしいものではあったがまっとうなものだった――を共にした。二人の使者は初めて口にする葡萄酒に目を白黒させたが、杯がすすむにつれたいへんに上機嫌となり、しまいには両の脚をもつれさせるほどだった。
 コルテスは彼らに告げた。例のレケリミエント(通告)である。これはのちに、エスパーニャの人間がこの地に入植したり土地を占有したりするのはおのれ自身の身勝手な理由からではなく、ちゃんとした立派な理由があってのうえでのことであるというアリバイづくりのための常套手段として、コンキスタドーレスたちに悪用されることになる。ちゃんとした理由というのがそもそも身勝手なのだ。コルテスが、このときに行ったレケリミエントとはこんな調子だった。
「我々は、カルロス国王陛下というこの世でもっとも権威のある王のつかいでここにやってまいった。我々の目的は、正しい神のみ教えをこの地の者に告げ知らせることであり、また、この地の者と末ながい友好の実をむすんで、兄弟とも変わらぬ親しきつきあいをすることである。交易も行いたい。ついては、おぬしらがつかえるこの地の支配者のことについていろいろ知りたい。会ってもみたい」
 酔って気を大きくしたテンディレが言った。
「おそれおおくも、我らがおつかえする王の御名はモクテスマと申しあげる。メシカの王でござる。王に会いたいとのおおせであるが、王は貴兄らのことについてはまだ何も知らされておらぬゆえ、いますぐにというのはとてもむりでござる。それよりも、我らが持参いたした特別の贈り物をご覧になられよ」
 そう言うと、テンディレは従者二人に命じて大きなかごを持ってこさせた。そしてコルテスに対して「どうかお立ちあがりくだされ」と告げた。コルテスは言われるとおりにした。
 テンディレが何ごとかを命じた。すると、従者二人はかごのなかからトルコ石をモザイクにした仮面をとりだして、うやうやしくではあるがいかにも唐突にコルテスの顔にそれをかぶせた。我々はびっくりしたが、もちろんいちばん驚いたのはコルテスだった。彼は仮面の裏からもぐもぐと言った。
「な、なんだ、これは!」
 噴きだしたいのをこらえて、彼らに説明を求めると、従者らはただ「ケツァルコアトル、ケツァルコアトル」とくり返すばかりでその手を休めず、こんどは極彩色の鳥の羽毛で飾られた豪華な衣をコルテスに着せかけた。つづいて、蛇をかたどったヒスイの耳輪をつるし、中央に金の円盤がはめ込まれたヒスイの首飾りをかけ、いぶした黒曜石の背鏡を腰にくくりつけ、さらに現地の者には鐘つきと呼ばれているという肩かけをはおらせた。また、両足首には金の鈴のついたヒスイの数珠をむすびつけ、腕には、十字形の金製の貝殻を極彩色の羽毛で縁どった盾をかけ、ふくらはぎには、ヒスイと金の貝殻を惜しげもなく編み込んだすね当てをまきつけた。そして最後に、黒曜石のサンダルをコルテスの前に置いた。

ケツァルコアトル
(サイトThoughtCo.より引用)


 モクテスマから託された贈り物はまだあって、コルテスの前の床にそれが丁寧にならべられた。神のものとおぼしき三組の装束だった。
 沈黙の時間がどこか気まずい雰囲気のなかでながれた。コルテスが仮面の陰からひんやりした声で言った。
「これですべてか? ひとかどの者を歓迎し、その者と近づきになろうというのに、これのみですべてなのか?」
 コルテスの仰々しくも珍妙ないでたちを目にして、テンディレの態度が一変しているのがわかった。にわかに畏れかしこみへりくだり、コルテスの言葉にはひどく怖じけづいてこう答えた。
「おお、これは何ということを申される。貴殿がいま身にまとっておられるのは我らが至高の神、ケツァルコアトルの尊き装束でござる。我がモクテスマ王は、貴殿こそはケツァルコアトルの再来であろうと存知あげておられるのです。おお、我らが神よ、どうかお怒りをおしずめくだされ。我らは貴殿に対し、至上のおもてなしをいたしたのであれば」
 コルテスは仮面をはぎとり、身につけられた衣装と装身具をむしりとり、腕にかけられた盾もぽーんと放りだして大声でどなった。
「この者たちを鎖につないでしまえ!」
 こうして二人の使者とその従者らは、首と足に鉄の輪をはめられて鎖につながれてしまった。
 コルテスは言った。
「おまえたちの王とやらは実にけちくさいやつだ。我らをあなどっておるようだな。よろしい、おまえたちの目の前で我らの戦(いくさ)ぶりをおめにかけよう。しかとその目に焼きつけておくがいい」
 コルテスは部下に命じて馬の用意をさせた。幕僚の一人であるペドロ・デ・アルバラードにひきいられて、騎馬隊は砂丘に整列した。鎖につながれた使者と従者らは、初めて目にする大きな獣におそれおののいた。コルテスはさらに、砲手に命じて大砲の準備をさせた。
 騎馬隊はさっそうと砂丘を駆けだそうとしたのだが、あいにく馬の足が砂にめり込んでうまく疾走できない。コルテスはしびれをきらして、自らも馬上の人ととなると砂丘に馬を乗りいれた。彼はアルバラードに何ごとかを告げた。騎馬隊は砂丘をあとにして浜辺の波うちぎわに向かった。ちょうど潮がひきはじめていたおりだったので、騎馬隊はどうにかさまになる騎馬の駆け足を濡れた砂地に描くことができた。
 こんどは大砲の番だった。コルテスが手をあげて砲手に合図を送った。すざまじい轟音があたり一帯に鳴り響き、弾丸がうなりをあげて砂丘の彼方に飛んでいった。

     しょの9

 使者の一人であるピタルピトクは目をまわして気を失った。従者数名も気絶した。コルテスは馬を降りると、使者と従者らの鎖をはずすように命じた。
 馬を降りたコルテスは、テンディレに向かって言った。
「おぬしは即刻たち帰るがよい。そしてモクテスマとか申す王に、すぐにでも我らと会って話をするように申しつたえよ。しかるのち、王の返答をたずさえ、なるべく早くここに戻ってくるように」
 こうしてテンディレと一部の従者らは国もとに帰還することになった。去りぎわ、テンディレはコルテスに言った。この男は、先ほどの騎馬隊の見せ物と大砲の衝撃からはいち早くたちなおって、いまはけろりとした顔をしている。
「あなた方が頭上にいただくぴかぴか光ったかぶり物は、我らが軍神ウイツィロポチトリがいただいておるものにそっくりでござる。我が王にそれをお見せしたいので、しばらくのあいだお貸しいだくわけにはまいりませぬか」
 テンディレが言うぴかぴか光ったかぶり物とは、兵士らがかぶっている鉄兜のことである。コルテスの目が光った。
「うむ、いいだろう。ついては、ここで採れる金が我が国の金と同じものなのかどうかを知りたいので、ここに戻ってきたあかつきには、かぶり物を金でいっぱいにして返してもらいたい」
 テンディレは承諾した。彼は兜を受けとると、帰りの挨拶もそこそこにたち去っていった。
 あとに残されたもう一人の使者であるピタルピトクは、息を吹き返すと、このあたりの住民らに命じて、隊員らのための七面鳥や野菜、果物などを大量に持参させた。また、コルテスの小屋とそのほかの仮小屋に、日よけのための大きな布をかけさせた。
 テンディレが戻ってきたのは六日後だった。メシカの高官一人と、荷物を背負った百人ほどの人夫をひき連れていた。このメシカの高官、名前はキンタルボルといったが、この男がおもしろいことにコルテスにそっくりだった。あとでわかったところによると、どうやらこれはメシカ側の陰謀らしかった。事実、キンタルボルはその後病没したとされ、これは故意に病気にかからせてコルテスを呪い殺すか、恐怖をかきたたせてこの地を退去させようとしたものであるらしいのだ。もちろん、そんな迷信に負けるようなコルテスではなかったが・・・。
 コルテスは上機嫌でテンディレ一行を迎えいれた。前回にひきかえ、このたびはひじょうにたくさんの献上品がコルテスのもとにもたらされた。まず、太陽をかたどった荷車の車輪ほどに大きな純金の円盤があった。それから、さらに大きな月をかたどったきらきら輝く銀の円盤もあった。そのほか、さまざまな装身具や服飾品、動物をかたどった工芸品、弦を張った弓と矢、用途のわからない杖のような棒、鳥の羽毛で飾れれたかぶり物とかの豪華な品々があって、これらすべてに純金が使用されていた。美しい刺繍のほどこされた大量の綿布もあった。
 何よりもコルテスたちを狂喜させたのは、テンディレが持ちかえった例の兜だった。そのうす汚れた安物の鉄兜には砂金がいっぱいに詰め込まれていた。これは、豊かな金鉱脈の存在をものがたるものだった。コルテスらは、それまでの疲れも吹き飛ぶような思いで、これらの黄金の山にうっとり見とれた。
 かくのごとく贈り物のほうは申しぶんなかったものの、テンディレが持ち帰った王からの返事というのはコルテスを失望させた。コルテス一行がこの地に到来したことは歓迎するが、直接会って話すほどのことはなかろうというのである。
 コルテスはテンディレを執拗にかきくどいて、どうかもう一度だけ国もとに戻って王への謁見を乞うてくれと頼んだ。テンディレは根まけして言った。
「わかり申した。そうまでおおせになるのであれば、あと一度だけ、貴殿の申し出を王におつたえいたそう。まあ、むだであるとは存ずるが」
 こうして、テンディレとコルテスにうりふたつのキンタルボルとはメシカに向けて旅だった。
 このあと、どうした風の吹きまわしか、我々に対する食糧の供給がとどこおるようになった。その任を負わされているはずのピタルピトクが、すっかりやる気をなくしてしまったのである。おかげで我々は深刻な食糧不足におちいった。しかたがないので、黴の生えた虫食いだらけのカサーベパンをむりやり口に押し込んだり、砂浜で貝をひろったり、小舟を出して魚を釣ったりなどしてどうにか飢えをしのいだ。
 そんなさなかにも、コルテスは船を出して海岸づたいに北上させ、沿岸の様子を探らせたりしていたが、十レグア(約五十五キロメートル)ほど先にキアウィットランという要塞のような町が見えたのと、その町の近くの海岸に船を停められそうな場所があったということ以外、はかばかしい成果はあがらなかった。日は無為に一日、二日とたっていく。
 ある奇妙に静かな夕凪のひととき、わたしとチャンとマリーナとは海辺でこんな会話をかわした。
「マリーナ、あんたは負け戦(いくさ)の代償にさしだされた貢ぎ物として、このわしは自分かってな意志によって、わしらの同胞を何人も殺したあの異邦人たちと行を共にしている。そんなわしらは共に、同胞に仇なす裏切り者だ。そうじゃないかね」
 マリーナは答えなかった。気丈そうな顔に苦渋の色がさっとさす。わたしはそっとチャンの肩をたたいた。裏切り者は、すぐ隣にももう一人いるのだ。わたしはつらくなって話題をかえた。
「マリーナ、コルテス殿がモクテスマの使者たちと初めて会ったときに、何とも珍奇な扮装をさせられたのをおぼえているだろう」
「ええ、忘れるものですか」
「わたしは思わず噴きだすところだったよ」
「とんでもないことだわ。あれはね、ケツァルコアトルというこのあたりではいちばん偉い神様の姿かたちを真似たものなの。その神はマヤ人のあいだではククルカンと呼ばれているわ」
「えっ、するとククルカンってのはそのケツァルコアトルとかいう神と同じ神様なのか?」
 と、チャンがすっとんきょうな声をあげた。マリーナは静かにうなずいた。
「わたしはテンディレにそっと聞いてみたの、何だってあなたはコルテス殿にあんなかっこうをさせたの、って」
 マリーナの声は決してきれいではないが、不快さはなく、またよく通る。二人がかりで通訳をしていてわかったことであるが、この娘はとても明敏で、機転もよくはたらく。
「テンディレはこう言ったの。彼らの王であるモクテスマ殿下は、コルテス殿をケツァルコアトルの再来だと信じ込んでいるのだって」
 そういえば、コルテスが怒ってあの扮装をかなぐり捨てたあと、テンディレがそのような名前を言っていたのをわたしは思いだした。
「それで、その神の衣装をコルテス殿に着せたってわけか」
 とチャンが言う。わたしは彼女にたずねた。
「それならばなぜ、モクテスマはコルテス殿に会うことにのり気ではないのだ。偉大なる神が自らやってきて会ってやろうと言っているのに」
「確かにそうだ、なぜモクテスマ王は神様に会いたがらない?」
「そこまではわたしにもよくわからない」
 そう言って、マリーナは軽いため息をついた。チャンがふと思いついたように言った。
「ところで、あんたを手にいれたあの何とかいう異人は、あんたを大事にしてくれているのかい」
「ああ、ブェルトカレーロのことね。変な話だけれど、彼はわたしには指いっぽん触れようとはしないのよ」
 異邦の言葉にもすぐに順応する特別の才能をもった彼女は、ブェルトカレーロなどという舌をかみそうな言葉もなんなく発音した。わたしとチャンは彼女の次の言葉を待つ。
「彼はね、女には興味がないのよ。あのひとはコルテス殿が好きなの」
 チャンが言う。
「ふーん、そうか。男が好きなんだな。そういうやつはわしらの世間にも少なからずいるがな。とくに神官がそうだ。少年とか若い男の生贄を犯してから神に捧げるのだ」
 コルテスが両刀づかいだとしても、わたしは別段驚かない。そういう人間は格別めずらしくはないのだ。偉丈夫な男ほど、そういう性行があるということも知っている。
「それじゃその、あんたはまだ処女のままなのか?」
 と、チャン。
「はは、そんなわけあるはずがないじゃないの。わたしは奴隷としてタバスコに売られてきたのよ。その前はシカランゴにいて、けがらわしい爺いの持ち物となっていたわ。男なら何人も知ってるわよ。わたしは、自分の父親をのぞいてだけど、この地の人間がきらいよ。母親も軽蔑してるわ」
 彼女が急に大人びて見えた。まだ十七歳だと言うが、すでに成熟した女の風情がそっとただよう。わたしはハラルのことを想った。マリーナのほうが彼女よりも体格がいいが、目鼻だちには似かよったところがある。しかし、この二人の女の共通点はその容貌までで、その精神的な内面には大きなへだたりが存在する。あまりにも対照的な両人の運命のあり方が、両人の精神の風景をずっと異なるものにしてしまったのだろう。
 すっかり暗くなって、うるさく鳴いていた海鳥も巣へ帰っていった。夕餉(ゆうげ)を知らせるフライパンをたたく音が聞こえる。それでもなお、わたしたちはしばらくは海辺にとどまり、海風に頬をなぶらせていた。

     しょの10

 テンディレが大勢の供まわりをひき連れて、大量の金細工やこの地では黄金以上に価値のあるとされるヒスイ、それに美しい刺繍がほどこされた布地などをみやげに戻ってきたのは十日ほどしてだった。コルテスにうりふたつのキンタルボルは同行していなかった。テンディレがしてやったりといったような顔つきで言うことには、彼は病気で死んだのだという。
 モクテスマの返事としてテンディレがもたらしたものは、あいも変わらぬ婉曲な拒絶の言葉だった。テンディレは、王との会見についてはもう二度と口にされるなとまで言った。
 さすがにコルテスもがっかりして、モクテスマには何としてでも会ってみたいと、かさねてテンディレにねだる気力も失せたようだった。それでもコルテスはやっぱりコルテスで、
「モクテスマというのは、我々が思っている以上にでっかい富と権勢を持っておるにちがいないぞ。こうなったら、こっちから押しかけてってやろうじゃないか」
 と、その場にいあわせた者たちに言いはなったのである。一同は思い合わせたように西の方(かた)、熱帯樹林の彼方に峨々とそびえたつ山の嶺に目をやった。モクテスマのいるメシカは、その白雪をいただく山々のはるか向こうにあるのだ。
 モクテスマの使者としてこれまでに二度もメシカとのあいだを往復しているテンディレは、コルテスからの心ばかりの贈り物をたずさえてメシカに帰ることになった。好奇心旺盛で、剛胆なところもちらりほの見えるこのどこか憎めない男を、我々はいつのまにか好きになっていた。テンディレのほうも、これでお役はごめんという解放感にひたりながらも、我々のいだいているそういう気持は察しているようで、にわかには去りがたいような風情をたたえて、幾度も幾度もふり返っては土食いの儀礼をくり返し、ごくゆっくりとした足どりで帰っていった。
 一方、すっかりやる気を失って、あるいはそのふりをして(こちらのほうが本当らしいのだが)、我々のために食糧を調達するというおのれの役目をすっかり放擲していたピタルピトクは、テンディレが去った翌日、彼のあとを追うかのようにその姿をくらましてしまった。
 我々のおかれている状況はひじょうにきびしいものになった。まず、気候がひどい。むせかえるような暑さである。それに蚊もうようよいる。さらにいけないのは、黴と虫食いだらけのカサーベパンですら底をつきはじめ、食糧の備蓄がほとんどなくなったことである。貝ひろいや魚釣りなどで糊口(ここう)をしのぎ、たまに姿を見せる住民から魚やトウモロコシのパンなどを分けてもらい、砂浜乞食さながらの日々を送るはめとはなった。
 こうした問題のほかに、コルテスはもう一つやっかいな事情をかかえていた。これまでにいろいろ聞き知ったところによると、この遠征隊の隊長に彼を任命したのはクーバ総督であるディエゴ・ベラスケスという男なのだが、ベラスケスはどこか肚のうちのよめないコルテスを完全に信頼しているわけではなく、それどころかコルテス一行がクーバの港を発ったあと、急に不安にかられて、ただちに探検を延期して戻ってくるよう命令を発したのだという。

ディエゴ・ベラスケス
(サイトsantiago de cuba city .orgより引用)

だが、コルテスはその命令を無視して探検を継続してしまったのだ。隊の幹部のなかにはベラスケスの息のかかった者も多数いて、隊の上層部はいまや、ベラスケス派とコルテス派の二つに分断されているのがこのわたしにもよくわかった。
 そのベラスケス派がコルテスに対してこうごねだした。
「食べる物もろくにないこんなひどい状態で、これ以上ここにいすわる理由がどこにあるというのだ。あの遠い山嶺の向こうからこのあたり一帯にまで勢力を伸ばしているメシカという国はたいへんな強国のようだ。それはこのあたりのおどおどした住民らを見てもわかる。また、三度にもわたってやってきた使者らが献上していったたいそう豪華な宝物を見ても明らかだ。メシカのモクテスマとかいう王がその気になってここに攻め込んでくれば、ほんのわずかな兵力しかない我々は簡単にうち負かされてしまうだろう。ここはいったんクーバへひきあげて、ベラスケス殿の意向をうかがってみるのが筋なのではないか」
 わたしに言わせればこれはもっともな意見である。クーバに行くことさえできれば、わたしはクーバから出る船に乗ってエスパーニャに帰ることもできる。
 これに対し、コルテスは毅然とした態度をとった。
「何を言われる。戻るのはまだ早い。もう少しがんばってみようではないか。我々はタバスコで数千もの軍勢にもうち勝ったのだ。もっと自信をもたれるがよい。食糧のほうは何とでもなる。このあたりの住民から交換で分けてもらえばいいし、いよいよとなれば力ずくにうったえてでも手にいれる」
 コルテスのこの気勢に押されて、ベラスケス派の面々はぶつぶつ言いながらも、とりあえずはおとなしくひきさがった。わたしのむしのいい希望もあっさり水泡に帰した。しかし、コルテスは何らかの手をうつ必要に迫られていた。
 そんなある日、テンディレらメシカの者たちとは、着ているものも話す言葉も大いに異なる五人の男たちが我々のところにやってきた。穴を開けた下唇に緑色の石の円板をつるした者もいれば、紙のごとくに薄い黄金板を耳につるす者もいる。彼らはコルテスの前に出ると丁重に挨拶し、口々に「ロペルシオ、ロペルシオ」と言った。
 このロペルシオという言葉がマリーナにはわからなかった。彼らの話す言葉をよく聞いてみると、メシカの言葉とはかなり異なっているようだった。マリーナはメシカ語で彼らにたずねた。
「メシカの言葉のわかるひとはいないの?」
 すると、なかの二人がわかると答えた。さっそく二人はメシカ語で我々を大いに歓迎する旨を述べ、次いでこう言った。
「わたしどもは、北の方(かた)、センポアラと申す都よりやってまいりました。あなた方がタバスコ軍をうちやぶったことは、このあたり一帯にも鳴りひびいております。わたしどもの領主様は、あなた方のような勇敢な方々とおちかづきになりたいと願っておいでです。メシカの使いの者の言うことなど信じてはなりません。そやつらが何度もあなた方のところにやってきていたのでお目通りしようにもそれができず、ご挨拶が遅れてしまったことをここにおわびいたします」
 彼らからいろいろ聞きだしたところによると、センポアラというのはトトナカという部族が拠点としている都で、メシカよりも古い歴史をもっているのだという。しかし、武力に秀でたメシカには抗すすべがなく、しかたなしにその支配下に甘んじているという。メシカの圧制に苦しみ、法外な貢納を課せられて、領主は毎日泣き暮らしているのだという。
 コルテスの目が光ったのをわたしは見のがさなかった。その目には光明が点じていた。彼は晴れやかな笑顔を浮かべて、使者たちにねぎらいの言葉を投げかけ、ガラス玉を贈り物としてさずけながらこう言った。
「もう少ししたら我々のほうからおぬしらの都へまいり、領主殿にもお目みえしてともども話をかわし、つもる相談にものるつもりである。そのように領主殿におつたえするがよい」
 この言葉をみやげに、使者たちは喜びいさんで帰っていった。
 コルテスの表情が明るくなった理由は、おそらくこういうことであろう。
 ひどい気候と食糧不足、それにベラスケス派の不満といった問題をかかえて、コルテスはいま、八方ふさがりの状態である。そこへメシカに深い恨みをもつセンポアラの領主からの使者がふってわいたように出現した。これは、メシカの支配下にある諸部族が決して一枚岩ではなく、なかにはセンポアラのようにメシカに対して激しい恨みをいだいている者もあるということである。メシカをめざすというコルテスの野望は、このとき、より強固な意志として彼のうちに定着したにちがいない。それに、センポアラ救援という目標をかかげることで、ばらばらとなりつつある隊の秩序も再統制できるかもしれない。
 しかし、コルテスという男は、わたしが思っているよりもさらにしたたかだった。彼はこれから述べるような大きな芝居をうったのである。

     しょの11

 芝居の第一段階は、有り金をはたき、大事な物を売りはらい、借金までこさえてこの遠征に参加している兵士らを、このまま遠征をつづさせるようにし向けることだった。これについては、マリーナの持ち主であるブェルトカレーロがうまい案を出した。
 彼によれば話は簡単だという。もし仮にいまクーバにひきあげてしまえば、これまでに手にいれた財宝の大半はベラスケスとその追従者らにとりあげられ、兵士たちの手にはほとんど何も残らない。それだったら、このまま遠征をつづけて、どこかしかるべきところに入植したほうが兵士らにとってはよっぽどためになる。コルテスに対して陛下からの正式な勅許さえおりれば、入植の正当な権利だって与えられる。残念ながらコルテスにはまだその勅許はおりていないが、とりあえずは彼に陛下の代理となってもらって、彼自らが彼自身をこの隊の総司令官の地位に任命して、その正式な任官のご下命をたまわるべく陛下のもとへは使いの船を出すことにする――このように兵士らに話をもちかければ、反対する者などおそらくはおるまいというわけである。
 コルテス派の幹部たち――ブェルトカレーロ、ペドロ・デ・アルバラード、クリストバル・デ・オリード、アロンソ・デ・アビラ、ファン・デ・エスカランテ、フランシスコ・デ・ルーホらは分担して兵士の一人一人を夜ごと訪れ、ブェルトカレーロの献じた筋書きを耳もとでささやいて回った。
 兵士たちのほとんどは、彼らの提案を受けいれた。兵士らの大半は農夫や職人、下級の郷士や商人の子弟らで、本国ではうだつがあがらず、インディアスでひと旗あげようと意気ごんでやってきた者たちばかりであったから、こういう口説き文句にはすこぶる弱かったのである。ベラスケス派に対するきりくずし作戦はこうしてひそかに、そして着々と進められていった。
 この裏工作はやがて、ベラスケス派幹部の知るところとなった。多くの兵士たちとは異なり、クーバに土地と家をもつ彼らは、いきどおってコルテスにこうつめ寄った。
「姑息な策をこそこそと弄するのはやめにしてもらいたい。貴公はしょせん、ベラスケス殿の代理人としてこの遠征を指揮しているにすぎない。それなのに、自分を司令官にしたてあげてまでここに居残ろうというのか。いいかげんにしてもらいたい。我々はベラスケス殿のかねてからの指示どおり、いますぐクーバにひき返すべきである。肚のうちのよめないおぬしと一蓮托生になるなんてまっぴらだ」
 コルテスは少しもあわてず答えた。
「お話はごもっともである。わたしとしてもベラスケス殿の意向にさからうつもりは毛頭ない。これまでに献上物として手にいれた財宝はもとより、隊員たちが物々交換で手にした金銀も没収してさっそくここをひきはらい、クーバに戻るとしよう」
 ときをうつさずコルテスは、この旨を命令として隊員たちにつたえた。ところが、腹の虫がおさまらないのがくだんの話にのっていた兵士たちである。彼らはコルテスのもとにやってきて口々にこう述べたてた。
「コルテス殿。あなたは我々を裏切ろうというのか。あなたを司令官にさせる代わりにこの地に入植しようともちかけたのは、あなたのお仲間ではないか。それなのにいまになって、その言をひるがえそうというのか。どうせベラスケスの懐に入ってしまうような金銀集めにうつつをぬかすことより、この地に入植をはたさんとすることこそが陛下への真のご奉公になるのは自明の理ではないか。帰りたい者はさっさと帰ればよい。我々は何がなんでもこの地に居残るつもりですぞ」
 コルテスは困ったような顔をして、しおらしく「わたしはどうしらいいのだ」と言った。兵士たちは「そんな弱気でどうするんです」と口々に叫んだ。コルテスは言った。
「わかった。ひと晩ゆっくり考えさてくれ。明日、はっきりした答をだそう」
 兵士らはかわるがわるコルテスの肩をたたいて、「よろしくお頼み申しますぞ」と口々に言ってコルテスの幕舎を去っていった。
 大芝居のしあげは翌日だった。コルテスは隊の全員を集めてこう言った。
「兵士諸君の入植への熱い思いに、わたしの心は抗することができなかった。ベラスケス殿にはすまないが、ここはもう少しふんばってこの地にとどまることにしたい。国王陛下もそれをお望みであろう」
 兵士たちから歓声があがった。ベラスケス派の面々は顔をしかめていたが、兵士らの殺気だった熱気に押され、何も口だしできなかった。
 コルテスは言葉をついだ。
「だが、兵士諸君の意向を受けいれるにあたってはいくつかの条件がある。この条件が満たされないならば、即刻わたしはここをたち去るつもりである」
 コルテスは言葉をきってみなを見まわした。しんと静まるなかで兵士の一人が「何なんだ、その条件というのは」と叫んだ。
「うむ、それはな、まず第一に、このわたしをこの隊の正式の司令官に任命することだ。あわせて法の最高責任者となることも要求する。第二に、今後手に入る金のうちの五分の一は陛下のとり分、またその残りの五分の一はこの司令官たるコルテスのとり分とすべきことを承認することだ」
 隊員たちはざわつきだした。コルテスが陛下のとり分の残りの五分の一を自分のとり分とするという話は、コルテス派幹部の者たちですら初めて耳にすることだったにちがいない。コルテスの術中になしくずしにはまっていってしまうというふがいない思いが、喉に突きささった小骨のように隊員たちの心をちくちく刺しているのがわかる。だが、それでも表だって反対をとなえる者は出てこなかった。
 兵士たちにしてみれば、ここでコルテスにクーバに帰られてしまったのでは元も子もなくなる。結局のところ、ここに踏みとどまってもらって自分たちの指揮をとらせるためには、その報酬としての金五分の一はあきらめるほかはないというごく弱気な選択しか、彼らにはもはや残されていなかったのだ。コルテスの大ばくちはまんまと成功したのである。
 コルテスは声をはりあげて言った。
「異存はないようだな。それではわたしは晴れて諸君の隊長としての任務をまっとうすることにする。ついては、わたしに与えられるべき権利と権限は公のものとして承認される必要があるので、公証人のもとでそれを明文化しておきたい」
 どこまでもぬかりのないコルテスは、さっそく隊に随行している書記のディエゴ・デ・ゴドイを公証人として、その手続きをさっさとすませてしまった。隊員たちは、催眠術にでもかけられたように、その光景を呆然とながめていた。
 入植が本決まりになった以上、我々はその拠点となるべき町をつくる必要があった。さっそく市会議員と判事が選出された。市会の議長にはコルテスの腹心のブェルトカレーロおよび、ベラスケス派に近いフランシスコ・デ・モンテホの二名が選ばれたが、後者の選出についてはベラスケス派の顔をたてようとするコルテスのさしがねがきいていたにちがいない。ただし、市会議員のほうはコルテスの息のかかった者たちでかためられた。議員の一人には、何とこのわたしも選ばれた。さっそく市会が開かれて、正式にコルテスを総司令官兼主席判事に任命した。
 新しい町が建造されるにあたって、まずつくられるのは祭壇と晒し場と絞首台である。何よりも神と法が優先されるのだ。町の名はビリャ・リカ・デ・ラ・ベラ・クルス(真の十字架の富める町)とつけられたが、ながったらしいので今後は単にベラクルスと呼ぶことにしよう。

ベラクルス(手前)とサン・フアン・デ・ウルア。1610年頃の光景。
wikipediaより引用


 このようにあれよあれよと進んでゆくことの成りゆきを見て、ベラスケス派の面々は怒り心頭に発し、コルテスのもとへやってきて、コルテスの息のかかった市会で決められた人事も、またそこで決められた町の名前なども断じて認めることはできない、コルテスを総司令官にいただくなんてもってほか、とんでもないことだ、ふざけてはいけない、おまえは何様のつもりなんだ、とにかくいますぐクーバへ帰ることを要求する、とたいへんな剣幕でまくしたてた。
 コルテスは静かに言った。
「クーバへでもどこへでもどうぞお帰りくだされ。わたしはひきとめはしない。帰りたいという希望をもつ者には、喜んでそれを許可するつもりなのでな」
 いまさら自分たちだけで、ましてや手ぶらで逃げ帰るなんてことはとてもできる相談ではない。兵士たちにつるし上げをくらうおそれもある。ベラスケス派の大半は鳴りをひそめてしまった。しかし、なかにはどうにも腹の虫のおさまらぬ者もいて、そのうち彼らはコルテスの言うことにまったく従わなくなってしまった。反逆者のなかには、ベラスケスと縁つづきのベラスケス・デ・レオンや、ベラスケス家の家令長のディエゴ・デ・オルダスなどもいた。ことここにいたってコルテスは強行手段にでた。彼らを捕縛して鎖につないでしまったのである。

     しょの12

 砂丘に仮小屋と祭壇、晒し場、絞首台がぽつんぽつんと建っているだけだが、市会議員や判事、その他の役員たちも選任されて、町の体裁だけは何とかつくろえられた。
 食糧不足のほうも、奥地に派遣された行軍隊長のアルバラードとその部下たちが、逃走したあとの無人の村に置きざりにされていたトウモロコシや七面鳥、野菜類などを持ち帰って急場をしのぐことができた。
 諸事がこのように好転してきているなかで、コルテスにとって頭のいたいのは、いまだに膠着状態にあるベラスケス派との確執だった。しかし、彼はこれもどうにかきりぬけてしまった。ベラスケス派の誰かれとも親しく接して、食事を共にしたり、とても見込みのありそうな約束をとりかわしたり、悩みの相談にのるなどして巧妙にとりいった。彼にさからって鎖につながれた者たちに対しては、より手っとり早い解決手段――金の亡者には金を与えよ――をとった。彼らはコルテスに与えられた金に平伏し、これからはコルテスの命令には必ず従うと約束した。こうして彼はベラスケス派のほとんどを手なずけてしまった。
 わたしは、これまでのコルテスの一連の手なみにただただ感心するばかりだった。チャンもびっくりしていた。これほどの軍略、知略、そして人をたらし込むすべにたけた男をわたしは見たことがない。この男と行を共にすることをわたしは喜ぶべきなのか、それとも、そのなみはずれた狡猾さと貪欲さに対して警戒の念をいだくべきなのか・・・。
 コルテスはある決断をくだした。先に偵察にやった船が見つけたという、ここから十レグア(約五十五キロメートル)ほど北にあるキアウィットランという要塞のような町に移動しようというのだ。新しい町の創設されたこの砂丘には、もうひと月ちかくも駐留している。そろそろ次の目標に向けた行動が必要なときだった。雨季も近い。
 陣営をたたんで我々はベラクルスを発ち、陸路を海岸ぞいに北上した。船員を乗せた船団も我々と並行して海上を進んだ。
 ゆく先々には村があった。しかし住民の姿はなかった。我々がやってくるのを見て逃げだしてしまったのであろう。村々には大小の神殿ピラミッドがあったが、そのうちの一つはかなり大きなものだった。それは血塗られていた。裾の石畳の血だまりに四肢を失った生贄の胴体がころがり、そこから基壇頂きの神殿に通ずる石段も朱に染まっていた。
 我々は石段をあがった。神殿の前には生贄を殺すための石の台があり、あたりは血潮にまみれていた。生贄はこの台で心臓をえぐりとられたあと、石段へころげ落とされたのであろう。その心臓は、不気味な神像を祀った神殿の祭壇に供えられていた。まだ真新しかった。隊員たちは声もなく立ちつくした。チャンがわたしにこっそり言った。
「生贄の手足は食べるために持ちさられたのだ」
 住民が逃げさったあとの村々には、食べられるようなものは何も残っていなかった。しかたがないので海辺をあとにして西へ、内陸側へと進路を変えた。船団のほうはそのままキアウィットランに向かい、向こうで我々を待つことになった。
 高い砂丘を大汗をかいて越えると、いきなり美しいサバンナ(草原)が姿を現した。鹿が数頭、のんきそうに草を食んでいる。馬にまたがったアルバラードがいちばん大きな鹿を追いかけ、思いきり槍を投げつけたのだが見事にそれてしまった。隊員たちのあいだから揶揄の声が飛んだ。アルバラードはきまりわるげにすごすごとひき返してきた。
 暑かった。サバンナの向こうには椰子やバナナの木の生い茂った樹林がある。その木陰でひと休みしようと歩きだしたとき、樹林のなかから十二人の男たちが出てくるのが見えた。彼らはこちらに向かってやってくる。我々は足をとめて彼らを待った。
 我々の前までくると、彼らは手にしたトウモロコシのパンや七面鳥をさしだしてこう言った。
「これはわたしどもの領主様からの贈り物です。どうぞお受けとりください。わたしどもは、あなた方がすでに通りすぎてこられた村に住まいする者ですが、あなた方が恐ろしくていったんは逃げだしてしまいました。しかし、センポアラの領主様から言いふくめられて、あなた方をお迎えにあがったしだいです」
 コルテスが聞いた。
「おぬしらは、センポアラの住民とは親しいのかね」
「はい、ここら一帯はセンポアラが治めております」
「センポアラはここから近いのかね」
「はい、太陽が一つのところにあります」
 わたしと共に通訳にあたっているマリーナが言った。
「太陽が一つというのは一日の行程という意味です」
 コルテスはまた彼らにたずねた。
「我々はキアウィットランをめざしておるところなのだが、そこへはどうやって行けばいいのだろう」
「キアウィットランへはセンポアラを通っていきます」
 コルテスは、誰にともなくつぶやくように言った。
「ふむ、センポアラは途中にあるというのだな。センポアラといえば、そこの領主殿の使いの者がベラクルスへやってきて、メシカの横暴をさんざん嘆いておったものだが。ふむ、そうだ、我々はまずセンポアラに行ってみるべきだな」
 いまからセンポアラへ向かうには時間が遅すぎたので、我々はすぐ近くの村で一夜を明かすことにした。センポアラの使者たちの世話で、その夜は久方ぶりのまっとうな食事にありつくことができた。
 翌朝、使者のうちの六人を伝令として先だたせ、残りの六人を道案内にたてて、我々はセンポアラをめざした。なかば期待し、なかばは警戒を忘れず、我々は足を速めた。ゆくてに大きな町が見えてきたのはその日の午後遅くだった。道案内の者が、あれがセンポアラですと告げた。
 町の入口では、二十人ばかりの男たちが花束を捧げて、我々一行を待ちうけていた。彼らはその花束を馬上のコルテスやアルバラードらにさしだした。馬を見てもさほど驚かないところをみると、ベラクルスから戻った使者たちの報告で馬の知識をしいれているのであろう。
 彼らのなかの頭だった者が言うことには、ここの領主様はたいへんに太っていて身動きすらも満足にかなわないのだという。それで迎えにあがることはできないが、どうか気をわるくされないようにとのことだった。
 わたしたちは迎えの者たちに先導されて町に入った。すばらしい景観が眼前にひろがった。規模ではチェトゥマルにはおよばないものの、その美しさはチェトゥマルに充分匹敵した。そこかしこに手入れのゆきとどいた草花や花木が植えられ、町はあたかも花園に浮かぶかのようだった。ベラクルスの殺伐とした風景になじんでいたわたしたちは、まるで別世界に飛び込んだような衝撃を受けた。

センポアラの遺跡
(サイト「マヤ遺跡探訪」より引用)


 住民もたくさんいた。通りは我々を見ようとするその住民たちであふれかえっていた。多少の不安をかかえつつも我々は町の広場へと向かった。
 広場に達する直前、偵察に行っていた兵士二人が息せききって戻ってきて、興奮しきった口調でコルテスにこう報告した。
「隊長、ここの神殿や館はみな銀でできておりますぞ!」
 コルテスも隊員らもぎょっとした顔をした。わたしはにやりとして言った。
「はは、あれは銀じゃありませんよ。漆喰です。たぶん、我々を歓迎しようと新しく塗りなおしたのでしょう。それで真っ白なんだ」
 変な間があって、それから一同はどっと笑いくずれた。コルテスまでが涙を流して笑った。欲につかれた者たちの、つかの間のはかない哄笑のうたげ・・・。
 我々は広場に入った。すばらしく巨大な神殿ピラミッドとそれに付帯する倉庫などの建物、領主や貴族、神官たちの住む石造の館などがいくつも建ちならんで、どれもが白く輝いていた。なるほど、欲にかられた者の眼には銀と見えるのかもしれない。神殿の斜め背後には、広壮な球戯場がその一角を見せている。
 広場には物見だかい群集がつどっていた。女たちの着ている衣装が、これまでに目にしてきたどこの町のそれよりもあでやかだった。あとで知ったところによると、センポアラというところは着道楽で鳴りひびいた土地柄なのだという。
 領主の館の前にも大勢の出迎えがいた。わたしたちは彼らをかき分けるようにして領主の待つ大広間に入った。そこは我々全員が入ってもまだ余裕があるほどだった。
 彼は確かに太っていた。そして上背もあった。ようするに大男なのである。高官に腕を支えられ、よたよたと歩みでて我々を出迎えた。コルテスが進みでると、領主は手にした香を彼にふりかけた。コルテスは領主の肩を抱いた。
 歓迎のうたげがはられ、豪華な食事が出された。若い女たちが地酒をついでまわる。遠征に出て以来、隊員たちはこれほど豪勢な料理を目にしたことがなかった。警戒の念もふきとんで、彼らは飢えた狼のごとくご馳走にむしゃぶりついた。サン・ファン・デ・ウルアの対岸の砂浜で、貝をひろって歩いたのが夢のようだった。
 食事のあと、我々はあてがわれた宿舎に入って休んだ。しばらくすると領主からの使いがやって来て、コルテスと五人の幕僚、それに通訳のわたしとマリーナは、護衛の兵士につきそわれて領主の館へ向かった。
 会見がはじまった。領主(今後、この男のことを太っちょ領主と呼ぶことにしよう)は大勢の高官にとりまかれていた。コルテスは自分のほうから先に領主の肩を抱き、領主も香をふりかけながら、丁重に親愛の念をこめた挨拶を返した。
 贈り物が持ってこられた。金細工と豪華な布地であったが、金のほうはたいした値うちはなさそうだった。
 太っちょ領主がまず「ロペルシオ、ロペルシオ」とくり返し言ってから、何ごとかセンポアラの言葉で述べた。彼の随員がそれをメシカの言葉になおす。マリーナがそれをひきとってマヤ語に訳し、それをわたしがエスパーニャ語にかえてコルテスにつたえる。センポアラ人はトトナカと呼ばれる部族に属していて、この部族の使う言葉はメシカの言葉とはかなりちがうが、ロペルシオというのがまさにそれで、「主君よ、大いなる主君よ」というほどの意味らしい。この言葉につづけて領主が述べたのはこういうことだった。
「どうか贈り物をお受けとりくだされ。もっとたくさんあれば、もっともっと喜んでいただけるものを。どうかお気をわるくされないでくだされ」
 コルテスはこういう初対面の場面では必ず口にする通告(レケリミエント)を行った。いつもの決まりきった言上である。
 通告を聞きおえると、領主は深いため息をついた。
「我々が、メシカのモクテスマ王に征服されてしまったのはごく最近のことでござる。情け容赦のない彼らは、黄金や宝石とみればたとえ米粒ほどのものでも持ちさってしまうので、いまや、この町には黄金も宝石もそのかけらすら残っておらんありさまじゃ。そればかりか、モクテスマの神の生贄に捧げるためだとか、王宮の畑で働かせるためだとかいって、働きざかりの若い男や若い娘を年に何十人も連れ去ってしまう。見ばえのいい女とみれば自分らのなぐさみものにする。なにしろモクテスマは強大な軍隊をもっておって、多くの属国を従えておるので、我々にはとてもたちうちができんのじゃ」
 声をふるわせてそう言うと、太っちょ領主はさめざめと泣きだした。
 コルテスは言った。
「ご事情はよくわかった。しかし、我々はここへ来てまだ日があさいし、モクテスマのことについてもよく知らない。それに、これからキアウィットランというところを見にいくことになっている。そこから帰ってきてから、貴公がお嘆きの問題についてとくと考えることにしたい」
 領主は幾度もうなずきながら、
「お願いいたす、お願いいたす、お願いいたす」
 と言った。
 コルテスは苦笑いしながら、太っちょ領主のこんもりと盛りあがった肩を軽くたたき、「それではこれで失礼する」と言って席を立った。
 翌朝、我々は北の方(かた)にあるキアウィットランに向けてセンポアラを発った。途中、小さな村で宿をとり、翌日の午前、大きな岩山のきりたった崖の上にあるキアウィットランに到着した。
 要塞のような町の造りから予想された抵抗はいっさいなく、我々は何なく町に入った。兵士は全員完全武装していたのだが、これではまったく拍子ぬけである。住民たちは、山道を登ってくる我々のあまりに異様なその風体を見て、怖れのあまり逃げだしてしまったのだ。

キアウィットランの遺跡(断崖絶壁のふちに建つピラミッド)
サイト「マヤ遺跡探訪」より引用(表記はキウイストゥラン)


 人っこ一人いない。我々は町でいちばん高いところにある広場へ出た。例のごとく神殿ピラミッドが建っている。その神殿ピラミッドの頂きから、長い衣をまとった神官たちが十人ばかり降りてきた。彼らは我々のところにやってきて香をふりかけ、丁重に挨拶をした。
 ありがたいことに彼らはメシカの言葉を理解した。彼らによると、住民はいまは身をひそめているが、我々の正体がわかって自分らに危害を加えるおそれがないと知れば、すぐにでも出てくると言った。コルテスはレケリミエント(通告)をてみじかにふるい、そういうわけなのだから住民は安心して出てくるがよろしいと言った。
 二人の神官が伝令にとんでいった。しばらくすると、町のカシケが家来をひき連れて我々のところへやってきた。コルテスはそのカシケに対し丁重に挨拶し、ガラス玉とがらくた同然のエスパーニャの品々を彼に与えた。カシケは返礼としてトウモロコシのパンと七面鳥をさしだした。
 カシケは、要塞のごとくに堅固な町のつくりを自慢した。コルテスはそつなく、「確かに防御のゆきとどいた手ごわい町でござる」と相づちをうった。逃げ足もなかなかのものではあるがな、とはさすがに言わなかった。
 この町のカシケとコルテスがこうして話をかわしているところへ、家来の一人があたふたと駆けつけてこう告げた。
「センポアラの領主殿がやってきましたぞ」
 町の入口のほうを見やると、確かにあの太っちょ領主が大勢の家来にかつがせた輿に乗ってこちらへやってくる。あの身動きもままならぬ大きな体を、一昼夜をついやしてこの山上の町まで運ばせてきたからには、よほどの重大事があったにちがいない。

       第3章へ⇒