第3章
アステカ関連地図
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翌々日の九月五日、コルテスは出陣を命じた。疑心暗鬼にかられながらだらだらと敵の攻撃を待つよりも、うってでてこそ活路はひらけると彼は判断したのだ。
隊員たちは勢ぞろいした。なかの誰かが、もうがまんができないといった口調で声をあげた。
「重い武器を持つのはもうたくさんだ。寒さも耐えがたい。おまけに兵力はわずか四百名たらずなんだぞ。敵は四、五万もいるというのに」
コルテスが言った。
「それなら我々は百倍の勇気をもてばいい」
異をとなえる者の声はやんだ。我々は進発した。
十分も進まないうちに敵の軍勢に遭遇した。頭上に羽根飾りをたなびかせた無数の戦士がゆくてを埋めつくしている。ほら貝と太鼓のねが耳をろうせんばかりに響きわたる。いっせいに放たれた無数の矢と石つぶてが空をおおい、太陽の光さえさえぎった。
百倍の勇気をもつ兵士たちはよく戦った。それはまことに確かなことなのではあるが、そこは多勢に無勢、一時は陣形がくずれて、コルテスと将校たちが声をからして命令しても混乱がおさまらず、きわめて危険な状態におちいった。それにもかかわらず、敵はかさにかかって攻めかけてこようとはしなかった。そして結局のところ、この戦いは、四日前の合戦をそのままひきうつしたかのような結果となった。つまり、敵は最終的には撤退したのである。
あとでわかったところによると、敵軍の二人の将軍――シコテンカトルともう一人の若い将軍とのあいだにきつい確執があり、互いにたすけあうどころか、互いに足をひっぱり合っていたとのことである。何ともはや、世間知らずのお坊ちゃんたちではある。もっとも、ここでいっている世間とは我々エスパーニャ人の感覚でのそれであって、この地の世間というのは、また別の規範でうごめいているのかもしれない。
とにかく敵は撤退した。だがそれは負けて退却したというのではない。これまでの我々とトラスカラとの戦(いくさ)には、明白な勝ち負けというものは存在しない。彼らが、彼らの事情でもってかってにしりぞくだけなのだ。
我々は神殿ピラミッドの陣地にひき返した。被害状況を調べると、死者が一名、負傷者は六十人で、馬はほとんどが傷を負っていた。軽い傷をふくめると無傷の者はほんのひとにぎりにすぎなかった。
兵士たちは仲間の死体を穴に埋めた。これは埋葬ではあるのだが、トラスカラの戦士らに味方の屍を見せないというたくらみもあった。うまくすれば彼らは、我々が不死身の神であると信じてくれるかもしれない――そんなはかない願いがこめられていた。その穴にはいま、二人の兵士が眠っている。
雪をいただく山々から吹きつける風はめっぽう冷たかった。この地の戦士らが用いているそれを真似てこしらえた、刺し子の綿入れのような鎧が多少寒さを緩和してはくれるものの、ちゃんとした防寒の手だてをもたない我々は凍えるような夜をすごした。いくつもの神殿ピラミッドとそのまわりの広大な草原、そして雪をかぶった遠方の山々が凍れる月明かりに照らされて、ぬくもりのひとかけらもない壮大なパノラマを見せていた。
コルテスは手をやすめなかった。翌日からの数日間、近隣の町村をかたっぱしから襲った。食糧確保のためもあったが、何よりも、こちらにはまだ戦う意志が少しも失せていないことを見せつけるためだった。
彼は使者を送ることもした。こんどはトラスカラの首都に向けてだった。使者には二度目の合戦で生け捕った捕虜三名と二名のトトナカ人が選ばれた。使者の口上は前回のそれとほぼ同じだが、それに加えて、もし和平に応じず、不死身の我々にこれ以上たてつくのであれば、貴軍の戦士はすべて皆殺しにしてくれるという強い威嚇の色もにじませた。
次の日、総勢四十人ばかりの奇妙な一団が陣にやってきた。七面鳥やトウモロコシのパン、サクランボ、たくさんのコパルの香、それに色あざやかな鳥の羽毛飾りなどをたずさえていた。彼らはこれらの贈り物と共に、まるまると肥え太った四人の奴隷をさしだしてこう言った。
「わたしどもは、トラスカラの都からつかわされてきた答礼の者です。トトナカ人が言うように、あなた方が穏やかな神々であるなら、このコパルの香と鳥の羽毛飾りをお納めくだされ。また荒ぶる神々であるなら、この四人のよく太った奴隷をめしあがれ。また人間であるなら、このトルティーリャと七面鳥とサクランボを食されよ」
彼らのいうトルティーリャとは、挽いたトウモロコシをたいらにこねて焼いたせんべいのような食べ物で、つぶしたフリホール豆をのせたりトウガラシで味つけして食べる。マヤ人も口にするタマルとならぶ、この地の代表的な主食である。
コルテスは使者らに対し、恒例のレケリミエント(通告)を行った。彼の長広舌がすむのを待ちきれないかのように使者の一人が言った。
「それで、あなた方はどの贈り物を受けとられるので?」
コルテスは答えた。
「ふむ。生贄はお返しする。それ以外のものはありがたく頂戴しよう」
四十人の使節団は、つとめをはたしたあともなかなか帰ろうとはしなかった。一夜明けてもいつづけた。彼らはあちこちをうろうろして、我々の陣の様子をうかがっているようだった。一部の人間がふいにいなくなったかと思うと、また別の者がやってきた。トトナカ人は、我々の誰かれをつかまえては口々に言った。
「あいつらはまちがいなく、こちらの様子を探りにきた偵察隊ですぞ」
それは我々の目にも明らかだった。彼らの行動があまりにもあからさまなのだ。そんなところへ、マリーナが付近の住民からとんでもないことを聞きつけてきた。シコテンカトルが全軍を結集して、いつでも夜討ちができる態勢をすでにととのえているというのだ。
コルテスは、使者団のうちの六人を連れてこさせて、二人ずつを呼んで個別にきびしく問いつめた。三組のそれぞれは、シコテンカトルが夜討ちの機会をみはからうべく自分たちを偵察によこしたことを口をそろえて白状した。この使者団はトラスカラからの答礼のかたちはとっているが、その実はシコテンカトルの奸計の手先だったのだ。
コルテスは全隊員にそのことを伝達すると共に、使節団のうちの十五人を捕らえて、そのうちの何名かの手首を切り落とすよう命じた。そして、「もはやがまんも限界である。不死身の我らはいますぐ出撃する決意を固めた。手首が切り落とされた者どもは、怒りにふるえる我らからの陣中見舞いである」という恫喝の伝言を託して、この十五人をシコテンカトルのもとへ送りかえした。
威勢のよい威嚇は行ったものの、実際には我々は戦々恐々としていた。いつしかけられるかもわからぬ夜襲におびえていた。これまでのたびかさなる近隣町村への襲撃で負傷者も増大しており、そのうちの何名かは落命していた。クーバを出て以来、これまでに死亡した者の数は五十名ちかくにのぼっていた。なかには病気と寒さで逝った者もいる。これまで強気の姿勢をくずさなかった兵士たちも、さすがに弱音をはきだした。ある者はこう言った。
「センポアラの太っちょ領主は、トラスカラとは仲がよいと言っていたのに、実際に来てみたらこのありさまだ。あの大軍を相手にいつまでもちこたえられるというのか。満足な体の人間も馬もほとんどありゃしないというのに」
またある者はこうぼやいた。
「メシカの戦士はもっとずっと多く、もっとずっと手ごわいというじゃないか。トラスカラ相手にこんなに手こずっている我々に、メシカを相手に戦う余力などあるものか」
目に見える軍勢と対峙しているときには、人間には勇猛心がわいてくる。しかし、目に見えぬ軍勢に見張られているなかでの、こうしたぽつねんとしたもってゆき場のなさは、かえって恐怖をあおるものである。とくに夜襲というのは始末がわるかった。夜もおちおちしていられず、それがため寝不足になってよけいいらいらする。そのへんのことを知らぬコルテスではなかったが、彼はこのとき熱病をわずらっていて、ひどく弱気になっていた。彼はこの地を撤退してクーバに帰ることすら真剣に考えはじめていた。
ベラスケス派の面々がさっそく騒ぎだした。例のごとくクーバに戻ろうというのである。しかし、戻るべき船はもはやない。彼らは「船を全部沈めるとは、ばかなまねをしたものだ」とあげつらってコルテスを非難した。「とりあえずはベラクルスにひきあげて船を一隻つくり、クーバからたすけを呼ぼう」と言いたてた。コルテスは思わずそれに首肯しそうになった。
そんな厭戦気分を吹きとばしたのは誰あろう、あのマリーナだった。彼女はコルテスにこう言ったのだ。
「どうしたというの。あなたは登っている山を途中で降りてしまうような人間なの。そうじゃないでしょ。これまでの労苦を、十倍、百倍の富と権力に実らせてとり戻すのが、あなたという人間なんでしょう。それがコルテスなんでしょう。あなたの貪欲さってのはこんなものなの。いまクーバに帰ってしまえば、あなたの手には金も名声も残らず、腰抜けの汚名だけが残るのよ。かといって、そこからまた出なおすのは、これからさらに進軍をつづけることよりずっとずっとむずかしいことでしょうよ。また一からはじめて人と金を集めて、そうしてここまで苦労してやってこなければならない。そんな気力がまたわいてくるなんてありっこない。わたしはね、自分の生まれ育ったこの地がきらいなの。わたしはあなた方の身内になりたいの。わたしはあなたに賭けているのよ」
コルテスは目をみはった。その目は、マリーナにじっとそそがれていた。彼は彼女を抱きしめた。固く強く抱きしめた。そしてきっぱりと言った。
「マリーナ、きみはわたしの恩人だ。わたしはこれまで、人から恩義なるものを受けたと感じたことは一度もなかった。だが、きみだけはちがう。きみはわたしにとって最初で最後の恩人なのだ、ドニャ・マリーナ!」
ドニャというのは、エスパーニャの女名前に冠せられる敬称である。コルテスは冗談半分にではなく、真剣に自分の認める一人前のエスパーニャ婦人としてそう呼んだのだ。
しょの9
コルテスは隊員たちを集めた。彼はさっそうとしていた。かたわらにはマリーナがいた。彼は顔面を紅潮させ、声をほとばしらせた。
「諸君。わたしはいま、この自分に神のご加護のあることをあらためて確信した。神はこのわたしに、このドニャ・マリーナをお与えくださったのだ。
彼女はわたしにこう言った。あなたは登っている山を途中で降りてしまうような人間なのかと。もちろん、ちがう。
彼女はわたしにこう言った。これまでの労苦を十倍、百倍の富と権力に実らせてとり戻すのがあなたなのであろうと。もちろん、そうだ。
彼女はまたこうも言った。いま帰ってしまったら、あなたの手には金も名声も残らず、腰抜けの汚名だけが残るのだと。そんなことがあってたまるか。
彼女はまた、こう言った。いったん戻って再び出なおすのは、これからさらに進軍をつづけることよりずっとずっとむずかしいのだと。一からまたはじめて、人と金を集めて、そうしてここまでやってくる、そんな気力がまたわいてくるなんてありっこないと。
わたしは目がさめた。諸君が行かなければ、わたし一人でも行ってやる。あの大きな雪をかぶった山々の向こうには、とてつもない富と栄光が我々を待っている。神のご加護を疑う者は去れ。コラル、旗をかかげよ。わたしと共に行く者は、その旗のもとに参じよ。サンチャーゴ!」
旗手のコラルがコルテスのもとへ走りより、旗を大きくかかげた。兵士たちがどっとその旗のもとに駆けよった。そしていっせいに叫んだ。
「サンチャーゴ、ドニャ・マリーナ!」
計算のないコルテスの姿を、わたしはこのとき初めて目にした。彼は感情のままに肉声をほとばしらせていた。かたわらのマリーナは頬を染めている。彼女の肌は褐色がかってはいるが、頬のあからむのがわからぬほどではない。彼女はこの日以後、隊員たちにドニャ・マリーナと呼ばれることになった。
コルテスがたちなおり、兵士たちも覇気をとり戻した。コルテスはさっそく動いた。使者をやって、事実上の宣戦布告をトラスカラの都へ向けてつきつけたのだ。ただちに和平に応じよ。二日たっても応じないならば、こちらから都に攻めあがり、住民を一人残らず殺戮して国をずたずたにしてやると。
その二日が経過した。トラスカラからは何も言ってこなかった。いまや熱もひいたコルテスは黙ってはいなかった。十名前後の騎兵、弓兵、銃兵と、百名ほどの歩兵、それにトトナカ戦士三百をひき連れて、ここから一レグア(五・五キロメートル)ばかり先にある大きな町に向けて出撃したのだ。まだ夜明け前だった。寝こみを襲おうというのだ。
寒風吹きすさぶなか、一頭の馬がけいれんを起こして倒れた。その馬は騎兵と共に陣に帰された。がたがたふるえながらなお進むうちに、また一頭、馬が倒れた。コルテスは言った。
「その馬を帰せ。残りの馬もみな帰すがよい」
馬と騎兵はひきかえした。
夜の白む前に町に着いた。ゆうに二万人は住んでいるであろう大きな町が寝しずまっていた。コルテスは銃兵全員に銃を鳴らすよう命じた。暁闇に銃の音が鳴りひびいた。家々から住民がとびだしてきた。たいへんなあわてようだった。我々はしばらくはその様子をうかがっていた。武装した戦士たちが現れるふうでもなく、町には敵対するつもりはまったくないようだった。
我々は、警戒をおこたることなく町の中心にある広場に入った。大きな神殿ピラミッドの下に数人の神官とカシケがいた。コルテスは手まねきして彼らを呼び寄せた。こちらに危害を加えるつもりのないのを察すると、カシケが言った。
「我々には、あなた方にお手向かいする気などこれっぽっちもありません。あなた方が和平を申しいれていることも、じゅうじゅう存じております。でも、このすぐ近くに陣を張っているシコテンカトルだけが長老たちの意見にも耳をかさず、あなた方に刃向かっているのです。さあ、お腹がおすきでしょう。どうぞ食べていってください。そして必要なだけお持ちかえりください」
思いがけぬ情報だった。トラスカラの首脳陣は、どうやら和平には前向きの姿勢でいるようだ。それをシコテンカトル一人がつっぱねて、我々に敵対しているようである。コルテスは言った。
「よくわかった。我々とても無益な戦(いくさ)など好むところではないのだ。そこでひとつ頼みがある。トラスカラの都に使いをだして、トラスカラ軍がまだ無事なうちに和議に応ずるようシコテンカトルに説得の使いを出してほしいのだ」
カシケは快諾し、さっそく使者がたてられた。
我々の前途に光明がさしたようである。寒い夜もすっかり明けた。おまけに四十羽以上の七面鳥と二人の女奴隷がさしだされた。我々はすっかり気分をよくして陣にひきあげた。
シコテンカトルからの夜討ちの気配はいまだなかった。だいたいこの地には、夜襲という習慣はないのだ。夜間や雨の日には戦闘は行わない。それなのにシコテンカトルが夜討ちをたくらんでいるのは、コルテスが近隣の町村を襲うにあたって、もっぱら夜間をえらんでそれをしかけたからだろう。その報復のための夜討ちなのだ。
コルテスは決心した。隊員たちを集め、陣をたたんでメシカへの進軍を強行すると告げた。当然、シコテンカトルのひきいるトラスカラ軍が妨害に出てくるであろう。兵士たちはあらためて武器の手入れをし、新しい矢を補充し、馬装をととのえた。いまやすっかりたちなおった兵士らの顔には決死の色が浮かんでいる。こんどこそ決着をつけてやるという覚悟にあふれていた。
が、その心意気はからぶりに終わった。ちょうどそこへ、トラスカラの都から大勢の人間を従えた使節団がやってきたのである。彼らはたくさんの献上品をたずさえてやってきた。
トラスカラの使節と会見するマリーナとコルテス(白馬に騎乗している)
使節は四人いた。彼らはコルテスの前に進みでて、土食いの儀礼を行った。この儀礼を目にするのも久しぶりだった。そしてそれは、彼らがまさしく正式な使節としてここにつかわされてきたことを証すものだった。
四人の使節のなかで、いちばん年かさの者が口をきった。
「トラスカラは、あなた方ご一行を喜んでお迎えいたします。これまでのまちがいの数々はどうか水にながしていただきたい。我々はあなた方のことをモクテスマの息のかかった輩とかんちがいしておったのです。それというのも、あなた方のご一行のなかに、モクテスマに屈従する者たちがたくさんおったからです」
トトナカ人のことを、いまだにモクテスマに服従しているとかんちがいしているのだ。
別の男がつづけて言った。
「我々からの和平のご返事が遅れましたのは、ひとえにシコテンカトルと申すはねかえりのせいであります。我々はこの者に対し和議を申しいれるよう再三つたえたのに、こやつは兵もひきあげずに、あなた方に敵対しておったのです。しかし、この者もとうとうあなた方には兜をぬいで、兵をひきあげる決心をしたので、遅ればせながらこうしてまかりいでたしだいです」
わたしは、コルテスがことにあたる際には、必ず計算を忘れない人間であることを知っていた。交渉事で怒りをあらわにすることすらが計算のうちだった。このときも彼はいかにも憤懣やるかたないといった様子を見せてこう言った。
「おぬしらは我々からの再三の和平の呼びかけにも応ぜず、大軍をもって我々を襲い、夜襲までしかけようとした。何と言いわけしようと、その責はすべておぬしらが負わねばならぬ。シコテンカトル一人を悪者にしたてあげて、自らの責を逃れようというのはあまり感心せんところだ。が、もうよい。おぬしらの恭順の意はありがたくお受けしよう」
最初に口上を述べた年かさの男の顔が、ちらりとひきつった。コルテスは、ふと思いついたように言った。
「我々が当領内に入ったとたん襲いかかってきた戦士たちがいたが、あの者らは、おぬしらの戦士たちとはいでたちといい、戦(いくさ)ぶりといい一風変わっていたように思うが、いかがであろう」
年かさの男が答えた。
「ああ、あれはあのあたりに住みついているオトミ族という戦しか能のない野蛮の輩です。あやつらが先ばしってあなた方を襲ったのです。決して我々が命じたものではありません」
「なかなかの勇猛ぶりだったぞ」
「彼らもかっては偉大な戦士と恐れられ、なかなかの羽振りではあったのですが、メシカに征服されてからは尾羽うちからして、いまや見るかげもありません。メシカには深い恨みをもっておるので、あなた方を襲ったのでしょう」
コルテスの目がちらりと使節団のたずさえてきた献上品のほうに向いた。その視線を察して年かさの男は言った。
「さあ、我らよりの心ばかりの手みやげをどうかお受けとりくだされ」
従者たちが次々と献上品をさしだした。そのなかには、トルティーリャをつくる女奴隷や荷かつぎ人足もふくまれていた。もちろん食料もたくさん供された。年かさの男は、もし食べ物にことかくときはいつでも申しつけてくれれば、いくらでも調達しようと言った。泥棒猫のごとく近隣の町や村から食糧をかすめとっては、どうにか飢えをつないでいた我々も、これでどうにかひとなみに腹を満たせられるというものだった。
しょの10
あのモクテスマが動きだした。我々がトラスカラを降伏させたという報せを聞いて、使節をつかわせてきたのだ。あかぬけした五人の使節には多くの従者が随行していた。
コルテスは、アルバラードらの幕僚を従えて彼らを迎えた。彼らは大量の金細工や上質の綿布、宝石、羽根飾りなどを贈り物としてさしだした。
使節団の代表らしい男が、「ようこそご到来なされた」と歓迎のあいさつを述べてから、如才ない口調でこう言った。
「我が王は、貴公らがメシカの近くにまでおこしになられたことをたいへんお喜びでござる。また、我らが宿敵、トラスカラを撃退した武勇のほどにはいたく感じいっておいでだ」
男はここで探るような目つきをして言葉をついだ。
「我が王は、貴公らのご主君に対して貢納の義務を負われることを決心された。ついては、それは毎年いかほどにすればよいかとのおたずねでござる」
コルテスは一瞬、びっくりした顔をした。しかし、男がつづけて述べた言葉を聞いてにやりとした。男はようするに、王の意として、貢納の義務を負ってでもよいからメシカへは来るなということを、ひどく婉曲な言いまわしで申しつたえたのである。
コルテスは言った。
「モクテスマ殿が、我が国王陛下に朝貢をなされるとはありがたいおおせだ。さりながら、我々がモクテスマ殿におめどおりしたいという気持にはいささかも変わりはない。陛下に対し朝貢の義務を負われるというのであれば、なおさらお目にかからねばならん」
使節の男の顔色がわるくなった。こんな役目をしょわされたのを、呪っているかのようだった。
コルテスはてみじかに言った。
「おぬしらにはまだモクテスマ殿にいろいろとつたえてもらいたいことがあるので、我らと共にトラスカラへ同行されよ」
男の顔色はもっとわるくなった。コルテスはさっさと席をひきあげてしまった。
わたしはモクテスマのことを思った。彼はいまひどく狼狽し、気弱になっているに相違ない。コルテス一行をひどく恐れているのであろう。何せコルテスの軍は、タバスコでの戦い以来、戦闘にはまだ一度も負けてはいないのだから。
偶然とはじつにおそろしい。ちょうどこのとき、あのシコテンカトルが五十名ばかりの供まわりをひき連れて和睦の使いにやってきたのだ。宿敵モクテスマの使節とはち合わせするという奇妙なことになった。
コルテスは休むまもなく、新たな使者団との対応にひっぱりだされた。シコテンカトルは、彼らの流儀に従って丁重に挨拶した。彼は大柄で肩幅もあり、均整のとれた体つきをしていた。顔は長めで、皮膚はあばたのごとくざらざらしている。年齢は三十代で、態度はいかめしかった。
シコテンカトルは言った。
「拙者は、これまでの非礼をわびてくるようつかわされてきたのでござる。で、その、先の使者らが申しあげたとおり、このたびのお手向かいは拙者の一存でなしたことなのでござる。もう二度とおなじ真似はしないゆえ、どうかお許しねがいたい」
シコテンカトルはいまや泣きださんばかりだった。コルテスはにこやかに言った。
「昨日の敵は今日の友だ。おぬしがいまの言をまげず、真に約束をまもるのであれば、我々は喜んでおぬしを友として迎えいれよう」
シコテンカトルの顔にさっと喜悦の色が浮かんだ。そしてせっつかれるように言った。
「ありがとうござる。ありがとうござる。かくなるうえはもはや長居は無用にして、いますぐ我がトラスカラにおいで願いたい。国では四人の長老が首をながくして待っておるのです」
コルテスは、モクテスマの使節団に目をやりながら、あいまいにうなずいた。シコテンカトルはコルテスの視線を追って小さく言った。
「あの者たちはメシカの者でござるな」
コルテスはうなずいた。シコテンカトルは奮然として言った。
「あの者たちの言うことには、決して耳をかさないほうがおためでござる。あやつらの舌は嘘を吐き、弱国からかすめとった馳走につつみをうつためにだけできておるのでな。あやつらが蓄えた富には、奪いとられた民の涙がしみ込んでおる。その富は血のにおいがする」
モクテスマの使節の一人が吠えた。
「えーい、かってなことをほざくでない。貧乏人のひがみを言いにわざわざここまででばってきたのか。さもしいやつめ。さっさと失せるがいい」
シコテンカトルは血相を変えて立ちあがり、モクテスマの使節につかみかかってこうどなった。
「盗っとが大きな口をたたくでない。このたかりのうじ虫め」
モクテスマの使節は、シコテンカトルの手をふりはらって言った。
「このことは国もとへ帰って、我が王にしっかとおつたえする。いかなるご沙汰がくだろうと、それはみなおまえの責任なのだ」
まったくこのシコテンカトルという男は強情な人間である。その直情径行さはとても危険だ。将来のわざわいの種になりそうな感じである。
しばらくことの成りゆきを見まもっていたコルテスが静かに言った。
「さあ、ご両所とも気をおしずめくだされ。簡単な馳走が用意してあるゆえ、それでも食べて、プルケ酒などもあおって気をなおしてくだされ」
プルケ酒というのは、リュウゼツランの一種であるマゲイからつくったこの地の地酒である。
モクテスマの使節たちとシコテンカトルとは、マリーナに案内されて、屋外にしつらえてある宴席に向かった。彼らは互いに離れて席につき、貧弱な手料理を口にした。プルケ酒には手をつけなかった。付近の村から手にいれたその酒は、ひどいにおいがしていた。
シコテンカトルがひきあげたあと、モクテスマの使節はコルテスに言った。
「トラスカラなどと組むのはきっと後悔するから、やめたほうがおためでござる。あいつらは見せかけだけの和議を申しいれているだけで、その本心はといえば、トラスカラの都に迎いいれて貴公らを闇討ちにすることなのでござる」
コルテスはこともなげに言った。
「ふむ、それならそれでかまわんよ。返り討ちにしてやるばかりだからの」
それから二、三日して、トラスカラからまた新たな使節団がやってきた。こんどはトラスカラをたばねる四人の長老らがうちそろって、なかなか腰をあげようとしないコルテスを、自らの手で都まで案内するつもりで押しかけてきたのだ。
四人の長老のなかでのいちばんの年寄は、シコテンカトルの父親だった。目が見えないこの老人はコルテスに言った。
「わしのせがれの突飛なふるまいをどうかお許しくだされ。あやつは強情一点ばりですぐかっとなるたちでしてな。不祥なせがれめをどうか許してやってくだされ。このわしもほとほと手を焼いておる始末でしてな。このたびのことは、あやつめにとってはいい薬であったことじゃろうて。それはそうと、何をぐずぐずしておられるのじゃ。我らは、国をあげて貴公らを歓迎する意気に燃えておるというのに」
老シコテンカトルはいったん言葉をきり、その見えない視線をモクテスマの使節のほうに向けて、こう言った。
「あそこにおるモクテスマの手先の言うことなぞ、聞いてはなりませんぞ。あやつらは嘘つきで、強欲で、好色で、陰険で、大食らいで、しかも実は弱虫のうじ虫でござる。この世の悪をすべて背負っておるのじゃ。あやつらめが我が世の春を謳歌しておるとはもうこの世も末じゃ。呪われてあれ、メシカよ。呪われてあれ、モクテスマよ」
コルテスは思わず噴きだした。確かにトラスカラとメシカの敵意のかけ合いは見ものではある。コルテスはとりなすように言った。
「そう邪険に申されるな。あそこにいるメシカの者たちは、わたしの意向をモクテスマにつたえんとしてこの陣にひかえておるのだ。わたしとしても、貴公らトラスカラ側の言うことと、メシカ側の言うことのいずれがまことなのか、いまだ決しかねている。もう少し猶予をくれぬか」
老シコテンカトルは悲しそうに言った。
「ようわかり申した。年をとるとせっかちになっていかん。したが、我らの真情はゆめゆめお疑いくださるな」
コルテスはうなずいた。そして老シコテンカトルの目をじっと見つめた。老シコテンカトルは身じろぎもしなかった。コルテスは意を決したように言った。
「我々には大きくて重い荷物がある。それを運ぶ人足をつごうしてくれるとありがたいのだが」
老シコテンカトルの見えない目が輝いた。
「おお、それでは腰をあげてくださるのじゃな。おやすいごようじゃ、人足は何人でもご用だてしますぞ。これは重畳じゃ。おい、みなの者、すぐに人足の手配を」
伝令がとび、小一時間もしないうちに五百人ちかい人足が集められた。こうまでされてはコルテスもただちに出発せざるをえなかった。彼は隊員たちに陣をたたむ命令をくだした。老シコテンカトルの一行は、歓迎の準備のために喜びいさんでいち早く都に戻った。
しょの11
九月二十三日、我々はトラスカラの都にはいった。周辺部をふくめると十万ちかい人口をもつという大都の住民が、鈴なりになって我々を出迎えた。戦いで破った相手国に入城しているというのに、これではまるで凱旋行進だ。
トラスカラの四部族の代表である四人の長老が、それぞれの部族の色に染められた旗をかかげた旗手に先導されて進みでてきた。赤と白に染め分けられた旗は、老シコテンカトルを首長とする部族のものだとすぐにわかった。彼の息子とは幾度も干戈(かんか)をまじえ、そのたびに息子のひきいる軍勢の旗じるしを見てきたからだ。こうして友好のうちにそれを見るのは不思議な気がした。
老シコテンカトルが、コルテスの前にやってきた。そしてやにわに、コルテスの顔から足もとまでなでさすりはじめた。コルテスは泡をくったが、むげにもできず、なされるままになっていた。老シコテンカトルは目が見えないので、指先の目でコルテスの生身を確かめようとしたのであろう。
神官たちも出てきていた。純白のガウンをはおり、手にはコパルの樹脂を焚いた香炉をさげ、自ら切りさいたのであろう耳の傷からは鮮血がしたたり落ちていた。直前まで神に和平を報謝していたのであろう。髪は伸びほうだいで、血で固まってごわごわしていた。指の爪がそらおそろしいほどに長く伸びていた。
町は広く美しかった。センポアラの町も立派だったが、この都の規模にはとうていおよばない。エスパーニャ随一の大都、グラナダですら小さく見えるほどだ。その防備の堅固さは、グラナダがまるで裸同然のごとくである。
道をゆく我々に、沿道にむらがる住民たちがわれ先にバラの花をさしだした。家々の平屋根にも人が群れて、しきりに歓声を送っている。前方には巨大な神殿ピラミッドが佇立していて、我々を手まねきしているかのようだ。事実、我々はそこへ――神殿ピラミッドの建つ広場へと向かっているのである。
広場へ着くと、老シコテンカトルが大きな建物に我々を招じいれた。そこが我々の宿舎になるらしく、寝るときに使う敷物がたくさん用意してあった。トトナカの戦士たちにも宿舎がわりあてられた。同行してきたモクテスマの使節団は、我々の宿舎のすぐ隣に収容された。我々から離れるのは心細いという彼らの意を受けて、コルテスが特別に手配したのだ。
宿舎に落ちついても、兵士たちは武装をとくことはなく、また、警備の者も警戒をおこたることはなかった。そこへ老シコテンカトルがぷりぷりしながらやってきた。彼はコルテスに言った。
「なぜに我らをお信じになられぬ。そのものものしい武装と警護はもはや無用でござるぞ。気をゆるめられて、ゆっくりくつろがれよ。メシカのばかどもがどんなことを吹き込んだのかは知らぬが、あいつらの言うことには一辺の真実もござらん。我らを信ずる証しとして、どうか武装をとかれよ」
コルテスはとまどったような顔で言った。
「いや、これはな、もはや我らの習性となってしまっておるのだ。こうして気をゆるめることなく護りを固めてきたればこそ、我々はすべての戦(いくさ)にうち勝ってくることができたのだ。こうしていることは貴公らが思うほどに我らには苦にならんので、どうか気をわるくしないでもらいたい」
老シコテンカトルは驚嘆の目でコルテスを見やって言った。
「さようでござるか。それは奇特なお心がけじゃ。我らの軍が貴公らに敗れたのもむべなるかな。我らは外敵の襲来にはそなえておるものの、すべての戦士が貴公らのように常時非常の態勢をしいておるわけではござらん。つねに決死の覚悟でおるわけではござらん。
我らがまじえる戦の多くは、捕虜の生け捕りが主目的でござってな。そのような意気地もない争いがくり返されることになったのも、メシカの身勝手さのゆえなのじゃ。あやつらは生贄を毎年数万人も必要としておるので、その補充のために年に幾度となく戦をしかけてくるのじゃ。あやつらはそれを花の戦争などとうぶな名で呼んでおりますがな。何が花の戦争じゃ。花がそれを聞いたら腰をぬかすわい。たかが花に対しても面目がたたぬわ」
わたしは何となく、これまでに抱いてきた疑問――この地の者との戦闘において、まさにここぞというぎりぎりの瀬戸際において、彼らにひるみがほの見えるのはなぜなのかという疑念が晴れたような気がした。花の戦争のような戦になれてしまって、戦いで人を殺すことを忘れかけてしまっているのであろう。そういえば、チェトゥマルを離れる直前にルーゴのところへ行ったおり、軍事教練中のルーゴを待っているあいだに、チャン・プーが似たようなことを言っていた。
老シコテンカトルはうっぷんをはらしたとみえ、兵士一人一人の手を握って歩いた。そして感にたえないといった様子で
「ひからびた手じゃの。いくつもの戦いと飢えをくぐりぬけてきた手じゃ。さあ、ごゆるりとされよ。心ばかりの馳走をたっぷりと召しあがられよ」
と言った。
食べ物が運ばれてきた。我々のまわりは、トルティーリャ、サボテンの実、この地で採れる珍しい野菜、七面鳥の肉などであふれてかえった。我々はそれをひとつ残らず食べつくした。
トラスカラでの最初の一夜が明けた翌朝、屋外の仮の祭壇でミサが捧げられたあと、老シコテンカトルら四人の長老がうちそろって我々の宿舎にやってきた。老シコテンカトルは面目なさそうな顔つきでコルテスに言った。
「我々からの心ばかりの贈り物を受けとってくだされ」
随員たちが贈り物をさしだした。わずかばかりの金細工と宝石、それに木綿ではなくマゲイの繊維で織った布地というまずしい品々だった。
「こんなものではとても満足してもらえないのは、じゅうじゅうわかっておるのじゃ。我が国はもともとまずしく、木綿もとれず、塩も少ない。なけなしの財宝も、あのモクテスマめがみんな持ちさってしまう。そんなわけで、貴公らにはこれだけの物しかさしあげられんのじゃ」
老シコテンカトルは涙を浮かべていた。コルテスは彼の肩に手を置いて言った。
「なに、お気にめされるな。お気持だけで充分でござるよ」
老シコテンカトルは気をとりなおすようにこう言った。
「物こそござらんがな、我らの命と忠誠は貴公らのものでござるぞ。我らは喜んでこの命を貴公らのために捧げる覚悟じゃ。その証しにわしの末娘を貴殿に献上したい。まだ嫁入り前の生娘じゃ。どうか受けとられよ」
センポアラでも同じような申し出があったので、コルテスは「ありがたく頂戴しよう」とにこやかに答えた。
老シコテンカトルが合図をすると、五人の娘が従者に手をとられてやってきた。老シコテンカトルは喜々として言った。
「これらの娘はいずれも、わしら長老や有力なカシケにゆかりの生娘ばかりじゃ。どうか貴殿ならびに麾下の武将の方々にお受けとりいただき、丈夫な子などつくっていただきとうござる」
老シコテンカトルは、五人の娘のうちの一人の手をとってコルテスに言った。
「この器量よしがわしの末娘でござる。どうか貴殿にお受けとりいただきたい」
コルテスはちょっと困ったような表情を浮かべて言った。
「うむ。ご好意はありがたく頂戴する。だがその前に、こちらとしてもやってもらわねばならぬことがある。そのことがすんでから、そのお娘ごらをいただくことにしたい」
そのこととは決まっていた。彼らに改宗をもとめ、その奉ずる神々を捨てさせることである。コルテスはその実行を長老らにせまったが、この件といい、娘たちの献上の件といい、それらはまさしくセンポアラでの出来事のくり返しだった。
長老らは、改宗と神の放棄を執拗にしいるコルテスに頑強に抵抗した。例のごとく、オルメド神父がことを急ぐコルテスをたしなめ、そしてこんどは、アルバラードらの幕僚たちもコルテスを説得して、結局、小さな神殿の一つをクリスト教の祭壇にあらためることで、ことは落着した。
このごたごたがすむと、五人の娘たちは洗礼を受けさせられ、正式にコルテス麾下の幕僚らのものとなったが、コルテス自身は老シコテンカトルがじきじきに譲ろうとした、あのきれいな娘は受けとらなかった。彼は、そのルイサという洗礼名のつけられた娘をアルバラードに与えた。
老シコテンカトルはコルテスにかきくどいた。
「なぜなのじゃ。なぜわしのかわいい末娘を受けとってくれん。わしは貴殿のような勇敢なおひとと身内のつきあいができるのを楽しみにしておったのに」
コルテスは苦笑いを浮かべて言った。
「娘ごを受けとったあのアルバラードという男はわたしの弟なのだ。貴公の望みどおりのとても勇敢な男で、おなごにもやさしい。それにとても美男で、体格にもすぐれている。さぞかし立派な子ができるであろう。だから安心なされるがよい」
アルバラードが弟だなんて初耳だが、もちろんこれはその場のがれの方便にすぎない。コルテスが娘を受けとらなかったのは、たぶんマリーナの機嫌を考えてのことだろう。あのトラスカラとの野戦において、シコテンカトルからの不意の夜襲におびえきり、いつになく弱気におちいっていたコルテスに、奮起と勇武の気をそそいでくれたあのマリーナに対して・・・。その彼女の顔には誇らしげな色が浮かんでいる。
しょの12
コルテスは、彼のそばにひっついて、ほとんど終日離れようとはしない老シコテンカトルから、トラスカラのことやメシカのことなどについていろいろ聞きだした。
それによると、トラスカラとメシカとは、何と百年ちかくものあいだ攻防をくり返しているのだという。「攻」はもっぱらメシカのほうで、「防」はトラスカラのほうだ。メシカはいまでは十万にもおよぶ兵力を動員できるという。
トラスカラ人とメシカ人とは、もともとは同じ部族に属していたらしい。共に北の辺境の地からこの一帯に入ってきたのだが、トラスカラのほうがずっと先でメシカのほうが新参者なのだという。
トラスカラのイーグル戦士を描いた壁画。800-900年頃
(古代マヤ文明 創元社 マイケル・D.コウ著より引用)
入ってきたばかりのメシカ族は弱小未開で、自分たちの身を落ちつける場所すらもてなかった。傭兵のようなこともやって、その日を何とかやりくりしていたのだという。二百年ほど前に、やっと湖中に浮かぶ小島に腰を落ちつけ、初代の首長も選んだ。
メシカ族は、湖岸に領国をもつテパネカ族の傭兵となったり、ときには彼我の首長間で婚戚関係をきずいたりして、しばらくはおとなしくしていた。その間に首都の建設にも着手して領土を少しずつ大きくしていき、国としての体裁をととのえていった。
やがて百年ほどがすぎさった。テパネカ族は、日ごとに力をたくわえ、たくましくなっていくメシカ族に対して、しだいに警戒心をつのらせるようになった。彼らはメシカ族を迫害しだした。メシカ族は容易にこれに屈せず、しんぼうづよくもちこたえた。このねばりにしびれをきらせたテパネカ族は、ついにはメシカの首長の暗殺をくわだてた。
このとき、その名もトラカエレルという名の英傑がメシカに現れた。彼は、やはりテパネカ族からの侵略を受けていたテスココ族と連合して、理不尽な領土拡大をもくろむテパネカ族に敢然とたち向かった。激しい攻防の末、連合軍は強敵テパネカ族をうち破った。この結果、テパネカ族の領国はメシカ族のもとなった。
このトラカエレルという重臣が、その後のメシカ興隆のいしずえを築いたのだという。メシカ族伝来の守護神ウイツィロポチトリも彼の手で主神にすえられ、血をほっする軍神の色彩をさらに強められて、たくさんの人間の生贄を求めるようになった。生贄確保のための花の戦争も彼によってはじめられた。
軍神ウイツィロポチトリにみちびかれるままにメシカは遠征をくり返し、必要に応じては同盟もしてめきめきと版図を広げ、ついにはあたりにならぶもののない強大な帝国にのしあがった。島は拡張につぐ拡張がかさねられ、首都のテノチティトランにはいまやすこぶる巨大な神殿がいくつも建ちならび、十万ちかい人が住み、島の北にあるトラテロルコの大市場では、数万にもおよぶ買物人がひきもきらないという。
コルテスは老シコテンカトルにたずねた。
「貴国はそのような強国に、これまでどうして滅ぼされなかったのであろう」
老シコテンカトルはにやりとして答えた。
「面従腹背でござるよ。メシカに服属する部族は数あれども、みな心から服従しておるわけではござらん。メシカはそんな部族からかり集めた傭兵を使っておるから、その士気は決して高くない。そういう者たちのうちにはこっそり、メシカの動静を知らせてくる者もおる。だから、我らは準備万端で戦いにのぞむことができる。それに、ウエショツィンコのような同盟国からの援軍だってえられるのじゃ」
このしたたかな老人には、モクテスマもさぞかし手をやいていることであろう。老人は言葉をつづけた。
「ただな、チョルーラのやつらだけは信用してはならん。あいつらは腐れ縁によってメシカとつるんでおるのじゃ。近くにはメシカの駐屯兵がおって、そやつらが我らに泥棒猫のような襲撃をちょくちょくしかけてくるのじゃ」
チョルーラというのは、ここから南に五レグア(約二十八キロメートル)ほどくだったところにある大きな都である。ここからも遠望することができ、これまでに見たこともないような、とてつもなく巨大な神殿ピラミッドが建っている。
コルテスは老シコテンカトルから、メシカの首都であるテノチティトランのことについてもいろいろと聞きだしたが、その内容は、トラスカラ領内に入る直前にたち寄ったソコトラという町のカシケから聞いたものとほぼ同様だった。
我々はトラスカラで思いきり手足を伸ばした。センポアラ以来の休息の日々だった。
退屈しのぎに、コルテスは火山の探検を命じた。ポポカテペトルと呼ばれるその火山は、南西の方角で噴煙をあげている、雪をかぶったひじょうに高い山だった。
ポポカテペトル山 5426m
(wikipediaより引用)
我々は煙をあげる山というものを初めて目にしたので、この探検には興味しんしんだった。エスパーニャにはどこを探しても煙を吐く山などはない。
ベラスケス家の家令長の職にあったディエゴ・デ・オルダスを指揮官とする探検隊が、さっそく煙の山に派遣された。兵士九名と食糧を運ぶトラスカラ人があとに従い、それに加えてウエショツィンコの町で案内人がつけられた。トラスカラと同盟しているウエショツィンコは、煙の山のすぐ近くにあった。
十数日後、オルダスの一行が無事に帰ってきた。隊員たちを前にオルダスが語ったところによると、山は雪の斜面ですべりやすく、足もとはぐらぐら揺れ、噴煙を吐く頂上からは真っ赤に焼けただれた小石や灰がひっきりなしに飛んでくるといったありさまで、一緒についてきたトラスカラ人と案内人は、怖れをなして逃げ帰ってしまったという。
オルダスと九人の兵士はそのまま山を登りつづけて、とうとう頂上に達した。煙の穴をのぞくと、そこは地獄もかくやと思われるばかりの火の渦で、赤い舌のような炎がめらめらと燃えさかっていたという。
そこまで語り終えると、オルダスは一瞬まをおき、してやったりといった顔つきをして声をはりあげた。 「とうとう見てやったぞ。あのテノチティトランを!」
隊員たちは思わず歓声をあげた。
「噂どおりの湖上の都であった。光り輝いておった。この世のあらゆる富が、あそこにはあるにちがいないぞ」
再び歓声があがった。コルテスもうれしそうな顔をしている。富という言葉の魔力がその場に渦まいた。
トラスカラでの平穏無事な日々はまだつづいていた。チャンは太っちょ領主の姪にあい変わらずつきまとわれていたが、まんざらでもない様子だった。酒でちょっとばかりしくじって、コルテスからしかられたりもした。わたしはといえば、ひまと所在のなさをかこってぼんやりいた。
通訳の仕事がないというのではなかった。わたしが必要とされなくなりつつあるだけなのだ。マリーナが簡単なエスパーニャ語を使えるようになって、最近はわたしがいなくても彼女とコルテスは話ができるようになっていた。コルテスとこの地の者との会話にしても、わたしを素通りしてかわされていくことが増えた。わたしだって、マリーナとの協同通訳を通じて、多少のメシカ語は理解できるようにはなっているのだが、だからといってわたしには、もう一人の通訳をさしおいて言葉をとりつぐようなまねはできなかった。しかし、彼女にはそれができた。
マリーナには、そんなわたしの所在なさをおもんばかる気持はないようだった。彼女にはそんな余裕はない。インディアスの原住民である彼女は、白い人間のコルテスに気にいられるようにつとめるだけが精いっぱいなはずだ。その思いがエスパーニャ語の上達をうながしているのだ。わたしには、そんな彼女を責める気にはなれない。だが、このわたしから通訳という仕事をとってしまったらいったい何が残るというのか。わたしの影は日ごとうすくなっていった。
ある日の昼さがり、太っちょ領主の姪が、宿舎のテラスでまどろんでいるわたしに話しかけてきた。彼女はチャンとのまじわりを通じて、いくらかのマヤ語が話せるようになっていた。マリーナもそうだが、言葉をおぼえるいちばんの早道は、その言葉をしゃべる大切な異性に気にいられるようつとめることである。
太っちょ領主の姪が言う。
「あなた、最近、元気がない。どうしたの」
わたしは答える。
「わたしの影がなくなろうとしてるんだ」
「影?」
「うん。影がなくなるってことは、存在しなくなるってことなんだ」
「ばかみたい、あなたの影はここにあるじゃないの」 「それはただ、この五体が映しだしている天然の影にすぎない」「それじゃいけないの?」
わたしは言葉につまる。それでいいのかもしれないという思いがちらりと浮かぶ。わたしの心はいくらか軽くなった。わたしは笑顔を見せて彼女に言った。
「ありがとう、カタリーナ。きみが好きになったよ」
カタリーナは頬を染めた。
「女としてよりももっときみが好きになった」
「あのね、そのカタリーナってのはやめてちょうだい。わたしにはちゃんとカナ・ポーという名前があるの。月という意味よ」
「ああ、わかった、カナ・ポー。きみは確かに月だよ。きみの月明かりでなら、わたしにも何とかうまい影ができそうだ」
彼女はうれしそうに笑った。笑顔は決して不細工ではなかった。彼女はそっとわたしの肩に手をおいて「それじゃね、さびしがりやさん」と言って去っていった。
しょの13
十月十二日、我々は二十日ちかくをすごしたトラスカラに別れを告げた。センポアラから随行しているトトナカ戦士に加えて、トラスカラからの援軍六千、それに食事のまかないをするトラスカラ女三百が従っている。めざすはチョルーラである。トラスカラの首都まで同行してきていたモクテスマの使節たちが道案内にたっている。
トラスカラを発つ前、コルテスは老シコテンカトルら四人の長老から、チョルーラにだけはぜったいに行くなといさめられていた。チョルーラはモクテスマに服しているから、どれほど汚いしうちが待っているかしれないというのだ。それよりも我々と同盟しているウエショツィンコをめざされよ、と口をすっぱくして言いつのった。一方、モクテスマの使節たちは、もし、貴公らが本当に我が王に会いたいというのなら、チョルーラへ行けば何かと好つごうでござろう、とまったく反対のことを言った。
コルテスの心はゆれたが、それをチョルーラ行きに固めたのは、モクテスマからの使者の追いうちだった。モクテスマはまたしても使者をよこしてきたのだ。例のごとく豪華な贈り物をたずさえて彼らはやってきた。彼らはモクテスマからの伝言として、トラスカラの悪口をさんざんならべたてたうえ、どうしても自分に会いたいというのであればすみやかにチョルーラにまいられよ、そこへ来られれば何かとお世話ができ、ご不自由もおかけしないで済むあろうと、いやにそわそわしながらコルテスにつたえて、挨拶もそこそこに帰っていった。
これには陰謀のにおいがする、とコルテスは幕僚たちに言った。「おそらくチョルーラで我々の殲滅(せんめつ)をはかろうとしているのであろう。だが、我々はあえてそのチョルーラに行こうではないか。チョルーラをたたかねばならないときには思いきりたたく。メシカへ向かう我らの背後に、そのような勢力を残しておくのはすこぶる危険だからな」
コルテスは幕僚たちの意見を求めた。幕僚たちはいまやコルテスの操り人形のようになっていたから、大勢はコルテスのこの考えにかたむき、チョルーラをめざすこととなったわけである。
チョルーラにはすでに人をやって、我々の訪問を知らせてあった。そのチョルーラからほんの一レグア(五・五キロメートル)ほどのところで我々は野営をした。すでに日が落ちかかっていたからである。するとそこへ、チョルーラからの使者団が現れた。彼らは歓迎の意をあらわし、夜食をさしだした。そして、正式なお出迎えは明日いたすでありましょうと言いおいて去っていった。
翌日、その出迎えが町の入口で我々を待ちうけていた。おびただしい数の人間がつめかけていた。てんでに花を持ち、それを隊員たちに捧げる。神官たちは小さな神像をささげ、焚きしめたコパルの香を隊員たちにふりかける。その神官らの視線が同行のトラスカラ戦士に向けられたとき、彼らの目の色が変わった。神官の一人がマリーナに何ごとかを告げた。彼女は二度、三度うなずいてコルテスに耳うちした。神官のかたわらに立つ首長らしき者の一人が、その耳うちの内容をす早く察してこう言った。
「我々とは不倶戴天の敵どもがあそこにおります。あのトラスカラ人たちにはいますぐ国へひき返すよう、あなた様の口から言ってやってください。それがかなわぬなら、あいつらをこの町の外におとどめ願いたい」
コルテスが答えた。
「あいわかった。おおせのことはもっともである。トラスカラの者たちには、このチョルーラ市内へは一歩たりとも足を踏みいれさせぬゆえ、安心されるがよい」
神官たちと首長たちの顔に安堵の色が浮かんだ。コルテスはここで、挨拶がわりのレケリミエント(通告)を行った。神官たちと首長たちは困ったような顔つきでこれを聞いていた。
我々はトラスカラの戦士たちを外に残して、トトナカ戦士と、荷かつぎとまかないのトラスカラ人だけを従えて市内に入った。ものすごい数の住民が鈴なりで我々を見物していた。見せ物になるのはもうなれていた。隊列をひきしめ、気をいささかもゆるめることなく行進して、あてがわれた宿舎に入った。そこでは申しぶんのない食事の饗応が待っていた。
数日が経過した。トラスカラの戦士たちは町の外に仮小屋をつくり、そこで寝起きしていた。彼らには何かすまないような気もする。老シコテンカトルがここにいたら、怒りくるってさっさとひき返してしまっていることだろう。
トラスカラからついてきたモクテスマの使節たちは、町に腰を落ちつけている。文字どおり彼らは落ちつけていられるのだ。なにしろここはモクテスマに服している町なのだから。
その使節たちのもとへ、モクテスマの使者がやって来た。ちょこまかとよく使いを出す王様である。使者らはコルテスに顔を見せるでもなくすぐに帰った。彼らが何をつたえにきたのかは知らないが、このときを境にチョルーラ人の態度がよそよそしくなった。食事を出すのをしぶるようになり、首長たちも前ほどには顔を見せなくなった。コルテスがたずねると、トウモロコシが不作のせいだとか病気のためだとか言う。もちろんいい逃れにすぎない。
コルテスはい合わせた幕僚たちに言った。
「食事が出ないというのは、ていのいい兵糧責めだ。町の雰囲気も殺伐として、人の出入りも激しい。きっとよからぬたくらみがあるにちがいない」
幕僚たちはうなずいた。そして、これまでに経験したことがない陰湿なはかりごとに包囲されているといういやな気配にいらだった。コルテスがとりなすように「まあ、もう少し様子を見て・・・」と言いかけたとき、ばたばたと足音がして、三人のトトナカ戦士の部隊長が血相を変えて飛び込んできた。彼らは口々に言った。
「あいつらは謀反をたくらんでおりますぞ。通りには落とし穴がしかけられ、その穴の底にはとがった杭が何本も立っています。家々の屋上には胸壁がもうけられ、我々の頭上に落とすための石がたくさん積んであります。我々が町の外へ出られないよう丸太の柵で封鎖した通りもあります」
彼らはこうも言った。
「あいつらは、我々を生贄に捧げてその肉を食べるつもりです。そのための鍋も塩もトウガラシもトマトもすでに用意しています」
杭が立った穴は馬を殺すためのものであろうな、とコルテスがつぶやくいとまもなく、こんどは町の外にいるはずのトラスカラ戦士数人が、息せききって駆けつけこう告げた。
「お気をつけください。あいつらは戦(いくさ)をしかけるつもりですぞ。我々が確かに聞いたところによると、あいつらは戦勝祈願の生贄を町の外にある神殿に昨夜ささげたそうです。生贄七人のうち五人は子どもだといいます。それに女子どもや家財道具を町の外に避難させているやからもこの目で見ました」
彼らが持ち場へ去ったあと、コルテスはなるべく位の高そうな神官を二人ばかり捕らえてくるよう兵士に命じた。二人の神官が連れてこられると、コルテスはアルバラードに言った。
「そいつらの口を割らせてやれ」
アルバラードは二人の神官に詰問した。
「おまえたちが我々を殺そうとしていることはもうわかっている。そのたくらみの内容をつつみかくさずしゃべってしまえ」
神官の一人が言った。
「とんでもないことじゃ。我々はあなた方を喜んでおもてなしすること以外、何も考えてはおらぬ」
「それならばなぜ、食べ物を持ってこない。首長たちはなぜ顔を見せんのだ。なぜ通りに穴をしかける。なぜ生贄を捧げる。なぜ女子どもを避難させるのだ」
神官はだんまりを決め込んだ。アルバラードが「なぜなんだ」とどなった。答はなかった。アルバラードは神官の一人をひと刺しで突き殺した。もう一人の神官はがたがたとふるえだし、きびすを返して逃げようとした。アルバラードはその神官の髪をひっつかんでひき戻し、血まみれの鉄剣をつきつけて言った。
「殺されたくなかったら白状してしまえ」
もはやこれまでと観念した神官はうちあけた。彼の吐いたくらみの核心は、トラスカラ近くの町に駐屯中のメシカ兵二万人ばかりがこちらへ送り込まれて郊外の山蔭にひそみ、出動の機会をうかがっているというものだった。
神官は鎖につながれ、物陰にかくされた。コルテスは太いため息をもらして幕僚たちに言った。
「さあ、どうしたものかな」
幕僚たちが出す意見はおおむね三つに分かれた。一つは、このチョルーラを何とか脱けだして、トラスカラの首長たちがすすめたようにウエショツィンコをめざすという意見。もう一つは、いったんトラスカラに撤退して善後策を講じようという意見。もう一つは、こちらから先制してチョルーラを攻撃しようという強行策だった。
コルテスは言った。
「だめだ。全部だめだ。こうして罠がはりめぐらされた町をどうやって脱け出ようというのだ。こちらから攻めかけるってのもやっぱりだめだ。よく考えてみるがいい。我々がいままでの戦いで勝ってこられたのは、こちらからはぜったいに攻めかけず、つねに隊列を一つに固めて、襲いくる敵側に飛び道具と馬と鉄剣の切れ味を存分に味あわせてきたからだ。もし不用意に攻めかければ、側面と後方が手うすになる。無勢の我々にはこれは致命的だ。へたに動くことなく、鉄の武器と火器と騎馬の優位性を徹底的に活かしぬいてゆくのが、我らの戦法の極意なのだ。
そういう我々にとって、罠がしかけられ、物陰にはたくさんの敵がひそみ、おまけにゆくては封鎖されている市街戦は、もっとも忌避すべきものだ。家々の屋上からは矢が射かけられ、石が落とされるだろう。見えない物陰からは不意撃ちをくらうだろう。そういうちょこまかとした戦闘は我々には向かんのだ。狭い町なかでは馬も無用の長物となりはてるし、大砲は接近戦には役立たずだ。
そこでだな。ここはひとつ、我々のほうから不意撃ちをくらわせてやろうではないか。明日、我々はここを出ていくのだ。その別れの挨拶にかこつけて、四方がふさがれた広場に首長たちと将兵らを集めて、何も知らない彼らを皆殺しにしてやろう。こちらからやつらを封じこめて、だまし討ちにしてやるのだ」
ぞくっとするような冷気がながれた。幕僚たちの瞳は宙をさまよい、反対も賛成もできないでいた。コルテスは言った。
「どうした、みんな」
幕僚たちははっとしたように彼の顔を見た。彼は笑っていた。
コルテスはマリーナを呼び寄せて、おもだった首長たちをいますぐここに連れてくるよう言いつけた。彼女は如才なく、口もうまかったからこういう役目にはうってつけだった。
やがて首長たちがやってきた。コルテスは何くわぬ顔で彼らに言った。
「明日、我々はここを発つ。ついてはお別れの挨拶がしたいので、明朝、おぬしらと、おぬしらの配下の将兵たちは、この家の前の広場に集まってもらいたい」
首長たちの顔にしてやったりという表情が浮かんだ。してやられるのは実は、自分たちなんだってことも知らぬげに・・・わたしは吐き気がしてきた。
しょの14
夜が明けた。わたしはチャンに言った。
「あんたは今日一日家のなかにいて、外で何が起ころうと、何が聞こえようと一歩も外に出ないことだ」
「どうしてだ」
「わたしをきらいになってもらっては困るからだ」
「何が起こる?」
「はっきり言おう。この家の前の広場で虐殺が行われる。わたしの同胞たちが、別れの挨拶をしに集まってくるチョルーラ人をだまし討ちにするのだ」
「そんな卑怯なことは、我らの神々がぜったいにお許しにならんぞ」
「ああ、そうだ。何も知らない無抵抗な者を殺すのはいちばんの恥とされているからな」
「なぜ、そんなことをする」
わたしには答えられない。なぜそんなことをするのだと、わたしが聞きたい。
「あんたも、それからカナ・ポーも一歩も外に出るな。いまのわたしにはそれしか言えない。酒でも呑んでいればいい」
「わかった。そうするよ」
広場には、すでに首長たちや将兵らが集まりはじめているのであろう、彼らのあげる笑い声が聞こえてくる。その声にはどこか、勝ちほこったような響きが感じられた。わたしはチャンの肩に手をおいてぼんやり笑いかけ、家を出た。
広場はなるほど四方がふさがれていた。三方が建物で、残る一方は高い壁となっていた。出入口は三つで、そのどれにも剣と盾を持ったエスパーニャ人兵士が配備されている。広場の外にも武装した兵士たちが姿を隠しているはずだ。
人はどんどん集まってきて、やがて広場は盛装した男たちでぎっしり埋めつくされた。千人はいるのではなかろうか。騎馬にまたがったコルテスが、武装した兵士たちにとり囲まれて姿を現した。わたしは、彼のかたわらにひかえるマリーナの隣に立った。マリーナがいくらエスパーニャ語をおぼえたといっても、それはまだ子どもが話す程度のものでしかなく、大事な言葉を訳しおとしたり、訳しまちがえたりするおそれはたぶんにあるので、こうした大事な場面では、わたしはまだ必要とされていたのだ。
コルテスは声をはりあげて言った。
「我々はおまえたちと友となるべくここにやってきた。しかるにおまえたちはその意を無視して、あろうことか我々をだまし討ちにしようとしている。そのたくらみはすでに、我がほうには知れているのだ。おまえたちはその報いを受けねばならない。
おまえたちは我々を生贄に捧げ、その肉を喰らうつもりでいる。そのための鍋も塩もトウガラシもトマトもすでに用意してあるという。のんきなものだ。どうしても我々を食いたいというのであれば、おまえたちもトラスカラ人のように正面から我々にたち向かってきたらどうだ。腰ぬけめ。我らが神の名においてここに宣告するぞ。おまえたちの命運はもはやつきた」
神の面前で人肉を喰らうの図
(Wikimedia Commonsより引用)
コルテスは手で合図した。銃声が一発鳴りひびく。コルテスをとり囲んでいた兵士たちがいっせいに抜刀し、広場になだれ込んだ。無防備のチョルーラ人はひとたまりもなく斬り殺された。銃兵は十字砲火を浴びせる。待ちかまえていた騎兵も乱入して無抵抗の者たちを踏みしだく。当たるをさいわいと槍で突き殺す。逃れようにも逃れられない。出入口はすべてふさがれているのだ。壁をはいのぼって逃げようとする者は容赦なく斬っておとされ、銃で射ぬかれた。目もあてられない地獄絵図が血の絵の具でそこかしこに描かれた。手あたりしだいに殺戮されるチョルーラ人の阿鼻叫喚が、晴れわたった朝空にこだまする。広場の外では大砲の轟音が鳴りひびいた。血染めの槍をふりかざした騎兵が広場の外へ突撃する。息せききって駆けつけてきたチョルーラ人戦士が大勢これで死んだ。
阿鼻叫喚がいつしかやむと、そこは死体の山だった。切り落とされた手足や首やずり出た内蔵が散乱し、腸からは悪臭がただよい出ている。千にも達する死びとはもはやその死のリアリティを喪失し、一人の死の尊厳が千にも分断されて、その修羅の場はいまや、虐殺の場から屠殺の場へと変じていた。わたしは思わず祈った。気丈なマリーナもさすがに呆然としている。彼女も祈っている。わたしたちがこのとき祈りを捧げた相手とは、はたしてどんな神であったのだろう。あるいはどんな神ではなかったのだろう。
この惨劇からかろうじて脱けだしたチョルーラ人も少なからずいた。彼らはエスパーニャ人兵士に追われ、あの高さ五十四エスタード(約八十メートル)はあろうかという大神殿ピラミッドに逃げていった。彼らは神殿の基壇にとりすがって、気違いのようにその壁をかきむしった。チョルーラには言いつたえがあって、敵に襲われたときには基壇の壁を開けばどっと水が流れでて洪水となり、敵をのみ込むと信じられていた。水は一滴も出なかった。出たのは彼らの鮮血だけだった。百二十段もある階段を死にものぐるいでよじのぼって、基壇の頂きの神殿に追いつめられた者たちは、生きながらに焼き殺された。
酸鼻をきわめる蛮行はまだつづいた。トラスカラ人がどっと入ってきて、通りを固めているチョルーラ人戦士を撃退し、略奪をほしいままにしたのだ。あたりかまわず火をかけ、家々を破壊し、抵抗するチョルーラ人は殺戮した。翌日には老シコテンカトルの息子の、我々とも大いに戦ったあの小シコテンカトルが到着して、これに勢いを得たトラスカラ人は、金銀はもとより木綿の衣類や塩を思うぞんぶん奪いとった。エスパーニャ人兵士とトトナカ人もこの騒ぎに便乗して、相当量の金や宝石を手にいれた。
コルテスはしばらくはこの事態を静観していたが、トラスカラ人が奪えるだけのものは十分に奪いとったと見えるところで彼らに退去を命じ、町の外にひきあげさせた。すざまじい荒廃と血臭があとに残った。わたしはそこに、ふぬけのごとくただ立ちすくんでいた。
コルテスはチョルーラ人にこう言った。「友好の目的で来た我々をだまし討ちにしようとした」と。だが、友好目的であろうと、略奪目的であろうと、かってに押しかけてきて、会いたくはないというのをむりやり会おうとするのは侵略の第一歩ではないのか。いやがる相手に自分らの神をむりやり押しつけるのは侵略の第二歩ではないのか。粉塵の舞う瓦礫のなかで、わたしはそのことに気づきはじめていた。
チョルーラに平穏が戻った。町は少しずつ復旧していった。コルテスは、この町の実質的な支配者である首長が広場の事件で死んでしまったので、彼の兄弟の一人をあとがまにすえた。また、例のごとく神像の破壊と生贄の廃止をチョルーラ人にせまり、例のごとくオルメド神父にいさめられ、例のごとく神殿ピラミッドの一つをクリスト教の祭壇に衣がえさせて、十字架と聖母像を安置させた。まるまる太るよう、檻のなかで美食を与えられていた生贄の男女も解放した。
この都の規模はひじょうに広大だった。我々のいる町だけでも二万ちかくの家々があり、その周辺にはさらに同程度の規模の郊外地があった。広い畑にはトウモロコシと、この地の者が酒や布地の原料にするマゲイが栽培されていた。
この都では、百を越える神殿ピラミッドがその偉容をほこっていた。なかでもあの虐殺のあった大神殿ピラミッドは群をぬいて巨大で、噂にきくエジプトの大ピラミッドだってこれほどには大きくないと思われるほどだった。
チョルーラの世界最大級の大ピラミッドの動画。
下はこの動画の1シ−ン
頂に教会がのっている小山全体がピラミッド
ここにはケツァルコアトルという神が祀られていた。この都はケツァルコアトル信仰の一大中心地なのだ。
毎年ここでは、ケツァルコアトルを祝う大祭が盛大にとり行われる。その神に捧げられる生贄の準備は、祭りの四十日も前から進められる。もっとも美しい若い男を選んで水で洗いきよめ、羽毛や貴石でできた豪華な神の装束をまとわせる。彼は神の代理とみなされ、四十日間、ふんだんに美食が与えられる。従者を従え、町じゅうを歌い踊ってねり歩く。この神を人々がきそっておがみに集まる。祭りの当日には、彼は大神殿ピラミッド頂の石の台の上で胸を切りさかれ、心臓をつかみだされる。そのまだ鼓動をやめない心臓は神殿の神に捧げられる。
ケツァルコアトルといえば、我々がサン・ファン・デ・ウルアの小島に来着して、島から陸へ渡ったばかりのときのことが思いだされる。モクテスマからの初めての使者にコルテスが接見したとき、テンディレとかいう名前のその使者は、コルテスにケツァルコアトルの神の装束を着せかけたものだった。彼はコルテスこそはケツァルコアトルの再来なのだと言っていた。彼はそのあとも二度ばかり使いにやってきたが、いまも達者で過ごしているのだろうか。
二週間ほどがすぎさって、人々の気もいくらかしずまってきたとき、あのモクテスマからの使いがまたやってきた。彼らは二千ペソはするであろう黄金や宝石、たくさんの七面鳥、千着以上もの豪華なマントをさしだして、こんどは、テノチティトランへの我々の訪問を大いに歓迎すると言ってきた。また、チョルーラ人の謀反に関しては自分らのあずかり知らぬところであるので、よしなに願いたいとも言った。モクテスマのゆれ動く気持が手にとるようにわかる。コルテスはにこやかにねぎらいの言葉を述べ、使者六人のうちの三人を道案内としてこちらに残していくよう頼んだ。彼らは承諾し、残りの三名が帰路につくことになったが、トラスカラから同行させているモクテスマの使節団も、やっとこのとき一緒に帰ることが許された。
メシカへ向けていよいよ出発というときになって、トトナカ人の代表がやってきた。彼は、メシカまではとても同行できない、もうここらでセンポアラに帰してほしいと願いでた。これまで忠実につき従ってきたトトナカ人のこの頼みを、コルテスは受けいれた。
モクテスマからの贈り物の豪華なマントを手みやげに去りゆく彼らに対して、コルテスはベラクルスに駐留している仲間たちへの便りを託した。それには、これまでのこまごまとしたいきさつと、いよいよメシカに向かって旅立つことになったこと、さらに、いろいろな注意――警戒は決しておこたらず、周辺の住民の動向にはたえず耳をすませ、砦もさらに本格的な完成をめざすべきことなどがしるされてあった。
トラスカラの老シコテンカトルは、我々がメシカへ向けて旅だつことを伝令から告げ知らされてたいへんに嘆いたが、コルテスの意志の固いのを知ると、一万人の援軍の派遣を申しでてきた。コルテスはその好意に謝意はしめしたものの、そんなにも大勢の兵を同行させたのでは、モクテスマにいたずらに警戒の念をいだかせるばかりだと言って、一万はいいから二千人ほどにしてくれと申しつたえた。ほどなくして武装した戦士二千名がトラスカラから送られてきた。それまで同行していたトラスカラ人は、チョルーラでの略奪品を手みやげに意気ようようと帰っていった。