第4章
第5章へ⇒
←表紙へ
アステカ関連地図
本文中の画像をクリックしても地図が出ます
ツィンという名の貴族がつけた。このとき、アルバラードはコルテスの得点を必ず一点水増しにした。モクテスマはすぐにそれに気づいて、にやにやしながらアルバラードに言った。
「いかさまばかりする太陽の子には困ったものだな」
太陽の子とは、メシカ人がアルバラードに対してつけたあだ名である。アルバラードは確かに輝く男だった。髪もあご髭も金色で皮膚の色が白く、よい体格をしてこわもての二枚目だった。いつも口もとに笑みを浮かべて、自分の美男ぶりを演出していた。何よりも金髪ということがメシカ人を驚かせた。
勝負に勝って賭金を受けとったほうは、それを近侍の者たちに与えた。コルテスはモクテスマの近従に、モクテスマは彼の警護にあたっている兵士らに。モクテスマは、警護の長をつとめるベラスケス・デ・レオンに対してはまた別に贈り物をした。根はひとのいいレオンは、気前のいいモクテスマをすっかり気にいって、二人はとても親しくなった。
もう一つ、とてもびろうな話なのではあるが、当時のエスパーニャ庶民のお里がよく知れるおもしろいエピソードもあるのでそれも紹介しておこう。
兵士たちのなかには、ベラクルスで船を沈めた際に、その体格のよさや腕っぷしの強さなどで、船員から兵士に抜てきされた者も何人かいた。そのうちの一人がモクテスマの警護に立っているおり、でっかい音で放屁におよんだ。この男はそういったことが平気なのである。
それを聞きつけてモクテスマが怒った。メシカの者に、そういうはしたないことをする者はいない。ましてや、王のまぢかでそんなことをするとはあまりに気違いじみていると、当の兵士を呼びつけてきびしく叱責した。しかし、そこはさすがに気前のいいモクテスマで、今後は二度とそういう無作法はしないという約束で、その兵士に五ペソばかりの金細工を与えた。ところが兵士はこれに味をしめて、それからも警護に立つたびごとに同じことをした。モクテスマはベラスケス・デ・レオンに訴え、当の兵士は警護の任からはずされて大めだまをくらった。
モクテスマの気前のよさは金品だけには終わらなかった。何と、自分の側妾まで兵士たちに贈ったのである。わたしの知っているだけでも十人はその恩恵にあずかった。
女といえば、あるひょんな偶然から若い女を手にした者もいた。先にアシャヤカトル王の財宝が発見されたおり、隊員たちはほかにも隠されている宝物がありはしないかと宿舎のそこらじゅうを、それこそ床下から天井裏までひっくり返して探しまわったのだが、そのとき偶然に若い娘らがかくれ住む隠し部屋が見つかったのである。見つけた隊員はその娘らを自分のものとした。彼女たちは、結婚するまでのあいだ男子禁制の神殿にひきこもり、ウイツィロポチトリとコアトリクエの二神につかえて機織りに精をだす日々を送っていた未婚の娘たちだった。なぜ、あえてエスパーニャ人の寝起きする宿舎にこもったのかという理由については、エスパーニャ人の肉欲の犠牲になることを恐れたのだという舌ったらずの説もあれば、モクテスマの指示だったという話もある。前者の説は明らかにおかしい。エスパーニャ人が怖ければどこか別の離れたところに身を隠すはずである。娘らはただ、自分らの目つけ役が命じるままにひきこもったと言うばかりだった。
モクテスマにつかえる女たちのなかにも、エスパーニャ人にころぶ者がいた。コルテスは、モクテスマにつかえる女らを肉欲にかられてむりじいすることはきびしくいましめていたから、女たちを手にいれた男たちは、決してむりやりに彼女らを射とめたのではなかった。尻の軽い女というのは、どこの世界へ行ってもいるものである。
しょの8
ある朝、わたしとチャンが眠い目をこすっているところへテンディレがやってきた。彼は言った。
「こんなところに一日じゅう閉じこもっているのは体にわるい。どうだ、少し散歩してみないか」
海岸にいたときに通訳をつとめた関係で、彼は他の隊員たちよりもわたしになついていた。それにわたしにはチャンという彼と同じインディオの相棒がいるし、マヤの地で八年もすごしてきたといういきさつもある。それともう一つ、わたしはテンディレの弱みをしっかりと握っていた。彼はマリーナが好きなのだ。彼は真っ赤な顔をしてそれをわたしにうちあけ、彼女と話をさせてくれとせがんだ。わたしは、マリーナがひまなときを見はからって彼の希望を叶えてやっていた。
「散歩がしたいのはやまやまなのだが、単独で外へ出ることは禁じられているんだ」
と、わたしは言った。
「それは大丈夫だ。コルテス殿にわしから申しぞえをして、何とかお許しがでた。おぬしとチャンとカナ・ポーを連れていく。白い人間はおぬし一人だ。といっても、おぬしはチャンの故郷で八年もすごしていたから、ほかの白い者にくらべ色が黒いし髪も黒色だ。この地の者に見えなくもない、だから心配しなくていい。で、だな。できればマリーナも一緒にと思うのだが、どうであろう」
わたしはにやりとする。彼の魂胆がわかったからだ。わたしはマリーナのもとへ行った。彼女はいまやコルテスの現地妻そのもので、コルテスと起居を共にしていた。二人とも部屋にいた。わたしはコルテスに挨拶した。
「外に出る許しをいただいたそうで感謝します」
「うん。いろいろ見てきてくれ。見ていて気づいたことがあったら何でもいい、わたしに言ってくれ」
「わかりました。わたしは小柄なほうだし、色も黒いし、いまではメシカの言葉もしゃべれるから、現地人といっても通用するでしょう」
「わたしもそう思うよ」
と言ってコルテスはにやりとした。
「ところで、テンディレがその、マリーナも一緒に連れていきたいとだだをこねてるんですが」
各地の首長との応対ですっかり風格を増し、美貌も増したマリーナがおかしそうに言った。
「あのひとはね、わたしにはコルテスというひとがあるからと、いくら言ってもきかないの。それはわかっている、拙者にも妻がいる。拙者はあなたに対して横恋慕をしておるわけではない。拙者はただ、あなたとお話ができればそれでいいのだと言うのよ」
コルテスは言った。
「マリーナ、きみは残ってくれ。きみにもしものことがあれば、我々にとっては一大事だ。きみは残ってくれ」
確かにそうだろう。マリーナを失うことは兵士百人を失うにひとしい。この地の者にとってマリーナはいまや、コルテスという神の言葉を代弁して自分らにつたえ、また、自分らの願いを神なるコルテスにとりついでくれる巫女とみなされているのだ。コルテスに話しかける際に、彼らはマリンチェと呼ぶほどだ。マリンチェとは、おおざっぱに言えばマリーナのご主人という意味だ。わたしがいなくなってしまうのとはわけがちがう。
わたしたちは出かけた。わたしはモクテスマの従者の衣装を借りて、それに着がえていた。チャンとカナ・ポーは「そのまんまテノチティトランで暮らせるよ」と言って、さんざんわたしをからかった。テンディレはマリーナが同行できないことを聞くとこう言った。
「ああさようか。わしは、あのおなごの見た目の美しさに惑わされておるわけではない。何というか、あの凛として冴えざえとした氷を思わせるような居ずまいとふてぶてしさが、たまらなくわしをとりこにするのだ。この地のおなごはみな素直でおとなしい。あのようなおなごはとても珍しいのだ。まあ、ここにもひとり、骨のあるおなごがおることはおるがな」
彼はカナ・ポーのほうに、いたずらっぽい視線を投げかけた。
「ええ、ええ、わたしには骨もあるし、毒だってありますよ」
とカナ・ポー。確かにカナ・ポーも、この地の女にしては変わっている。しかし、彼女は決して氷を思わせるような女ではない。彼女は暖かかった。
わたしたちはまず、運河めぐりをした。テノチティトランを網の目のように走る水路をカヌーでへめぐった。トラテロルコの大神殿ピラミッドの頂きから見ただけではわからない、テノチティトランの日常が見わたせた。テンディレが自慢げに説明する。
「我が都の民はな、どの国の者たちより働き者で規律正しい。きびしい法にまもられて、安穏な暮らしをしておる。まずしい者はいない。ひどい凶作のときは国庫の作物が民に下賜される。教育もゆきとどいておる。誰でも無償で学校へ行ける。学校を出たあとの職業の自由もある。平民出の神官や隊長もたくさんいる」
町じゅうをカヌーで見てまわった。町は清潔だった。悪臭ただようエスパーニャのどの町よりもきれいだった。迷路のようなエスパーニャの町々に比べ、ここの町並みは碁盤の目のごとく整然としていた。
子どもたちはみな愛らしい。つぶらな瞳を輝かせてはだしで駆けまわっている。女たちは袖なしの上着と長めのスカートをはいている。少女は髪をまっすぐに垂らしているが、大人はたいてい編みあげている。鳥の羽根などで派手に髪を飾りたてている女もいるが、それは身分の高い家柄の者にだけ許されているのだという。身分のちがいは着衣の質や模様にも現れている。まずしそうな者はマゲイの繊維で織られた簡素な服を着ているが、金持ちや貴族らは木綿で織られた派手な模様の服を着ている。男たちの多くは腰布一つの裸だが、マントをはおる者もいる。腰布とマントの立派さで身分がわかった。すぐそれとわかる独特の羽根飾りを頭上になびかせてさっそうと歩く男は、四人以上の敵戦士を捕虜にしたばかりの勇者で、王国の禄を食(は)むことを許された男子あこがれの若き国士だ。
町の辻々には、公衆便所と蒸し風呂の公衆浴場があった。住民たちは毎日のように風呂に入るというからきわめて清潔だ。エスパーニャには公衆浴場はもとより、公衆便所すらない。
島が湖水と接する沿岸のほうにも行ってみた。そこにはたくさんの畑があって、みな湖水に浮いていた。葦やイグサでつくった頑丈な筏を水に浮かべ、その上に湿地や湖の底からすくった泥を積みかさねてまわりに樹木を植えつけると畑になるという。最初はたた浮かんでいるだけだが、年月がたって樹木の根が水底にはりだしていくと筏が固定され、安定した耕地になる。なにしろ水に浮いているので潅漑の必要がない。テスココ湖の水は元来塩分をふくんでいて耕作には向かないのだが、テノチティトラン東方の湖中に南北に縦断するひじょうに大がかりな堤防が築かれて、東側からの塩分の濃い湖水がこちら側に流れこまないようにしてあるという。
翌日もテンディレが散歩に誘ってくれた。同じ顔ぶれで出かけた。今日は王の特別の許しをえて王宮を見物するという。興味をそそられた隊員の何人かも同行した。
王宮は、大神殿ピラミッドが屹立する神域の東に面して建っていた。わたしたちは主のいない宮殿を見てまわった。石の壁は壁飾りでおおわれ、天井は高かった。いたるところに見事な絵が描かれていた。極彩色のそれらの絵は神々の姿であったり、神話の一場面であったりした。部屋の数はとほうもなく多かった。わたしたちはその数をかぞえることにした。結果からいうと、その数があまりにも多すぎてかぞえきれなかったことをここに告白しておく。
わたしたちは中庭に出た。獣の恐ろしい咆哮が聞こえた。わたしもチャンもカナ・ポーも、そして幾多の修羅場をくぐりぬけてきた屈強の兵士らもびくりとした。テンディレだけがけろっとしていた。彼は言った。
「ここでは野獣を飼っておる」
野鳥の鋭い鳴き声もする。テンディレがまた言った。
「鳥も飼っておる」
わたしたちは、手入れのゆきとどいた散歩用の小道を歩いた。庭一面に色とりどりの草花があふれて、いい香りがただよっていた。大きな池もあった。そのほとりには、王専用の沐浴場がしつらえられていた。王は毎日ここで湯あみをするのが日課であったという。しばらく行くと瀟洒な石造建物にゆきあたった。歌や踊りを見物しながら夕餉を楽しむための離れだという。
鳥の鳴き声がだんだん近くなってきた。羽音も聞こえる。やがて前方に、木柵で囲われたばかでかい鳥の館が現れた。わたしたちは、鼻先をくっつけるようにして柵のなかをのぞいた。まず鷲がいた。
鷲は、メシカ人にとってはいちばん大切な鳥である。ウイツィロポチトリがメシカ建国の地として予言した「蛇をくわえた鷲が、サボテンの頂きにとまっている地」というのが、まさにこのテノチティトランであったのだ。
神託を表現した図(現メキシコの国章)。この図柄のモチーフはアステカ時代から現在にいたるまで一貫して変わることなく、メキシコの国章のモチーフとして用いられている。
かつては流浪の民であったメシカ人は、この神託によってこの島に居を定め、大きな帝国を築いて今日にいたっている。また鷲は、メシカの名誉ある二大戦士団の一方を象徴する鳥でもあった。もう一方の戦士団はジャガーをその象徴としていた。
鷲の戦士像
(
wikipedia
より引用)
ジャガーの戦士
ひじょうに大切な鳥がもう一羽いた。それはケツアルと呼ばれる、緑と赤色の羽毛をもつきわめて美しい鳥である。
ケツアル鳥
(
wikipedia
より引用)
高貴ですらあった。ケツァルコアトル神は、この鳥の羽毛をまとった蛇の姿をしている。メシカの王や貴族や戦士たちは、この鳥の羽根飾りを頭上に誇らしくいただく。
羽根の色が赤、緑、白、黄色、青の五色で色どられた派手な鳥もいた。オウムのたぐいであろう。そのほかに質素ではあるが奥深い光沢の羽毛をまとった鴨などがいた。また、鳥舎のなかには池もあって、そこには長い一本足でひっそりたたずむ紅色の鳥(フラミンゴ)もいた。ユカンタンの海辺でわたしもよく目にしたことのある美しい鳥だった。
少し離れたところにある別の一角にも、鳥の鳴き声がひときわかまびすしい巨大な鳥舎があった。そこでは千羽ちかい七面鳥が、おもに食用のために飼育されていた。
ここで飼われている鳥たちの羽毛は、ある時期がくると刈りとられるという。しばらくするとまたもとどおりになるらしい。鳥の美しい羽毛は、この地の者にっては必須の装具だった。王、貴族、戦士の地位と名誉とを象徴する羽根飾りとなったり、王の輿の天蓋などを豪華絢爛に飾りたてたり、壁掛けや衣装などに織り込まれたり、軍旗に用いられて風に雄々しくはためいたり、盾の表をモザイクで美しくかざったり、女の髪飾りとなったり、儀式の仮面の材料となったりした。
わたしたちは野獣の咆哮がさっきから気になってしょうがなかった。テンディレにせっついて、それを見にいった。石造の大きな建物にそれらは住んでいて、頑丈な柵ごしに見物することができた。戦(いくさ)の神とされるさまざまな獣神像も、彼らと同居して祀られていた。
石壁でしきられた幾つもの獣舎があり、それぞれにジャガー、ピューマ、コヨーテ、狐、そのほかの肉食獣がいた。これらの獣の大部分は獣舎のなかで繁殖させているという。餌としては鹿、七面鳥、ウサギ、リス、猿、ネズミなどが与えられ、人間の生贄の胴体が与えられることもあるという。
この建物の別の一角には蛇が飼われていた。鳥の羽毛のいっぱい入った大きな壷をその棲家としていた。体長が一エスタード(一・六メートル)以上もある毒蛇もいた。黄色の地の胴体に緑の細かい縞模様が入り、背筋には大きな菱形の斑紋があった。尾の先端は輪のようになっていて、これを急激に振ってガラガラとうす気味わるい音をたてた。シューシューと鳴らすこともある。これに咬まれたら最後、一時間たらずのうちに死にいたるという。ネズミやウサギやハトなどをひと呑みにして餌とする。
わたしたちは、野獣と蛇の館を早々に退散して、宮廷のおかかえ職人の仕事部屋に行ってみた。金銀宝石を扱う細工職人、羽毛の細工師、絵師、彫り物師、陶芸師、木工師、機織り女、お針子などがたち働いていたが、その数はあまり多くはなかった。大部分の職人は、モクテスマの住みかえに従ってアシャヤカトル王の宮殿に移ったのだという。故郷で彫り物師をしていたチャンは、羽毛でおおわれた蛇をモチーフにした石の頭像に感心しきりだったが、その像はケツァルコアトルをかたどったものだった。チャンはククルカンと呼んだ。この神はマヤの地ではそう呼ばれているのだ。
わたしたちは王宮で豪華な夕食をご馳走になり、腹も好奇心も満腹にして宿舎に戻った。
しょの9
エスカランテの後任としてベラクルスに赴任したサンドバルから、約束どおり船をつくるのに必要な品々がとどけられた。船体の材料となる樫の木が、モクテスマの手配になる大工たちの手によってさっそく切りだされ、荷かつぎ人足によって遠路はるばる運ばれてきた。この地では車輪が使われないので、どんなに重い物でも人間がかついだり、背負ったり、ひっぱたりして運ぶのである。
隊員の船大工二名の指揮のもと、みるみるうちに櫂で漕いでも進める二隻の小型帆船ができあがり、樹皮の詰め材が入念に詰められて、松脂が塗られた。索具と帆と櫂がとりつけられ、甲板には天幕がしつらえられた。船大工のマルティン・ロペスはいい腕をしていた。
船は無事、湖上に進水した。マストには国王旗がかかげられた。帆を使っても、櫂を使っても湖上をすべるように進んだ。モクテスマはこれを見て子どものように喜び、この船を使って小島に渡り、狩がしたいとコルテスに申しでた。その島は王族のみがたちいることを許されたご猟地だった。
狩の当日、王は大勢のとりまきと、コルテスがさし向けた警護兵らを従えて船に乗り込み、甲板の天幕に陣どった。大砲も四門すえられた。この地伝統のカヌーも同行して、王宮専属の狩人を運ぶことになった。
強い追い風にのって船は快調に湖上をすべった。櫂を使ってさらに船足をあげると、同行のカヌーはぐんぐんひき離された。モクテスマは大はしゃぎだった。彼はこの地では有数の知識人ではあるが、この地の者特有のあまりにたわいない無邪気さからは脱しきれずにいた。この船が単なる遊覧目的でつくられたはずのないことを知り、その快走のほどに戦略的な警戒心をいだく着眼があれば、そうは単純には喜べないはずなのだ。
船はまたたくまに小島に着いて、王は存分に狩を楽しんだ。獲物は十分だった。彼の上機嫌はますますこうじて、この数日来きいたことのない高笑いがあたりにこだました。つき従ってきた延臣や従者たちも、王の久かたぶりの上機嫌に顔をほころばせた。
鹿やウサギやウズラなどたくさんの獲物をたずさえての帰路、帆船はこんどはカヌーに負けた。行きの追い風は帰りには逆風へ転ずるは自然の道理、帆船は帆をおろさざるをえず、櫂だけの勝負になってカヌーが勝ったのだ。自分の家臣が勝って王はこれも喜んだ。そして船上から大砲が一発はなたれるとさらに狂おしく大笑した。延臣や従者たちはもはや一緒には笑わず、どこか不安げな表情を浮かべた。
日々が飛ぶようにすぎさり、あれよあれよというまに十二月も下旬となって、あと三日もすれば聖誕祭(クリスマス)というその日、モクテスマは、中央広場の大神殿に詣でたいとコルテスに申しでた。わけをたずねると、ウイツィロポチトリと共に祀られているトラロックに生贄と祈りを捧げると同時に、最近とみに不穏の気配を増している身内の貴族らの気をしずめるためだと答えた。彼の弟や甥の貴族たちが三日にあけずやってきて、いつまでこの屈辱にあまんじているのか、殿がお命じになれば我らはすぐにでも決起いたすであろうと、彼をけしかけているのだという。
コルテスはしぶしぶと承諾して言った。 「警護の兵士をつけることをお許し願いたい。何のための警護であるかは、あなたもお察しであろう。不穏な気配が少しでもあれば、あなたのお命はない。それにしても、いったい何を神に祈ろうというのだ」
王は答えた。
「我らの精妙なる暦に照らして、半年後にやってくる雨季の雨乞いをするのだ」
「生贄はなりませんぞ。我らの神がそれをお許しにならん。念のため神父も同行させよう」
「わかった。生贄はやめよう」
こう約束して、モクテスマはすばらしく豪奢な輿に乗り、着飾った大勢の供まわりを従え、金の錫杖をたずさえた三人の屈強な戦士をつゆはらいとして威風堂々と神殿に向かった。腕自慢の四人の将校と百五十名の兵士、それとオルメド神父があとにつづいた。
一行は、そのぐるりを高い石壁――蛇の壁と呼ばれる――でとり囲まれた神域へと足を踏みいれた。ひじょうに大きな広場のいちばん奥に、軍神ウイツィロポチトリと雨神トラロックを祀る巨大な大神殿ピラミッドが、左右にやや小ぶりの神殿ピラミッドを従えて屹立していた。神殿ピラミッドの前にひろがるだだっぴろい空間には、数十にもおよぶ大小の石造建物群がひしめいていた。
大神殿ピラミッドとその周辺(各建造物の配置は決定的なものではない)
上を後ろ(東)からより広域に見たもの。
我々がまず行きあたったのは球戯場だった。まわりを回廊で囲ってあって、チェトゥマルにあるそれのようには開放的ではなかった。ウイツィロポチトリの祭礼の日には、ここで四人の生贄が殺されるという。この球戯場の左手には、作物の神シペトテクの広壮な神殿があった。その神殿の中庭には生贄の石段があるという。シペトテクの祭礼の日には、生贄はその石段の上で羽毛にふちどられた木刀を渡され、完全武装の四人の戦士たちと闘わされる。あらがいようもなく殺された生贄は皮をむかれ、その皮を神官がまとう。神官はその皮を二十日間まといつづけて町をねり歩く。
球戯場をすぎた前方にはケツァルコアトルに捧げられた神殿があり、その右手には髑髏の祭壇(ツォンパントリ)
があった。後者の祭壇には、数十ものしゃれこうべをさしとおした高い杭が何百本も立っていた。しゃれこうべの総数は五万、いや十万ちかくにもおよぶのではなかろうか。延々と神々に捧げられてきた生贄の頭蓋骨であろう。こうして首なしにされてしまった胴体のほうは、心臓をぬきとられて肉切り台にのせられ、石刀で切りさばかれて、その四肢は人間に、胴体は王の飼っている野獣や蛇に供されるという。
ケツァルコアトルの神殿は、他の神殿がみな方形をしているなかで、これだけは円形に高くそびえ、屋根もまるかった。白い外壁には緑色の帯が入っていた。まろみと清楚さとにあふれ、ほっと息をつけるいとまがこの小ぶりな神殿にはあった。この神殿は広大な神域のちょうど中央に位置していた。
ケツァルコアトルの神殿をすぎると、テノチティトラン随一の大神殿ピラミッドに付帯する前庭が広くひろがっていた。前庭のずっと奥にそびえる大神殿ピラミッドは、三十二年前、前王アウイソトルが完成させたもので、軍神ウイツィロポチトリと雨神トラロックの二神に奉納したものだという。落成の祝典では、二十日間にわたって二万人もの捕虜が生贄に供せられ、その四肢を食する大がかりな祝宴も催された。王宮の庭園で飼われている野獣や蛇たちには、食べきれないほどの胴体が与えられた。
大神殿ピラミッドの基底部はほぼ正方形で、一辺が三百十エスタード(約五百メートル)ほどもあり、頂きの神殿へ通ずる二列の階段は百三十段を数える。左側の階段をのぼりつめるとウイツィロポチトリの神殿に、右側のそれをのぼりつめるとトラロックの神殿にいたる。
モクテスマは自分を輿から降ろすよう命じた。彼は自分につきそってきた身内の貴族二人に腕をあずけて、大神殿ピラミッドの階段下まで進んだ。そこには神官たちが出迎えていて、そこからは彼らが階段をのぼる王をたすけた。神官らの話によると、トラロックの神殿では前夜にすでに、四人の生贄が捧げられたという。
王が階段をのぼるとき、オルメド神父は彼にこう念をおした。
「どうか生贄だけはなさらぬよう」
王はこう答えた。
「生贄を捧げない祈りになど、神は耳をおかしにならない。わたしはこれから、大人と子どもの生贄を捧げて祈らねばならない」
神父のいさめはまったくむだだった。神事のまえでは、王はコルテスとの約束もあっさり反故にした。
ほどなくして、血まみれの生贄の首なし死体が階段をころがり落ちてきた。下で待ちかまえていた神官たちが、その死体を髑髏の祭壇に運んでいった。祈りをすませた王は、神官に腕をあずけて階段を降りてきた。とてもすっきりした顔をしていた。彼は輿に乗り、行列は再び動きだした。
大神殿ピラミッドの階段を血染めの死体がころがり落ちるという光景は、宿舎の窓からもたびたび目撃した。毎朝、夜明けと共にまずウズラがウイツィロポチトリに捧げられ、それがすむと人間の生贄が捧げられるのだ。
歩きながらわたしは、広大な神域をあらためて見まわした。ここには全部で七、八十の建物があるというが、そのなかには貴族の子弟のための学校、神官の住居、穀物倉庫、武器庫、音楽院などのほか、未婚の娘たちが結婚するまでのあいだ住んで、ウイツィロポチトリとコアトリクエの二神につかえて、機織りに精をだす修道院のような建物もあるという。コアトリクエというのはウイツィロポチトリの母親であるというが、その神の像が女人の姿をしているなどと思ってはならない。そこはこの地の神である。形容しようのない奇っ怪しごくな容姿をしている。体はずんぐりしていて、頭はジャガーの牙をもった二匹の蛇でかたどられ、人の手と頭蓋骨と心臓を首にまきつけ、足の爪は鋭い鷲のそれである。
アステカの母なる神「コアトリクエ」
(サイト
http://1939.cool.coocan.jp/
より引用)
宿舎に戻ったモクテスマはたいそう機嫌がよく、護衛のお供をした四人の将校とおもだった兵士たちに金細工を贈呈した。この王が、これまでにさまざまなかたちでエスパーニャ人の誰かれにふるまってきた金の総額ははたしてどれくらいになるのか、それを考えるとわたしは思わず身ぶるいした。
しょの10
モクテスマが大神殿に詣でる口実として、彼の身内の貴族らが造反をたくらんでいることをあげたが、それは本当だった。テスココの領主のカカマツィンがその首謀者だった。
テスココはテノチティトランに次ぐ第二の大都で、テスココ湖の東岸にある。数年前まではいちおう独立した国家だったのだが、モクテスマの甥のカカマツィンが領主にすえられてからは実質的にはメシカの属領となった。テスココというのはメシカよりもずっと古い国で、メシカ族がまだ弱小であったころ、共に連合して強敵テパネカ族をうち破ったこともある。そしてこの連合が機縁となって、テスココとメシカはタクバをひきいれて三国同盟を結び、三国はしばらくは対等な関係にあった。だが、メシカがしだいに強国化していくにしたがい、残りの二国は衛星国の地位になりさがっていったという。タクバというのは、テスココとは向い側のテスココ湖西岸に位置する町である。
カカマツィンの陰謀は、モクテスマのもとに身を寄せているカカマツィンの末弟の口からモクテスマに逐一つたえられた。この末弟はカカマとはおりあいがわるく、カカマから何かされそうな危険を感じとってここに移ってきていた。モクテスマは、この男から聞きだしたカカマのたくらみのすべてをコルテスに告げた。タクバの首長とコヨアカンの首長、それにモクテスマの弟でイスタパラパの首長であるクイトラワクも、この陰謀に荷担していることがわかった。
コルテスは、とりあえずカカマを慰撫する使いをだした。我が国王陛下にたてつく者は、決してそのままにはしておかぬという威嚇をこめるのも忘れなかった。しかし、カカマはけんもほろろの返事をしてよこした。とりつくしまもなかった。
コルテスは、直接会って話がしたいので、カカマを呼び寄せてほしいとモクテスマに頼んだ。モクテスマは言った。
「そうしてもおそらく甥は来ないだろう。それよりも、こちらから向こうへ出ばって甥に会う算段をつけられたほうがよろしかろう。その手はずはわたしがつけよう。甥はあのとおりの性格で人望もない。甥に同調しない者も数多くいる。そういう者らと計って甥を捕らえられるというのなら、それもよろしかろう」
コルテスは破顔一笑してモクテスマに言った。
「まことに貴公は英明な君主であられる。わたしは貴公には心から親しみをおぼえる。貴公には一日もはやく王宮へお移りいただきたいものだ」
いつもどおりの舌先三寸であることは、モクテスマにはよくわかっていた。渡りに船とこの言葉にとびついても、コルテスはまたうまい口実をもうけて自分をまるめこもうとするだろう。そうされることは、おのれの誇りをひどく傷つけるものであることをモクテスマはすでに学んでいた。その意味では、モクテスマは確かに英明ではあった。
コルテスにしてみれば、このたびの一件はあくまでも王家の内輪もめというかたちで収めておきたいのである。ことの平定のために、あからさまに兵を起こして自分たちが出ばってしまえば、火に油をそそぐ結果となって、もっと過激な造反が起こるであろうことを彼はよく理解していた。自分たちは決して表にはでず、騒動から姿を消しておくことが、現在の自分らの無事の源となるのだ。だから、自らすすんでカカマの捕縛を示唆するモクテスマの申しでには、コルテスは文字どおり欣喜雀躍した。モクテスマはいまや、コルテスの操り人形の域をこえて、自らコルテスに荷担することでメシカの安寧をはかろうとしていたのである。
モクテスマからの使いに対して、カカマは応諾の意思表示をした。会見の場所はテスココのさる首長の館と決められた。その館は湖に突きでていた。コルテスは、反カカマ派の部将や親戚とはかってその館の床下に兵士を乗せたカヌーを配備させ、カカマが姿を見せたら捕らえるよう指示した。五人の配下をひき連れて、コルテスに向けてこれまでの鬱憤をいっきにぶちまけようとやってきたカカマは、コルテスいずこときょときょと見まわしているうちに、床下に隠れていた兵士らに強襲されてあっけなくその身柄を拘束された。
カカマは、テスココから天幕つきのカヌーでテノチティトランまで護送された。船から降ろされたカカマは、王家の者にふさわしく輿に乗せられてモクテスマのもとへ送られた。
まだ若く激情家のカカマは、モクテスマとさんざんやりあった。業をにやしたモクテスマは、コルテスの計算づくの申しいれを受けいれて、カカマの身柄を彼にひきわたした。カカマは鎖につながれ、カカマと一緒に捕らえられた五人の配下は許されて釈放された。
コルテスにとっては、まだことは落着していなかった。カカマに同調した三人の有力な首長がまだ残っていた。モクテスマの弟でイスタパラパの首長であるクイトラワク、モクテスマの甥であるタクバの首長、それにコヨアカンの首長らである。コルテスはモクテスマを説きふせて、この三人の身柄も拘束させた。三人はカカマと共に鎖につながれ、エスパーニャ人の監視下におかれた。コルテスにとってこれは上々の首尾だった。王はもとより、メシカを実質的に支配する四人の有力者をも人質にとってしまったのだから・・・。
コルテスはさらに、モクテスマにすすめて、モクテスマのもとに身を寄せているカカマの末弟をテスココの新領主にすえさせた。この領主は洗礼を受けさせられて、ドン・カルロスという名前を与えられた。この地で、クリスチャン名をもつ最初の領主が誕生したわけである。
モクテスマのご難はまだつづいた。エスパーニャの国王に対して臣下の礼をとることを、コルテスに暗に強要されたのである。モクテスマは以前に、コルテスの一行がまだトラスカラにいるときに、使者の口を通じてエスパーニャ国王に貢納してもよいとつたえたことがあった。コルテスはさっそくその言質をたてにとった。モクテスマは、口先男のつきつけるそんな言葉には耳をかさず、軽くいなしてそらっとぼけていればいいのだが、モクテスマはコルテスではなかった。この地においては、ひとたび口にしたことを反故にするのは、このうえもない恥とされていた。
旧大陸の海千山千の世界から独り大海原をへだててとり残された箱庭の帝王は、結局、身内の貴族や重臣、それに各地の首長らを集め、理解がえられるかどうかを相談してみようと言った。彼はもう、コルテスの操り人形に徹しきってしまっているのだ。だから、このうえ問題となるのは自分の意志などではなく、他の者たち――身内や重臣、それにこのあたり一帯の首長やカシケらの意志なのである。そして、その者たちに説得を試みようと言っているのだ。
年も明けた十日後、その"他の者たち"の一団がアシャヤカトル王の宮殿に参集してきた。彼らを前にしてモクテスマはつらい声明を発した――。
伝承のとおり、一の葦の年に、東の海の彼方より新たなる支配者がやってきたこと、自分はこれらの方々と居を共にし、言葉をかわし、その方々に喜捨をしていること、自分はいま、その方々のつかえる王の臣下になろうとしていること、それらのことについて、我が大神ウイツィロポチトリはまだ明確な答をおしめしではないこと――などをるると述べ、自分の十七年間の治績についても軽くふれ、何ごとも神のおぼしめしなのだから、ご一同もどうか、この自分と共に新たなる王の臣下となることを承諾してほしいと懇請し、大神からはやがては何がしかのご返事がくだされるであろうから、それまでは、そのうつろう時の聖なるながれに身をゆだねようと結んだ。
モクテスマの目は涙で濡れていた。参集者の多くも涙にむせんだ。わたしもほろりとした。営々と築かれてきた大帝国の、その支配者の見るかげもない、あまりにせつない口上だった。王に次ぐ四人の有力な首長も拘束されて気弱になっていた参集者らは、そのほとんどがエスパーニャ国王の臣下となることを誓った。この地の者とはちがい、どんな誓いにも不信の影のつきまとうことを前提にことをはこぶ白人のひとりであるコルテスは、しゃくなほどにぬけ目がなく、ちゃっかりと書記のゴドイを同席させて、これらの誓いの証しを書面にしるさせてしまった。
しょの11
メシカの王がエスパーニャ国王の臣下となることを誓ったいま、コルテスが次に手をつけねばならないのは、メシカの王にさらに追いうちをかけてまず改宗をせまり、生贄を廃止させてしまうことだった。だが、それにもまして即、着手すべきはやはり黄金あさりだった。もちろん自分のふところを肥やすためにも、また、自前で従軍している兵士らへの報酬確保のためにも。
コルテスは、ぬけ殻のようになったモクテスマをしきりにせっついて、この地の金鉱脈のありかとその採取法についてたずねてみた。どこまでも鷹揚なモクテスマは、そんな黄金亡者のコルテスに、いつものごとくていねいに金鉱脈のありかとその採取法とを教えた。コルテスはさっそく人をやって鉱脈の視察を開始した。泥棒に追い銭を地でいくモクテスマは、その視察に必要な人員の提供まで申しでた。
もっとも、日頃なにくれとなく兵士らに贈られる金の小物もふくめて、モクテスマがこうまで気前がいいのは、東海の彼方から約束どおりにやってきた神に対する喜捨の念もあずかっていのだろう。モクテスマが先日、自らエスパーニャ国王の臣下になると言明し、参集者に対してもそうするよう求めた集会においても、彼はそのようなことを言っていた。わたしは以前、モクテスマのことを人間を知らない大甘のお坊ちゃんだと嘆じたことがあったが、そうとばかりもいえない信仰上の理由もあったのだ。
金あさりが本格化しだすと、コルテスとその幕僚たちは、以前ほどモクテスマのもとに顔を出さなくなった。彼らの代わりに、もっぱら、わたしとチャンとカナ・ポー、それにテンディレが彼の相手をした。テンディレはモクテスマの寵臣だし、その彼と仲のいいわたしは、通訳をつとめていることもあって、モクテスマは気をゆるして何でも語ってくれた。いまでは簡単なメシカ語をあやつれるようになったチャンとカナ・ポーも王のお気にいりだった。この二人はどこかひょうきんだし、話もおもしろい。
おかしなことに、モクテスマはマリーナがあまり好きではなかった。彼はこっそり、わたしにこううちあけたことがある。
「あの女はコルテス殿に魂を売り、コルテス殿と同じ目線でわたしを見る。わたしは、ほかの首長のように、コルテス殿をマリンチェ(マリーナのご主人)などとは呼ばない。マリンチェのことを、コルテス殿の話すことがらを我々にとりつぐ巫女だなんて思ってもいないからだ。わたしは彼女を、ただの言葉のとりつぎの道具として利用し、コルテス殿と意思をかわしている。あの女はただの下僕にすぎない。しかし貴君は、おのれをしっかりとわきまえて、コルテス殿にもわたしにもかたよることなく、つつしんでおのれの役目をはたしてくれている。それに貴君は、このわたしの大切な友だ」
モクテスマはマリーナを上から見さげている。マリーナを慕っているテンディレは彼女を下から見あげている。わたしやチャンやカナ・ポーは彼女を隣に見ている。三人のマリーナがいるのだ。
わたしたちはいつものように、王宮御用達のチョコラトルをふるまわれて口にしていた。水蜜桃でつくったとろけるような菓子も。カナ・ポーの大好物だった。
わたしはチョコラトルをひと口すすってからモクテスマにたずねた。
「あなたは、コルテス殿のことを、ケツァルコアトルという神にゆかりの者であると申されますが、そのケツァルコアトルとはどのような神なのですか」
モクテスマは、にこやかにわたしの質問を受けとめて答えた。
「その神はな、わたしの心なのだ。その神の降りたもう世界は、わたしのみはてぬ理想境なのだ。我が民の主神は、太陽と戦(いくさ)の神ウイツィロポチトリと、ウイツィロポチトリの裏の神格である闇の神テスカトリポカだが、ケツァルコアトルはテスカトリポカに追われた神なのだ。
テスココ湖北方の東の荒れ地に、我々がテオティワカンと呼ぶ広大な廃虚がある。テオティワカンとは神々の都という意味だ。この都――テオティワカンが廃虚と化す寸前に、この都の聖なる竈(かまど)から第五の太陽が誕生した。そしてこのとき、第五の人間も、ケツァルコアトルによってその命を吹き込まれたのだ。第四の人間とともに滅びさったトウモロコシの種を再び見つけだして、人間が飢えないようにしてくれたのもケツァルコアトルだ。
ケツァルコアトルは地上の支配者でもあった。ケツァルコアトルは、天地の諸法を開示し、祭り事の範をしめし、文字を教え、学問を興し、詩歌と技芸をひろめ、匠の技をおしみなくつたえて、そのありあまる智恵と智識をもって民をみちびいた。ケツァルコアトルは生贄をきらった。戦(いくさ)も好まなかった。この神のもとで、その恵みを受ける者たちはトルテカ(建造者)と呼ばれるようになった」
モクテスマはチョコラトルをすすった。満足げだった。彼は一室にこもって先祖からひきついできた伝承をひもとき、自分なりの解釈を加えて瞑想にふけるのを好んでいた。だからこうした話をするのは、決していやではないのだろう。
「やがて北の辺境から蛮族が来たって、トルテカの国々をおとしいれ、新たなる支配者として君臨した。彼らは先住民の残した遺産――ケツァルコアトルのつたえた智恵と智識
とその産物とをまるごとひきついでいった。ケツァルコアトルの信仰と共に。
だが、なかには先祖伝来の神――好戦的で生贄を求める闇の神テスカトリポカを捨てさることのできない部族もあった。かくして、テスカトリポカとケツァルコアトルとの戦争がはじまった。あるところでは、互いの妥協が行われた。ケツァルコアトルを祀りながらも、生贄を捧げたのだ。ケツァルコアトルはただの名目にすぎず、その実体はテスカトリポカだった。別のところではもっと苛烈な戦いがあった。ケツァルコアトルは奸計にあい敗北した。彼は容赦なく排斥され、追放された。
ここに一つの伝承が生まれた。
ケツァルコアトルはテスカ
トリポカの奸計にあって国を追われ、赤と黒の地をめざして東方に去った。陸がつきて海辺に達すると、彼は蛇の筏に乗ってさらに東へ向かった。彼は去りぎわ、見送りの者たちにこう約束した。
『五十二年ごとにめぐってくる一の葦の年に、わたしは東方から戻ってこよう。わたしが失った王国と玉座は必ずとり戻す。わたしを追放した国の者たちにとって、それはたいへんな災いとなろう』
我らメシカの民は、この神々の戦いのずっとあとに、やはり北方の辺境から南へ旅だった。飢えにさいなまれる漂泊が長くつづいた。我が民はそれでもくじけなかった。ウイツィロポチトリが、我が民が居つくためのよい地を告げられていたからだ。それは、蛇をくわえた鷲がサボテンの頂きにとまっているという場所だった。それがこのテノチティトランだったのだ。メシカは建国され、ウイツィロポチトリの加護のもとでみるみる勢威を増していった」
寝息が聞こえていた。それも二人分だった。チャンとカナ・ポーが仲よく船を漕いでいた。わたしはしっかり聞いていた。テンディレはこの国の者がみなそうするように、王の顔を直視することをはばかって目をふせていた。
「テオティワカンの竈(かまど)から生まれでた第五の太陽はいつ、その動きを止めるのか。それは太陽の神ウイツィロポチトリの活力ひとつにかかっていた。これまでに太陽は四度もその命を失っているのだ。太陽が夜をうち負かして、再び東の方(かた)から昇ってくるようにするためには、夜の闇に負けない力を太陽に与えねばならない。その力は人の血に秘められている。どきどきと脈うつ心臓に宿っている。太陽の命をまもるために、王たちは多くの生贄を切りさき、その血と心臓をウイツィロポチトリに捧げた。メシカの王は、この世界を滅亡からまもるという重い責務をひき受けたのだ。
だが、ここで困ったことが生じた。遅れてやってきたメシカの民は、トルテカ伝来の遺産――それはまさにケツァルコアトルの遺産なのだが――のおかげをもって繁栄している国々を模倣して国づくりを行っていた。あとからやってきた者はそうせざるをえないのだ。自然、ケツァルコアトルの信仰も広がった。
一方、メシカには生贄を求めてやまぬウイツィロポチトリがいた。生贄や争い事を好まぬ軟弱とも思える文化神ケツァルコアトルへの信仰はだから、メシカの支配者らとってはきわめて不都合な代物だった。なにしろメシカは、軍神ウイツィロポチトリのもとで、刃向かう者は容赦なく討伐してその領土を奪い、生きながらに捕らえた者は次々に軍神に捧げ、もってその勢威をより一層拡大せんともくろんでいたのだから。
新たなる神話――ウイツィロポチトリによるケツァルコアトル迫害の神話が創作された。はるか昔のいにしえより語り伝えられた伝承では、闇の神テスカトリポカはケツァルコアトルを追放したことがある。それにならい、ウイツィロポチトリはテスカトリポカの形をとって、さまざまな奸計をろうしてケツァルコアトルを迫害し、ついには追放してしまった。歴史はくり返されたのだ。
しかし、メシカの支配者たちは、自分たちが手本としたテスカトリポカによるケツァルコアトルの追放という故事には、もう一つ、自分らにはうんと都合のわるい伝承がついてまわっていることにも恐れをいだいた。その伝承とは、“自分は追放されても五十二年ごとにめぐってくる一の葦の年には必ず東方より戻ってくるであろう”というケツァルコアトルの決然たる誓いの約束であった。
この不気味な予言のために、彼らは結局、彼らのパンテオンからケツァルコアトルを完全に抹消しさることはできなかった。他の神々のそれとは一風異なる円形にそびゆる神殿すら捧げた。そうしてケツァルコアトルの御霊をしずめつつも、歴代の王は五十二年ごとにめぐってくる一の葦の年をひそかに畏れ、東方より必ず戻ってくるというあの約束に少なからずおびえた。もし本当に戻ってくれば、それはケツァルコアトルの約束の成就であり、それは、失った王国と玉座は必ずとり戻すと誓ったケツァルコアトルの報復の成就であるとも言える。となれば、メシカの王国と玉座はケツァルコアトルに明けわたさねばならないのかもしれない。
そうして今年、まさにその一の葦の年に、コルテス殿が東の方(かた)からやってこられたのだ」
モクテスマが、テノチティトランに初めて入城しようとするコルテスに初対面したとき、彼はびっくりするほどの熱情あふれる歓迎の弁をコルテスにあびせかけたものだが、その昂揚の意味が今わかったような気がした。
わたしは言った。
「それであなたは、コルテス殿の言うがままになっているのですね」
モクテスマがぎょっとしてわたしの顔を見た。わたしも自分の放った言葉の過激さにたじろいだ。わたしたちは顔を見あわせた。モクテスマの目に怒りの色はなかった。彼は言った。
「わたしは、最初にも言ったように、ケツァルコアトルにゆかりの、人間らしい文化の香気ただよう、あのうるわしいいにしえの治世に深いあこがれをいだいている。だが、そのケツァルコアトルを追放し去った我が軍神ウイツィロポチトリは、この世界を滅亡の危機からまもっているだけではなく、我がメシカの富国強兵を支える精神のいしずえともなっている。二柱の神のみ心はあまりに乖離している。わたしの心のうちで、二柱の神はつねにせめぎ合っている。わたしは、ケツァルコアトルの再来に畏れをいだくと同時に、それを待ちのぞみもする。わたしがコルテス殿にどのような感慨をいだいているかはどうか察してほしい」
わたしはもう一つ、気がかりになっていることを彼にたずねた。
「ウイツィロポチトリとテスカトリポカがメシカの主神だと言われましたが、ウイツィロポチトリは太陽の神で、テスカトリポカは闇の神なのだから、両者は互いに敵どうしのはずです。それなのにその両者を共に主神にいだくのはなぜですか」
モクテスマは答えた。
「それがメシカの神なのだ。表では光と闇とは激しくあい争い、裏では互いに気脈を通ずる」
わたしは、うっとりするほどの混沌につつまれていった。
しょの12
鉱脈の視察におもむいた連中が、ぼつぼつと戻りはじめた。三つの地方にやられた彼らは、何がしかの黄金を手にしてきた。みな砂金だった。この結果に気をよくしたコルテスは、かねての懸案をモクテスマにもちだした。
「モクテスマ殿。あなたの領土でかなりの金がとれることがわかった。それで相談だが、あなたが我が国王陛下に対し臣下の礼をとられる以上、あなたと、あなたの治下にある者たちは、陛下に税を納められてはいかがかと思うが」
モクテスマは承諾した。王たる自分に貢納される黄金のうちの相当量を提供しようと言った。だが、彼はもっと驚くべきことを申しでた。
「それから、あなた方がすでに見つけられている父の財宝も、わたしからの贈り物としてあなた方の国王に献納されよ」
そのアシャヤカトル王の財宝がすでに、エスパーニャ人の手によって見つけられているのをモクテスマが知っているのはコルテスにもわかっていたが、それでも彼はその財宝には手をつけないでいた。しかし、こうして正式にお墨つきがえられれば、財宝を白日のもとにさらして自分らの手で思うように処置できるというものだった。モクテスマはそのほかにも、大人三人分の重さの金に相当する価値があるという見事なヒスイや、真珠と宝石で美しく飾りたてた吹き矢の筒なども王にさしあげようと言った。
これを聞かされた隊員たちは狂喜した。モクテスマの居室に押しかけては、兜をぬぎ、精いっぱい威儀をただして口々にほめそやし、礼を述べたてた。モクテスマはさびしそうにほほ笑んでいた。
アシャヤカトル王の財宝がいよいよ日の目を見ることになった。隊員たちは壁をうち壊し、隠された入口が現れるとそれをけ破ってどっと室内に押しいり、舌なめずりして宝物にとびついた。目がぎらぎらしていた。
彼らは、金箔がほどこされて宝石の象嵌された武器や祭器から、彼らにとっては何の価値もない羽毛装飾は、おしげもなくひきはがしては放りすて、首や腕や耳を飾る装身具の金だけををひきちぎっては緑のヒスイは投げすてて(当時のエスパーニャ人はヒスイの価値を知らなかった)、金と銀とヒスイ以外の宝石だけをうず高く積みあげていった。投げすてられたヒスイはトラスカラの部将たちがわれ先に奪いあった。この金銀宝石はがしは三日つづいた。
金だけでも、これ以上は積みきれないほどの大きな山が三つできた。それらの大部分は溶かされて延べ棒になった。そのほかにも、壊すにはあまりにおしい見事な金銀細工もたくさんあった。財宝の監察官に急遽任命されたゴンサロ・メヒーア立会いのもと、簡単に重さをはかってみたところ、延べ棒になったものがざっと十六万ペソ、金細工品が約七万五千ペソ、合計で二十三万五千ペソあることがわかった。これにはもちろん、この地の匠(たくみ)たちが腕をきそってうち込んだ羽毛装飾などの手練の技の価値はふくまれていない。それらのほとんどは無惨にうちくだかれて雲散霧消し、あるのはただ、黄金に飢えた亡者どもの眼前にくりひろがる生身の富の荒廃しきった風景だけだった。
金の山が日ごとに小さくなっていく、と兵士たちの口から不満の声がではじめた。コルテスや幕僚たちがこっそり持ちさってしまうのだろうと口々に言いつのった。兵士たちは、すぐに金を分配するようコルテスに訴えた。日頃はコルテスの言うことには何にでも従う兵士たちが、黄金のこととなると目をひんむいて激しくコルテスにせまった。コルテスは身の危険すら感じて、彼らの申しいれを受けいれた。
まず、陛下に納める分の五分の一がとりのけられた。残された金の五分の一はコルテスのとり分だった。兵士たちはまだ海岸にいるときに、その五分の一の金のとり分をコルテスに認めてしまったことを大いに悔やんだが、しょせんはあとの祭りだった。コルテスはさらに、この遠征にあたって自分が投資したと称する分をしっかりとさしひいたうえ、海岸で沈めた船に対してベラスケスが投じたとされる分までとりのけたのには、隊員らもさすがに唖然とした。あの船は諸君らの合意にもとづいて沈めたのだから、その船に対する補償に対し諸君が責任をもつのは当然だというのである。
ベラクルスにいる仲間のとり分などもさしひかれて、残った分を隊員らに分配したところ、隊長級の者のとり分が五百ペソ、自分の馬を所有する騎兵のそれが三百ペソ、銃兵、弓兵のそれが二百ペソ、歩兵のそれは百ペソにしかならなかった。コルテスは少なく見つもっても二万五千ペソ以上は手中にしているはずだった。
兵士らのあいだから当然、激しい不満と非難の声があがった。慰撫の天才コルテスもさすがにこれには閉口して、金はこれからでもいくらでも手に入るといって彼らをなぐさめた。不満のとくに激しい者に対しては、裏で何がしかの金をわけ与えることもした。
モクテスマも騒動にまき込まれた。コルテスお気にいりの幕僚の一人であるベラスケス・デ・レオンが、分配前に金をかすめとったのではないかと疑われて血の気の多い監察官のゴンサロ・メヒーアにきびしく糾弾され、それがもとで両人は決闘にまでおよび、近くにいた者が仲裁にはいって両人は軽い傷を負っただけでことは済んだのだが、喧嘩両成敗で両人は鎖につながれてしまい、レオンと親しいモクテスマがそれを気の毒がって、黄金の件は何とでもするから、レオンを解放してやってほしいとコルテスに申しでたのである。両人は鎖をはずされ、レオンはモクテスマのおかげでいくばくかの黄金をも手にいれ、前よりももっと裕福になった。
最後にどうでもいいようなことを一つだけつけ加えておこう。このわたしのとり分のことである。それは、ここに書きしるそうという気にすらならない、まさに言わぬが花のささやかなものだった。それはわたしの欲に比例していた。
黄金狂騒曲がようやく下火になったころ、モクテスマはコルテスにこんなことを申しでた。
「コルテス殿。わたしの娘の一人をめとってはいただけまいか。そうすればわたしとあなたは親族となる。あなたとのきずなはますます深まろう」
モクテスマはいまや、ひきずり込まれるように、自分が与えうるものはすべてコルテスとその一党に与えるつもりでいるらしかった。手持ちの金や宝石などもこれまでに何かにつけて隊員らにふるまってきたし、エスパーニャ国王への貢納をも約束した。彼はいまでは、たいした金持ちではなくなっているのではなかろろうか。
モクテスマの申しでを、コルテスはいろいろな理由をあげていちおうは辞退したものの、娘に洗礼を受けさせるという条件を首肯させて最終的には受けいれた。
コルテスはここでたたみかけた。以前に拒否されていた一件――大神殿のウイツィロポチトリとトラロックの神像を破棄して、かわりに自分たちの十字架を建立することをあらためて懇請したのである。モクテスマは、そんなことをすればいまはお怒りでない神々も激怒すると言って、これについてだけは聞く耳をもたなかった。コルテスは言った。
「それならばせめて、大神殿のひと隅に我らの十字架と聖母像を安置することをお許しねがいたい」
モクテスマはほとほと困りはてて、深いため息をもらした。彼がこうしてわずかでもすきを見せれば、それは必ずコルテスによってこじ開けられてしまう。彼は、神官たちに相談してみようとか細い声で言った。
モクテスマと神官らの話し合いはなかなかまとまらなかった。コルテスは、完全武装の五人の幕僚と七人の兵士をともなってモクテスマの居室を訪れ、話し合いの結果をただした。神官らがなかなかに強情だというのを聞くと、コルテスは、モクテスマのぐるりを険悪な顔つきでとり囲んでいる部下らに目をやりながら言った。
「ご返事しだいでは、この者たちはいますぐにでも神殿に押しかけて、あなた方の神の偶像をうち壊すと言っている。これ以上はわたしにも止めようがない。このことをよくおふくみのうえ、どうかもう一度だけ神官らと話し合われたい」
モクテスマは必死で神官らを説得した。神像がうち壊されたりなどされたら神は必ず激怒する、かといって、ケツァルコアトルの約束をはたされにやってきたコルテス殿の意向に全面的にさからえば、神の約束を破ったことになってこの国を明けわたさなければならない。ここはコルテス殿のいう妥協案をのんで、十字架ならびに聖母像とやらを神殿の片隅に置かせてはどうか――おそらくはこんなことを言ったのであろう。神官らは結局、この説得におれた。
こうして十字架と聖母像は彼らの神殿に間借りすることとなった。壁や床にこびりついた血は落とせるだけ洗い流された。さっそくミサが捧げられ、オルメド神父の美声と隊員たちのだみ声でアベマリアが歌われた。その歌声には、メシカの神に捧げられる歌みたいに太鼓やガラガラ(マラカス)のお囃子もなければ、粘土の笛の伴奏もなかった。見まもる神官らの目には、憤怒とけたはずれの怪訝(けげん)とが同居していた。
しょの13
テノチティトラン入城以来、早いものですでに三ヶ月がたとうとしていた。いまではわたしは、チャン、カナ・ポー、テンディレと共に町のいたるところに出没していた。テンディレの家にも行った。その最初の訪問はこんなふうだった。
テンディレの邸宅は、花園区と呼ばれる見事な花畑のいっぱいある区画にあった。この花に埋まった花園区のほかに、テノチティトランには、神殿区(中央広場はここにある)、ブヨ区、青サギ区と合計四つの区画があり、これら四区画の北側一帯にあの大市場のあるトラテロルコがひろがっていた。狭義のメシカとは、テノチティトランとトラテロルコ、それにテスココ湖岸の町々をさし、広義のメシカとは、東西は海岸まで、南は遠くマヤの地にいたるまでの広大な版図をいう。いわゆるメシカ帝国である。なお、単にメシカというときはおおむね、狭義のメシカをさすものと思っておいてよい。
テンディレは王の近衛部隊の長で、戦(いくさ)ともなれば一軍をひきいて王の直近にはべるという。その身分にふさわしい立派な屋敷に彼は住んでいた。家族は、彼の妻と母親、幼い子ども二人、それと彼の妹の六人だった。彼の父親も軍人で、トラスカラとの花の戦争で命を失っていた。
彼の母親はツィツィミトルといった。彼女は、宴席についた初対面のわたしたちをこう言って歓迎した。
「さあさあ、遠来の珍客にして我が息子テントリトルのご友人方、我が家秘伝のチョコラトルを召しあがれ。我が家秘伝のトルティーリャも召しあがれ。共にわたしが腕によりをかけてつくったものなのですよ。そして秘伝のモレ料理をどうぞ。七面鳥はこのわたしが手塩にかけて育てたもの。さあさあ召しあがれ」
秘伝の好きなツィツィミトルは、テンディレ――そのちゃんとした名前はテントリトル――にうりふたつの顔つきをしていた。つまり、顔も目も鼻もまん丸なのだ。ツィツィミトルの娘――テンディレの妹――のほうは反対で、顔は面長で鼻筋がとおり、涼しい目と小さな口をもっていた。体つきのほうはそれとは裏腹にしっかりしていて、そこは母親とテンディレと同様だった(といって、ひどく太っていたり、男のようにがっしりしているというわけではない)。顔はたぶん、父親ゆずりなのであろう。
わたしたちは秘伝の料理をご馳走になった。メシカ料理の味については最近は少しはわかるようになっているので、それが確かにうまいものであるのはわかったが、はたして秘伝と称するほどのものであるかどうかは、正直いって断言できなかった。わたしもメシカの宮廷料理を口にしているせいで、味にはいくらかうるさくなっていたのだ。
母親の独演会はつづいた。
「あれなるおなごはキラストリ。わたしの娘です。出戻りなんですよ。トルティーリャのつくり方がへたで離縁されたんです。まあそれは表向きの理由なんでしょうけど。相手の男はメシカ随一とうたわれている彫り物師なんです。そいつは大酒のみで、それが嫌さにとびだしたってのが本当の理由らしいけど、娘がトルティーリャのつくり方がへたってのも本当よ。この国では、トルティーリャをうまくつくれない女は、食べるばかりの怠け者という烙印が押されてしまうの。それにしても、彫り物師ってのはどうしてああ大酒のみばかりなんだろうねえ」
大酒のみの彫り物師であったチャンが言った。
「彫り物師が酒のみなんじゃない、酒のみが彫り物師になるんだ。でもおかしいぞ、この国では酒を口にできるのは老人と神官だけだと聞いているぞ」
母親がくすりと笑って答えた。
「それは表向き。家のなかではかまわないのよ。で、あなたは何とおっしゃるの」
「わしはチャン・プーだ」
「メシカの名前ではないわね」
「うむ。わしははるか東方の彼方にあるチェトゥマルというところからやってきた。こいつと一緒にな」
そう言ってチャンはわたしを指さした。
母親がやっと餌にかかったといったふうにわたしに言った。
「ああ、やっとあなたとお話ができる。あなたはわたしたちとは全然ちがう顔つきだわね。髪は確かに黒いけどちぢれているし、鼻もわたしたちより高いし、目も青い。あなたのカルプリのひとたちはみなそうなの」
カルプリというのはメシカ人古来の氏族集団で、他のカルプリより女をめとってその規模を拡大させ、みなから選ばれた長老のもとで一族全体の統制がなされる――といった、もっともらしい説明はテンディレから聞いて知っていたが、そうした民営の建て前も百年ばかり前からくずれだして、いまでは王を頂点とする官僚制度の一極統制によって社会全体が動いているという。考えてみれば、どんな国でもその国ができあがるまでの原初の姿はみなカルプリなのだ。わたしは鷹揚にうなずいて答えた。
「ええ、そうです。わたしの顔はよく見るとわかるように、アシャヤカトル王の宮殿にたむろしているあの白い者たちと同じ顔でしょう。わたしはあの連中の一人なんですよ。我々のなかには髪が金色の者だっています」
「ええ、ええ、そうですってね。あなた方のお仲間には太陽の子がいらっしゃるんですってね」
太陽の子とは、髪もあご髭も金髪のアルバラードのことであろう。黄金の板の的当て遊びのおりに、いかさまばかりをするアルバラードに対してモクテスマもそう呼んでいた。もしかしたら、民衆のあいだでは、コルテスよりもアルバラードのほうがよく知られているのかもしれない。騎馬にうちまたがった金髪碧眼、白い肌のアルバラードの雄姿は、確かに彼らの想像力をかきたてるに十分だったのであろう。
ツィツィミトルがまた言った。
「チャンにお願いがあるのだけど。あなたのお隣にいらっしゃるご婦人を紹介していただけないかしら」
チャンは答えた。
「ああ、これなるおなごはカナ・ポーといってな、センポアラの領主の姪ごさんなのだ。わしのことを好きでな、それでこうしてついてきておる」
カナ・ポーは奮然として言った。
「ひとのことを犬っころみたいに言わないでちょうだい。わたしはね、自分の運命に従っただけなの。あなたについていくのがわたしのさだめなの。あなたの目を見たときに、それがびびっときたのよ。いつも言ってるでしょ、あなたのなかにはわたしの大好きな父がいるって」
チャンはくすぐったそうな顔をして言った。
「しょせん、わしはおまえの父親なんだな」
「ええ、そうよ。娘が父親についていくのは当然でしょう」
チャンはいくぶん情けなさそうに言った。
「それはまあそうだがな。わしは男ではないんだな」
「そんなことはないわ。あなたは立派な男よ。あなたはわたしの父であり、わたしの大切な男なの。わかった?」
これまでにも幾度となくくり返されてきたにちがいない痴話ばなしをこうまで聞かされては、わたしたちは二人をやんやとはやしたてるほかなかった。
それまで口を閉ざしていた、出戻り女のキラストリがぽつりと言った。
「カナ・ポー、あなたはわたしの母に似ている」
そう言われればそうだった。二人とも顔と目鼻は丸いし、体格も立派だった。カナ・ポーとツィツィミトルは顔を見あわせて、互いにしかめっつらをした。ツィツィミトルがカナ・ポーに言った。
「おまもりくださる神様が同じなんだと思う。あなたの氏神様は何という神なの?」
「オメシワトル。石のナイフを地上に投げて人間を創った神様よ」
「わたしはトラルテクトリ。この神の体で大地はできているの。その大地に、あなたの神様が石のナイフを投げて人間をお創りになったのだから、やはり、わたしたちは縁があるのね」
たわいないこれらの話を聞きながら、テンディレの妻はひっそりほほ笑んでいた。本当は彼女こそこの地のよき女なのだ。ひかえめで、働き者で、寡黙で、夫の言いつけにはよく従う。ツィツィミトルとカナ・ポーのほうが変わっているのだ。キラストリはどうだかわからないが。
テンディレがわたしに言った。
「おぬしのまもり神は何なのだ?」
わたしは答えた。
「ヘスース・クリスト」
「先だって、ウイツィロポチトリとトラロックの神殿に間借りして祀られた神だな」 「そうだ」
わたしはこの種の話はあまりしたくなかった。みなの息づまるような視線が肌に痛い。
「主クリストは、人間の犯したすべての罪を、我が身いっしんに背負われて死なれた。わたしたちが神殿に立てた十字架は、その主の死なれたままのお姿だ。やがて主は復活された。その主のみ前では、すべての罪びとはおのれの犯した罪を許され、神の子として受けいれられて、魂の大いなる救いにあずかることができる」
テンディレが、いぶかしげな顔をして言った。
「それはおかしいぞ。罪を犯して死なねばならぬのは人間であって神ではない。おぬしらの信仰はむしがよすぎる」
それほど熱心ではないカトリックのわたしは、このての話が苦手だった。テンディレがさらに言う。
「それにわしらの神々は、おぬしらの神のように、自分だけを信じろ、ほかの神は捨てされなどとはぜったいに言わない。それがよい神なら何でも受けいれる。とはいってもだ、ウイツィロポチトリとトラロックは我らの国神だ。その国神を祀る神処に、自分らの神を割りこませろというのはあまりに身勝手すぎるというものだ」
誰か話題をかえてくれないものかと、その気持がとどきそうな視線をわたしは探した。キラストリがわたしの視線を受けとめた。彼女は言った。
「兄上、何をそう熱くなっているの。この方はほかの白い人間たちとはちがうわ。もちろん兄上たちともね。この方は神などお信じにならない。この方に信ずるものなど何もありはしない」
座がしんとした。わたしは心の奥隅を射ぬかれた。キラストリもやはり、この地の女にしてはじゅうぶん変わっていた。
しょの14
宿舎に戻ったあとも、キラストリの放った言葉が耳からはなれなかった。彼女は言った。「この方に信ずるものなど何もありはしない」と。わたしはそんなにさびしい人間なのか。内なる否定する声はない。いいだろう、それならわたしは、わたし自ら進んでそれに賛意をとなえてやろうではないか。
わたしは、わたしの心を逆なでにしたあの女に会いたくなった。三日ほどのち、わたしは一人でテンディレの邸宅におもむいた。ツィツィミトルが出迎えた。
「あら、今日はお一人で?」
わたしはうなずいた。そして、いつもにも似ずふてぶてしく言った。
「キラストリはいませんか」
「ああ、娘ならサルビアをつみに出かけているわ」
サルビアの種でつくったチアという飲み物は、ちょっとばかし風変わりな味だが、わたしの好物だった。チャンやカナ・ポーは顔をしかめていた。
「わたしも花畑へ行きたいのだが」
ツィツィミトルはけげんな顔をした。
「キラストリと話がしたいのですよ」
「まあ、そうなの。あのこに言いよる男なんてめずらしい」
わたしはこの冗談にあえて反論しなかった。面倒だった。わたしは黙っていた。ツィツィミトルは丁寧に道を教えてくれた。別れぎわ彼女は言った。
「キラストリは変わってる。わたしには、あのこがよくわからない」
わたしは花で埋まった花園区をぼんやり歩いた。花畑では、針のように細長いくちばしで花の蜜を吸うハチドリが飛びかっていた。花に吸い込まれてしまうのではないかと思うくらい小さく、緑色の金属光沢を放って花から花へとせわしなく飛翔を見せたかと思うと、羽根を昆虫のように振動させて中空に停止した。この鳥は、メシカの言葉ではウイツィロポチトリといった。メシカの主神ウイツィロポチトリとは、ハチドリの神なのだ。
道順をもっと真剣に聞いておくのだったと後悔しはじめていたわたしに、遠慮がちな声が飛んだ。声のほうを見るとキラストリがいた。太陽の光のシャワーをあび、花々にかしずかれて彼女は立っていた。わたしはエスパーニャの貴婦人のドレスを彼女に着せてみたいと思った。メシカの衣装は質実一方で華がないのだ。そこへいくと、センポアラの貴人の女の着るものは実にあでやかだった。お国柄といってしまえばそれまでだが。
わたしは花畑に入っていった。彼女が言った。
「こんにちは」
「こんにちは」
「すわりましょう」
と、サルビアの花を手にした彼女が言った。わたしたちは花に埋もれてすわった。しばらくは無言だった。別に気づまりではなかった。わたしはさっき感じたことを口にしてみた。
「きみにエスパーニャの服を着せてみたい」
「エスパーニャって?」
「わたしの生まれた国だ」
「どこにあるの」
「きみは海を見たことはないのだろう?」
「ええ、話に聞いているだけ」
「テスココ湖を百万個合わせたくらいの広い湖だと思えばいい」
彼女はうなずいた。
「きみが住むこの土地とエスパーニャとは、その海でへだてられている」
「信じないわけにはいかないわね。現にその国の人がここにこうしているのだもの」
彼女は確かに変わっている。こういう理路で話をする人間は、この地にはいないのだと思っていた。この地の者ならふつうなら、頭から信じようとしないか、わたしをできそこないの魔術師か何かにしたてあげるのがおちなのだ。
「このあいだはごめんなさいね、変なことを言って」
「わたしには、信じるものなど何もありはしないってこと?」
「ええ」
「きみにはそれがあるの?」
彼女はかぶりをふった。
「信じるものがないひとは、自分の居場所もないのじゃないかしら。わたしにはそう思える」
わたしは虚をつかれた。わたしが漠と感じていたことを、彼女は苦もなく言葉にしてみせたのだ。
「わたしは、自分の生まれ育ったこの美しい国が好きよ。でもね、ここはわたしの本当の居場所じゃないような気もするの」
「なぜ?」
「わたしは神殿なんかのない国へ行きたい。神々などいないところへ。たとえそこが風の吹きすさぶ不毛の荒れ野であっても」
彼女はある葛藤をもっている。そして、その葛藤に背を向けようとはせず、表を向けている。わたしは、むくわれない奴隷の身のまま、病に倒れて逝ったペドロがよく口ずさんでいたという詩を思いだした。
わたしは嵐のときに
みなが火を囲んでくつろいでいるときに
たとえ自然に彼らの仲間になれるとしても
あえてはだしで帽子もかぶらず、吹雪のなかへ出ていくような男なのだ
カタルーニャのある詩人がうたったというこの詩は、わたしも好きだった。この詩の男は、自分の真の居場所を求めてあえて吹雪のなかへ出ていこうとする。キラストリは女だが、彼女も、あえてはだしで帽子もかぶらず吹雪のなかへ出ていくような人間なのだろうか。わたしたちは似た者どうしなのであろうか。黄金などではなく、自分の真の居場所を求めてさすらう旅人どうしなのであろうか。
彼女が言った。ほほ笑んでいた。
「でもね、わたしには一人だけ信じられる神がいる」
わたしは言った。
「ケツァルコアトル?」
彼女はうなずいた。
「どうしてわかるの」
「何となくね」
「ケツァルコアトルはもうこの地にはいないわ。あいそをつかしてどこかへ行ってしまった。わたしはケツァルコアトルを探す旅にでたい」
わたしのエスパーニャに帰りたいという気持が、このときすぱっと消えた。その帰りたいという気持ちには、実は確固たる根拠などほとんどありはしないことに気づいたのだ。ただ単に、この地で一生を過ごしたくないという漠然とした忌避の念だけで、そこには、この地の者とは同化したくないという、隠れた人種差別意識がほとんど無意識のうちに揺曳していることにも感づいて、それが猛烈に恥ずかしかった。
それに、エスパーニャに帰たって何があるというのか。あのうつうつとした日々がまたまい戻ってくるというだけではないか。わたしは、多少おっかなびっくりではあったけれど、この地に自分の居場所を求めにやってきたのではなかったか。わたしの口から、ふいにこんな言葉がついて出た。
「ケツァルコアトルは目の前にいる」
自分で言ったこの言葉に、わたしはびっくり仰天した。だが彼女は笑わなかった。彼女はじっとわたしの目を見つめ、もじもじしながらも、手をさしのべてわたしの手を握った。そのあえかなしっとりとした彼女の手の温もりには、不思議な火照りがあった。鋭く小さい羽音がし、ハチドリ――ウイツィロポチトリが、わたしたちの眼前をさっとかすめた。
第5章へ⇒
しょの1
十一月一日、我々はチョルーラを出発した。雨季が明けて乾季に入りかけている時分だった。
最初の宿泊地は、ウエショツィンコ領に属する丘の上の小さな町だった。ウエショツィンコはトラスカラとは同盟関係にあり、ディエゴ・デ・オルダスを指揮官とする探検隊がポポカテペトルと呼ばれる大きな火山へ登る際に、案内人をつけてもらったところだ。その煙の山がすぐまぢかにせまっている。そして、その火山にも負けない偉容をほこるもう一つの大きな山嶺が右手にもならび立つ。白雪をいただくその山の名はイスタクシワトルといい、白い女という意味だという。
イスタクシワトル山 5230m
左側を頭にして横たわる女性のよう
(
wikipedia
より引用)
左がポポカテペトル山、右が
イスタクシワトル山
(サイト「
胡蝶の夢〜メキシコ編〜
」より引用)
コルテスは、町のカシケにメシカへ行くための道についてたずねた。カシケはこう答えた。
「テノチティトランへ通ずる道は二つありますがな。一つはよくならされた広い道、もう一つはサボテンや切り倒された大木でふさがれた道じゃ。よくならされた広い道のゆくてには、メシカの駐屯兵が詰めておるとのことじゃ。だからあなた方は、サボテンや大木などの障害でふさがれた道をおいきなされ。障害をとりのぞく人手と道案内は我々がお出しするゆえ、ご安心なされ」
ためしにコルテスは、チョルーラから同行しているモクテスマの使者に対しても同じ質問をしてみた。案の定彼らは、よくならされた広い道を行くようすすめた。
翌早朝、我々は町を発ち、ポポカテペトルとイスタクシワトル両山の山あいの道を進んだ。もちろん、サボテンと大木でふさがれた道のほうだ。町のカシケがつけてくれた者たちが障害物をとりのぞいてくれた。
道はやがて樹林でおおわれた登りとなり、大砲という重装備をかかえた我々の行軍は困難をきわめた。寒さはどんどんきびしくなり、吐く息は白くなった。やっとのことで樹林帯をぬけ、低い草と岩と瓦礫ばかりのところに出たときには、もう日が落ちかかっていた。商人が泊まる旅篭のような小屋のあるこの場所で、我々は宿営することにした。
次の日、雪が降って凍えるような寒さのなか、我々はポポカテペトルとイスタクシワトルとをつなぐ峠に登りつめた。左手にはポポカテペトル、右手にはイスタシクワトルがそびえ立つ。ここからそれらの山の頂きに登るためには、さらに上へ向かって登攀し、頂上をめざして峻険な雪の斜面をよじのぼらなければならない。トラスカラにいるときにオルダスがポポカテペトルに登頂したと言っていたが、何かそれも眉つばのような気がしてきた。
峠を越えてしばらく進むと眼前がぱっと開け、眼下に大きな盆地が眺望できた。盆地の北には靄(もや)につつまれた大きな湖が遠望できる。ウエショツィンコから同行している道案内の男が、「あれがテスココ湖です。テノチティトランはあの湖に浮かんでいます」と言った。隊員たちは大歓声をあげた。残念ながら、光り輝くというその都の偉容は靄に隠れて見えなかった。
その場所でちょっとした小休止をとっているところへ、モクテスマの使節団がやってきた。またかと思うだけで、誰もがもう驚かなかった。しかし、ひときわ贅をこらした装束をまとって、随員にかしずかれる貴人が一人いるのが、これまでの使節団とは異なっていた。貴人は随員二人に腕をあずけてコルテスの前にやってきたが、そのまま無言でいた。随員の一人が手で合図をすると、従者たちがかなり重そうな贈り物をさしだした。ほとんどが黄金だった。随員はこの黄金にめんじてとでも言いたげに、テノチティトランへの訪問はあきらめていただきたいと言った。それを三度くり返して、彼らは帰っていった。
残された黄金を目にして隊員たちは、うちふるえる寒さのなかで、うちふるえる喜びにわれを忘れた。テノチティトランを望見できるこの場所で、そのテノチティトランよりもたらされた光り輝く黄金を前にして、彼らは黄金亡者の本性をむきだしにし、猿(ましら)のごとくあさましく、豚のようにがつがつと、大蛇のごとく牙をむいた。
モクテスマというのは、人間を知らない大甘のお坊ちゃんなのだとわたしは思った。彼が使いを出し、黄金をさしだせばさしだすほど、このエスパーニャ人たちの欲望の炎はさらにさらに一層めらめらと燃えさかるのだ。
チャンが言った。
「こんなに高いところからこうして、人のたくさん住んでいる地べたを見おろすのは、わしは初めてだ。世間は広いものだな」
黄金にはさして関心をしめさないこの男の言葉に、わたしはいくらかほっとして言った。
「わたしだってそうだよ。あそこでたくさんの人間が泣いたり、笑ったり、ものを食べたり出したり、子を産んだり、喧嘩したりしているなんて信じられないな」
チャンがぽつりと言った。
「わしらももうじき、その仲間に入る」
コルテスが行軍を命じて、我々は峠道をくだった。山麓のアメカメカという町に着いたのはその日の午後遅くだった。アメカメカの首長は、黄金、貴石、羽根飾りと共に、装いをこらした四十人の美女をさしだした。近隣の町のトラルマナルコやチャルコなどの首長たちもやってきて我々を大いに歓待した。彼らの話を聞くと、このあたり一帯の住民らも、モクテスマの圧政と重税には困りはてているとのことだった。テノチティトランとはこんなにも近いのに、モクテスマはここでも多くの恨みをかっていた。
我々がメシカの膝元にまでたどり着いたという報せは、我々の動向に神経をすり減らしているモクテスマの耳にもいち早く達し、さっそく使いが送られてきた。彼らは、モクテスマの意として、もしひき返してくれるのならコルテスには大人六人分の重さの金を、またおもだったご家来衆には大人一人分の重さの金をさしあげると申しでた。
コルテスは金の大盤ぶるまいには大いに気をそそられたようだったが、自分たちの意志は少しも変わることはないし、我々がなぜ訪問するのかも王にじかにお話しするので、今後はもう使者の派遣はご無用に願いたいと言って、贈り物の金細工や宝石類はしっかり受けとったうえで、使者たちを丁重に送りかえしてしまった。
我々はアメカメカに三日ばかり滞在したのち、テノチティトランに向けて出発した。途中、トラルマナルコの町にたちよって、アメカメカでも顔を合わせた首長の歓迎を受け、休むまもなくそこを出て、その日のうちにかなりの広さをもつ湖のほとりに出た。
このような大きな湖水を見るのは、インディアスに来て以来初めてだった。湖上にはカヌーがしきりに行きかい、一部の民家は湖上に建っていた。この湖は東岸より突きでた半島のごとき大きな岬によって南北に区切られた大湖の南側を占める一帯で、大湖の大部分を占める北側の一帯はテスココ湖と呼ばれているという。そのテスココ湖は岬にじゃまされてまだ見えない。コルテスに会いにアメカメカにやってきた首長たちのうちにはチャルコの町の首長もいたが、そのチャルコは、いま眼前にしている湖の東岸に位置していた。そのチャルコをやや北にくだった湖岸がいま我々のいるところである。そこにはアヨツィンコという小さな町があって、我々はその町で一夜をすごした。
翌朝、我々が出発しようとしているところへ、またしてもモクテスマからの使節団が到着した。これまでの使節たちとは大いに異なり、威儀をただした威風堂々たる一団だった。身分のありそうな男八人が輿をかつぎ、その輿の上にはまだ年若い貴人が乗っていた。輿は緑色の羽毛や宝石で飾られ、その支柱は金と銀でおおわれていた。
輿がとまると、その先の路面を従者らが掃ききよめた。贅をつくした衣装をまとった貴人は、随員に手をとられて、静かに地上におろされた輿から降りてきれいに掃ききよめられた路上を歩んだ。ゆくてにはコルテスが待っていた。
貴人は土食いの礼を丁寧に行ってから、コルテスに言った。
「わたしはテスココの領主で、モクテスマ王の甥にあたるカカマツィンと申す者です。あなたさまをご案内するべくこうしてまかりでました。本来なれば王がじきじきにおうかがいすべきところなのですが、王はいま体調がよくないのです」
「モクテスマ殿のいつに変わらぬお気づかいにはあらためてお礼を申す」
コルテスはそう言って、内部にいろいろな色彩模様が入った少し高級なガラス玉三個をカカマツィンに与えた。
我々はカカマツィンの一行に先導されて出発したが、あたりの町々から押しかけてきた大勢の見物人らにゆくてをふさがれ、満足に進むこともならなかった。カカマツィンの家臣が物見だかい見物人を追っぱらって、やっと進むことができた。
大勢の見物人にとり囲まれて湖岸の道を西に進んだ我々は、その日はミスキクという湖中に突きでた町で一泊した。白く輝く神殿ピラミッドもいくつか建ちならぶこの美しい町で、町の首長は我々一行を歓待し、贈り物をさしだしてモクテスマの悪口を言った。
翌朝、ミスキクを出た我々は湖岸をさらに西進して、湖を北につっきり対岸の岬へと通じる堤道のふもとへ達した。我々はそのすばらしく幅の広い堤道に足を踏みいれた。堤道のなかほどには小島があって、クイトラワクという町になっていた。水上にも家があり、礎柱が見事に水中に立っていた。湖上のこのすばらしく美しい町を見て、テノチティトランとかんちがいする者もいた。
町へ入ると、待ちかまえていた大勢の住民が我々をとり囲んだ。町の要人がやってきて歓迎の口上を述べ、贈り物をさしだした。我々は群集をかき分けるようにしてその美しい町をぬけ、再び堤道を進んだ。テスココ湖は前方に横たわる岬に隠れていてまだ見えない。堤道を渡りきった我々は、岬を北へ横断する道をとった。
しばらく行くと、いきなり視界が開けた。それまで姿を隠していた大きな湖――テスココ湖がついに目にとびこんできた。湖上にはあのメシカの首都、テノチティトランが横たわっていた。
ああ、このときの驚きを何と言ってつたえればいいのだろう。背筋が寒くなるほどの衝撃だった。それは、噂にたがわぬ巨大な光り輝く石造の大都市だった。至上の芸術品だった。これほどの造形を創りえた民族に対する深い畏敬の念がこみあげた。
テスココ湖のほとりを岬の突端に向けて西進すると、その突端の町イスタパラパの首長の一行が我々を出迎えた。首長は、自分はモクテスマの弟でクイトラワクという者だと名のった。彼の隣に立つ身分の高そうな男もやはり王の親族で、岬の対岸のコヨアカンという町の首長だという。
彼らは、我々のために宿舎を用意しておいてくれた。それは白い漆喰によって表面を塗りかためたひじょうに美しい石造の建物で、部屋はびっくりするほど広く、いいにおいのする木材が随所に使われていた。中庭がこれまた広く、多くの樹々と花々が植えられ、めずらしい果実のたわわに実る果樹園もあった。また、テスココ湖の水をひき込んだ水路が庭内を縦横に走っていて、これを使えば直接湖にも出られるようになっていた。動物の絵柄や奇妙な絵模様の刻まれた石壁で囲われた大きな池もあって、魚が泳ぎ、びっくりするような極彩色の珍鳥が放しがいにされ、水底へと降りる石段までついていた。小舟で庭めぐりをするわたしは、これらの光景を眼前にして、ただただ唖然としていた。
しょの2
翌、十一月八日の朝、ついに我々はモクテスマのもとへおもむくことになった。イスタパラパから湖上の首都へとつづく堤道に我々は足を踏みいれた。イスタパラパの町の首長クイトラワクの一行が案内に加わって、行列の規模はさらに一層ふくれあがった。
岬の突端からのびるこの堤道はまず湖を西に向かい、ある小島へと通じていた。その小島からは長い堤道が北にのび、首都へとつながっていた。湖はすでに、我々をひとめ見ようとするカヌーの群れでいっぱいだった。湖には小さな島々が点々と浮かんで、それぞれの島に町があり、湖のほとりにも大小の美しい町々があった。ほとりの町々の背後には、青々としたトウモロコシ畑がひろがっていた。
小島まで行進すると、そこは小さな神殿ピラミッドもあるちょっとした広場になっていた。その広場からは岬の対岸の町コヨアカンへも堤道がのびていた。広場にはたくさんの人間がつめかけていたが、彼らはあちこちの町村の首長とその家臣らだった。ここで、我々の案内をつとめてきた二人の貴族――テスココの領主カカマツィンとイスタパラパの首長クイトラワクは「あちらでお待ちしております」と告げて、ひと足先に首都へ向かった。
我々は広場の一団も行列に加え、首都へとつづくまっすぐな堤道に足を踏みいれた。堤道はおそろしく長く、全部を渡るのに二時間はかかりそうだった。馬が八頭横ならびで行進できるほどに広く、ゆく手は何カ所かが分断されて橋がかかっていた。
隊列の先頭は犬だった。地面をかぎながら犬たちは我さきに走っていった。四人の屈強な騎兵が奇襲にそなえて先鋒をつとめ、そのうしろでは旗手が旗をこれみよがしに振りまわした。その旗のあとを馬上のコルテス以下武装した兵士らとトラスカラ戦士団がつづいた。騎馬はしきりといななき、激しく汗をしたたらせ、口からは白い泡を吹いた。
出迎えの高官たちが我々を待ちうけていた。彼らは、道の両側にヒマワリやモクレンの花を盛ったヒョウタンの花瓶をいくつもならべて待っていた。花瓶のまわりには、トウモロコシ、煙草、カカオの花などもそえらている。彼らは黄金の首飾りをさしだしながら、王はもうじきやってくると告げた。その言葉どおり、大きな行列がゆっくりこちらに向かってやってきていた。
出迎えの高官たちと、我々につきそってきた多くの要人、それに我々につきまとってきた大勢の見物人は地にひれふした。前方の行列が止まって、それが縦にまっぷたつに割れた。その割れ目から金の錫杖を捧げもつ三人の戦士が現れ、それをつゆはらいとして、四人の貴族にかつがれた豪奢な輿がしずしずと進みでてきた。かつぎ手は四人ともはだしだった。この輿に乗る貴人こそ、モクテスマそのひとであるに相違なかった。
輿が地上に降ろされると、モクテスマは、我々よりもひと足先に首都に入ったカカマツィンとクイトラワクに腕をあずけて輿を降りた。その三人が歩む路上は、家臣らの手によってすでにきれいに掃ききよめられ、美しい敷物がしかれていた。
モクテスマは、カカマツィンとクイトラワクのほかに別の貴族二人をうしろに従えて敷物の上をしずしずと歩いた。その頭上には、目にも涼しい緑の羽毛の天蓋がさしかけられていた。天蓋の羽毛には金と銀がちりばめられ、天蓋の縁からはすばらしく端麗な宝玉が垂れてゆらゆら揺れていた。
モクテスマは、腰にまでとどく緑の羽根飾をうしろに垂らした黄金の額(ひたい)飾りをつけ、これまで目にしたこともないような典雅なマントをはおっていた。首には宝石で縁どられた黄金製の首飾り、手首には羽毛と紅玉でできた腕輪、耳には空色のトルコ玉の耳飾り、そして下唇に開けた穴には水晶の管をつき通していた。長い裾のついたやわらかそうな木綿の腰布、黄金の房飾りの垂れた豪華なすね当て、そして肩には典雅に青いマントをはおっていた。それ以外の着衣は身につけておらず、半裸褐色の素肌を風にさらしていた。履物は宝石で飾られ、底は金製だった。彼が歩くたびに、すね当ての黄金、履物の金にまといつく光が揺れた。
彼の腕をとるカカマツィンとクイトラワクは共に彼の身内だが、彼のうしろに従う貴族二人もおそらく彼の親族なのであろう。この四人の貴族以外の者はみな一様に顔をふせ、王の顔を直視することをはばかっていた。
コルテスは馬から降りた。彼はモクテスマのところに歩みより、帽子をぬいでうやうやしく頭をさげ、エスパーニャ風の礼を行った。モクテスマとその随員の貴族四人は、丁重な土食いの礼をもってそれに応えた。コルテスは満面に笑みを浮かべ、モクテスマの肩を抱こうとした。すると、カカマツィンとクイトラワクの二人がそれをおしとどめた。王にじかに触れるなどとは、もってのほかというわけなのであろう。なにしろ、王の顔すらじかに見てはならないのだから。
ちょっとばかり、ばつのわるい間がながれたが、コルテスはわかった、わかったというように首を二、三度ふった。そしてはずむ息をととのえてこう言った。
モクテスマと会見するコルテスとマリーナ(いま進行中の場面とは異なる会見場面)
「あなたなのか、あなたがあのモクテスマ殿なのか、本当にそうなのか、本当にあなたなのか」
モクテスマはうなずいた。齢は四十歳くらいで、ほっそりとした均整のとれた体つきをしていた。皮膚の色はあまり浅黒くなく、耳のあたりまでやっととどくくらいの短い髪を伸ばし、形のよいまばらなあご髭を生やしていた。顔はやや面長で、目は涼しく、その表情は明るかった。我々の到来をああまで恐れていたようにはとても見えなかった。彼はコルテスに向けて第一声をはなったが、その声はややかん高かった。
「そう、わたしがモクテスマです」
コルテスはもちろん、通訳をしているわたしもマリーナも、あらためてモクテスマの顔とその姿に目をはわせた。モクテスマは、これまでのもやもやを洗いざらいぶちまけるかのように言った。
「遠くから、ひじょうに遠くからやってこられて、さぞかしお疲れのことでありましょう、我があるじよ。いまやあなたは、このテノチティトランに到来なされました。わたしと、わたしにつながる過去の王たちは、あなたにさしだすべきこの玉座を、今日までつつがなくお護りしてきました。国も大きくしてまいりました。
すでにこの数年というもの、この国には不吉な予兆が数多くはびこっていました。東方の夜空から無数の炎が血のようにしたたり落ちて、それらが落ちるにつれて裾をひろげ巨大な山のごとくになったり、ウイツィロポチトリの大神殿が燃えあがってどっと炎につつまれたり、嵐の夜、シウテクトリの神殿に稲妻と雷が落下したり、彗星が三つに分かれて、いったいどこまで広がるのか見当もつかないような長い尾をひいたり、湖の水がぶつぶつと泡だって竜巻のように逆だち、たくさんの家々が水びたしになったり、夜なかに女が泣きながら「子どもたちよ、さあ逃げなきゃならないよ」と大声で叫びたてたり、湖で捕らえた鳥の頭にのっていた鏡のような王冠に、大鹿にまたがる白い人間たちが映っていたりしました。
さまざまな凶兆が王国にあらわれる
(中公新書「古代アステカ王国」増田義郎著より引用)
わたしの心は千々に乱れました。わたしは毎日、東の山嶺のはるか向こうにひろがる大海の彼方にあるという見知らぬ土地に思いをはせました。わたしにつながる過去の王たちは、あなたが、ケツァルコアトルたるあなた様が、いつか約束を果たされにここに戻ってくることを知っていました。その約束は見事に果たされました。あなたは確かにここに帰ってまいられました。さぞやご苦労をかさねられたことでありましょう。さぞかしお疲れのことでありましょう。さあ、あなたの王国に足を踏みいれてください。あなたの宮殿に威風堂々とお入りください。心ゆくまでくつろいで、あなたの領国の産物たる山海の珍味に舌つづみをうって、たまりにたまったこれまでの疲れを存分にいやしてください。おお、我があるじよ」
コルテスはあっけにとられた顔つきで、モクテスマの顔をしげしげとながめていた。彼は、モクテスマの長広舌にたじたじとなって、こう言うだけが精いっぱいだった。
「ありがたいお言葉だ。わたしはあなたを尊敬する。わたしはあなたにお会いしたくて、あなたとお話がしたくて、幾多の困難にもめげずここまでやってきた。そのあなたがいま、わたしの目の前にいる。わたしは自分の願いを叶えることができた。わたしの苦労はとうとうむくわれた。モクテスマ殿、わたしはあなたをお慕い申しておりますぞ」
モクテスマは頭をさげた。コルテスもぶきっちょに頭をさげた。モクテスマは、四人の随員の貴族のうちのカカマツィンとクイトラワクの二人に、我々一行を宿舎まで案内するように申しつけた。そして自分は、残りの随員の貴族二人に腕をあずけて敷物の道をひき返した。彼が輿に乗ると敷物はかたずけられ、はだしのかつぎ手が新たに呼びだされて輿をかついだ。モクテスマはきらびやかなとりまきの行列を前後に従え、蜃気楼のように去っていった。
しょの3
我々は、モクテスマの一行を追うように市内に入った。堤道から市内につづく道路は盛り土がしてあって、周囲より少し高かった。その道の両側からは、大勢の物見だかい民衆の目がそそがれている。町はこれまで目にしてきたどの町よりも整然としていた。庶民の家はみな平屋で、建材にはアドベ(日干し粘土のレンガ)が用いられ、屋根は干し草でふかれていた。
道はゆく先々で水路によって分断され、橋がかけられていた。いくつめかの橋を渡ると、屋根のたいらな石造の住宅群が現れた。いくらか金のある者や身分のある者たちが住む一角なのであろう。すべて平屋で、漆喰で白く塗りかためてある。それら家々の屋上にはたくさんの見物人が群れていた。道のゆくてには、いつも視界に入っていて、いまやなじみの景観となっている神殿ピラミッド群がたたずんで、それらが歩を進めるたびにどんどん大きくなっていく。
そのあいだにも橋をいくつも渡った。とにかく水路が多いのだ。いたるところが運河である。イタリアのベネチアも水の都として名高いが、ここには負けるのではなかろうか。どの運河にも、見物人をいっぱいにつめ込んだカヌーがひしめいていた。
やがて我々は、一つの町ほどもある広大な広場に出た。島の中央部を占めるこの大きな広場を今後、中央広場と呼ぶことにしよう。広場の半分ちかくを占める区画は高い石壁で囲まれ、石壁の内には神殿ピラミッドをはじめとする巨大な石造建造物がいくつも建ちならんでいた。神殿ピラミッドの表面は漆喰で入念に塗りかためられ、白色ではちきれんばかりだ。広場の残りの区画は、もてあますほどに広壮な宮殿をはじめとする大小の石造建造物で埋まっていた。こうした、いくつあるとも知れぬ大型建造物群がびっしりと建ちならんで、さしもの中央広場もその広さが実感できないほどだった。エスパーニャ人の感覚とはまったくかけ離れた意匠の世界がそこにはつめ込まれていた。主ヘスース・クリストの居場所などどこにもない、まさに異次元の世界だった。
我々が案内されたのは、かなり古びてはいるがひじょうに広壮で、あたりをはらう荘厳さのただよう石造建物だった。モクテスマの父親であるアシャヤカトルがかつて住んでいた宮殿だという。つめこめば千人は泊められるだろうというほどの広さで、せいぜい四百名ほどしかいない我々隊員を収容するくらいは造作なかった。トラスカラ人たちは宮殿の一部と、それに付帯する建物に入ることになった。
宮殿に入ってまず驚かされたのは部屋数の多さだった。しかもみな広い。壁面は美しい壁掛けでおおわれ、床には塵一つなく、家具は磨きあげられていた。広い中庭があって、そこには池や噴水そして浴場があった。この地の浴場は周囲に石壁をめぐらせた蒸し風呂である。考えてみれば、我々はいつ体を洗ったのであろう。垢が第二、第三の皮膚となって、ちょっとこすったぐらいでは真の皮膚はおがめないのではなかろうか。
我々が宮殿に入ってまもなく、モクテスマが再び姿を現した。彼は、中庭の花のなかに花の妖精のようにたたずんでいた。庭は色とりどりに咲き乱れる大小の花々で埋めつくされていた。花は庶民の家々の庭にも、石造りの平屋の屋上にも惜しげもなく咲きこぼれていた。この国は水の都であると同時に、花の都でもあるのだ。
モクテスマは正装をといて、ゆったりとしたガウンをはおっていた。数人の近従を従えているだけだった。このふいの訪問に、コルテスはあわてて中庭へとびだした。あとをアルバラードら数人の幕僚が追う。
にっこり笑ってモクテスマが言った。
「ゆっくりおくろぎください。ここは我が父アシャヤカトルが住んでいたところで、いまは神殿として用いられている神聖な場所です。新しい神のご座所にはふさわしいところです。ご自分の館だと思って何の遠慮もなくおすごしください」
コルテスはうんうんうなずいた。モクテスマは、近従がささげ持つ黄金の贈り物を手にとってコルテスの首にかけた。それは、これまで見たこともないすばらしい首飾りだった。純金の鎖に立派なエビの金細工がはめこられ、鎖の他の部分にも、少し小さいエビの金細工が八つ等間隔にとりつけられていた。
コルテスはうれしそうに、本当にうれしそうに礼を述べた。モクテスマはうやうやしく頭をさげてひきさがった。コルテスはにたにた笑っていた。この男が、富を前にして喜ぶときの笑顔というのはあまり似合わないことに、このとき初めて気づいた。
食事までにはまだ間があったので、兵士たちは宿舎の警護態勢についてあれこれ相談しはじめた。不寝番の順番が決められ、大砲の配置が決定され、まさかのときの戦闘戦術についても話し合われた。幾多の戦いをくぐりぬけてきたこの兵士たちは、いまやエスパーニャでも一、二をあらそうほどの精鋭軍団に成長していた。
食事は文句のつけようもないすばらしいものだった。水棲蝿のさなぎといったぞくっとするような具も入ったタマル、卵入りのできたてのトルティーリャ、七面鳥を蒸した料理、ウサギの煮込み料理、目を見はるほどに美しく甘い多種多様の果物、豊富な具と一緒に煮込んだひじょうにこくのあるとても辛いスープなど、贅をつくしたメシカの宮廷料理を我々は存分に堪能した。酒は、コルテスの指示で全員、口にしなかった。そのかわり隊員たちは、高価なカカオ飲料をふんだんに飲んた。この飲料をこの地の者はチョコラトルと呼んだ。マヤ人の飲むカカオ飲料には挽いたトウモロコシが加えられていたが、我々がこの夕飲んだそれにはトウモロコシは入っていず、カカオだけが泡だつほどにかきまぜられて、苦味が強かった。それでもうまかった。
食事中は着飾った宮廷楽師が静かな調べを奏でた。これで薄衣(うすぎぬ)をまとった美女でもはべっていれば、まさにアラビアンナイトの世界そのものだった。大きな窓の外では、テノチティトラン随一の大神殿ピラミッドが月明かりに照らされて屹立していた。
豪華な食事をたらふくつめ込んだあとの一夜は、何も考えずにぐっすり眠ったような、たかぶる神経をしずめるのに苦労しながらも実はよく眠ったような、いずれにしても夢をよく見た晩だった。予想に反したモクテスマの人となりにひと安心したせいなのかもしれないし、チョコラトルをたくさん飲んだせいなのかもしれなかった。
翌朝、コルテスはモクテスマのもとへ使いを出した。昨日の王の訪問に対する答礼として、こちらからも宮殿に伺候したいとつたえさせたのだ。応諾の返事がすぐに返ってきた。コルテスはお気にいりの四人の幕僚、ペドロ・デ・アルバラード、ディエゴ・デ・オルダス、ゴンサーロ・デ・サンドバル、ベラスケス・デ・レオン、それに警護の兵士らを従えてモクテスマのもとへおもむいた。
モクテスマの宮殿は、我々が宿舎にしている彼の父親の宮殿よりもさらに立派でずっと新しかった。壁は火山岩をモルタルで固め合わせたもので、その上に漆喰が塗ってあって丹念に磨きあげられていた。入口が何十もあって、大きな入口の両側には大理石の柱が立っていた。
モクテスマは、巨大な広間でコルテス一行を迎えた。王の居室にふさわしく天井一面に繊細な彫刻がほどこされ、壁には美しい貴石がふんだんに埋め込まれていた。また別の壁には、刺繍と羽毛で飾られた豪華絢爛な壁掛けがかかっていた。
側近としてつき従っている者のなかには、モクテスマの弟のクイトラワクや甥のカカマツィンもいた。他の側近の者たちも、そのほとんどは親族なのであろう。モクテスマは自ら進みでてコルテスに挨拶し、コルテスの手をとって、自分の椅子の右に置いてある椅子へと彼をみちびいていった。通訳のわたしとマリーナもそのあとに従った。
この地の椅子は丈が低かった。コルテスは窮屈そうにそれに腰をうずめた。モクテスマは入口につっ立っている幕僚四人と兵士らのためにも椅子を用意させ、それにすわるように言った。
モクテスマは見事な金細工の贈り物をコルテスにさしだした。同席している幕僚や兵士たちに対しても、ちょっとした金細工と美しい布地を贈った。
コルテスがやや緊張した面もちで口をきった。それは例のごとくレケリミエント(通告)だった。自分たちはカルロス国王陛下というこの世にならびなき権勢をほこる王のつかいでここまでやってきたこと、その目的は、ヘスース・クリストの正しいみ教えをこの地の者に教えつたえて、その魂にすくいと平安をもたらし、この地の者と友好のちぎりをむすんで兄弟同然のつきあいをなすことである――などなど、いつもよりはずっと丁寧な言いまわしでそれを行った。
モクテスマはしばし沈黙していた。コルテスは性急に言葉をついだ。天地創造のこと、クリストの贖罪のこと、神には二つなくただ唯一なること、この地にはびこる邪悪な神々はすべて悪魔の化身であること、その邪神が求めてやまぬ生贄は即刻とりやめるべきことなどを、とうとうと述べたてた。モクテスマはほほ笑みをたやさず、それらを聞いていた。そして、コルテスの長広舌がひとだんらくしたところで口をきった。
「あなた方の神はあなた方のものだ。同様に、我々の神々は我々のものだ。我々のすくいは我ら自身の神々が与えてくださる。我々には遠い祖先から受けついできた神々がある。あなた方があなた方の神をうやまうように、我らもまた我らの神々をうやまう。だから、このことについてはもうこれ以上お話しくださるな。
いま、世界と人の創造の話をされたが、我々にも同じような創造の話がある。よろしければ、のちほどゆっくり語ってさしあげてもよい。あなた方にも我々の神々のことを知ってもらいたいのだ。
あなた方は海岸に来着されてより、あなた方に刃向かう者たちに対しては容赦なくそれらを返り討ちにし、一度として負けたことのないのをわたしは知っている。
あなた方が雷を発して多くの戦士をうち倒し、大鹿にのって多くの戦士を踏みつぶし、刃のかけない刀で多くの戦士の腕と首を斬りおとしたこともわたしは知っている。
あなた方は、我らの祖先が古くより言いつたえてきた伝承のとおり、この一の葦の年に日の昇る方(かた)からやってこられた。その伝承につたえる大神ケツァルコアトルなればこそ、誰にも負けることのない、かくも輝かしき武勲をたててこられたのであろうと、つい先ほどまではそう思っていた。しかるにいま、あなた方は自らの身分を明かされた。この世でならびなき権勢をほこる王につかえる臣下の身であると。してみれば、あなた方は神ではない。ただの人間なのだ」
コルテスはあいまいに笑った。モクテスマは言葉をつづけた。
「あなた方は、センポアラとかトラスカラでわたしの噂を耳にしたことであろう。わたしが神のごとくにふるまい、金銀の館に住み、民をイナゴのようにあしらっていると。しかし、ご覧のようにわたしもただの人間だ。わたしの館は石と木と土でできている。また我が民は、どの国の民よりも豊かで、平穏で、規律のある正しい暮らしをおくっている」
モクテスマはコルテスににっこり笑いかけ、ガウンから裸の腕をつきだした。
「これこのとおり、わたしもあなたと変わらないふつうの人間だ。とはいえ、わたしはひじょうに大きな権力を有するこの地の支配者であり、あなたはといえば、神の約束をはたされにやってこられた神の化身であることに変わりはない。この数年来、この国にはびこっていたあの不吉な前兆の数々がその証しとなろう。言いつたえどおり、一の葦の年に、東の海の彼方よりやってこられたことがその証しとなろう。
さあ、くつろがれよ、運命のおひと。ほしいものがあれば何なりとお申しつけられよ。定めの日に、定めの方(かた)からやってこられたあなた方を、我らが心より崇敬し、歓待することに変わりはないゆえ」
広間はしんと静まりかえった。しばらくは誰も口を開かなかった。側近たちはあっけにとられていた。彼らは王を直視しないという日頃のたしなみも忘れ、王をにらむように凝視していた。偉大なる王の、偉大であらねばならぬ王の思わぬ人間宣言に、彼らの面目はひどく傷つけられてしまったのであろう。
しょの4
我々は、これまでにつちかわれてきたその習性で、モクテスマの言うように心からくつろぐことはなかなかできなかった。三日間はだから非常警戒をとかず、宿舎にこもりっきりで一歩も外には出なかった。夜には必ず不寝番をたて、宮殿のすべての出入口には歩兵、窓には弓兵と銃兵を配備し、要所要所には大砲もすえつけた。
四日目にコルテスはモクテスマに使いを出した。この都随一の巨大な市場と、その近傍に建つ大神殿ピラミッドを見てみたいという希望をつたえさせたのだ。モクテスマはいつでもどうぞと言ってきた。
我々を案内するために、貴族四人と武将が一人、モクテスマからつかわされてきた。彼らはコルテスと隊員たちに、土食いの礼をもって丁重に挨拶した。と、このとき隊員たいのあいだからこんな声があがった。
「おい、おまえはテンディレじゃないのか」
なるほど、立派な身なりをした武将はあのテンディレだった。サン・ファン・デ・ウルアの対岸を上陸したばかりのころ、モクテスマからつかわされてきた最初の使者であった、あのテンディレだった。兜いっぱいの金をつめ込んで持ち帰ってきた、あのテンディレだった。
テンディレはこそばゆそうな顔をして笑みを浮かべた。
「みなさん、お久しぶりでござる。お元気そうで何よりでござる」
隊員たちは彼に群がりより、彼の肩を抱いた。彼は隊員たちの体臭にむせながらも、うれしそうにしていた。
「先日、あなた方が我が王宮に答礼訪問にやってこられたとき、王のお側に拙者もおったのだが、おわかりにならなかったようじゃな」
テンディレがいくぶん得意げに語ったところによると、彼は王の側近としてその身辺を護り、王からの重要な相談ごとなどにもあずかるという、たいそう信頼のあつい臣下なのだという。テンディレのなつかしい顔を見て、その声を聞いて、我々は久しぶりに心ゆるせる人間らしい触れあいを味わった。
我々は市場とピラミッド見物に出発した。兵士たちは武装をとかず、馬上のコルテスは身辺を騎兵に護らせながら進んだ。向かう先は、島の北部一帯を占めるトラテロルコという区域である。
人どおりがだんだん激しくなってきた。群集のざわめきも聞こえてくる。ひっきりなしに大小の物資を背負った人々が行きかう。道にそって走る運河もまた同様だった。野菜や魚などの食料品、陶器や衣服などの日用品、羽毛や刺繍などの工芸品を満載したたくさんのカヌーがたえまなく行きかっていた。果物や菓子などを売る露店もある。床屋や薬屋などもある。市場が近いのがわかった。
巨大な市場はぐるりを石造の回廊で囲まれていた。その入口を入って目を疑った。これほどの群集をわたしは目にしたことがなかった。数万もの人々が物を売り買いしているのだ。わたしたちは傲慢にもその群集のなかへ割って入った。さすがに馬に乗ったままの者はいなかったが・・・。彼らは手綱をひいて歩いた。
トラテロルコの市場
(
wikipedia
より引用)
そこではあらゆる物品が取り引きされていた。平民は市場以外では物の売り買いを禁じられているので、日常生活で必要なものはすべてここで入手するのだという。品物は整然と区分けされ、むだに探しまわる手間をはぶいていた。
まず食料品があった。トウモロコシや山芋、サツマイモなどの主食類。トウガラシなどの香辛料やバニラ、ハーブなどの香料類。カボチャやトマト、ピーマン、各種青菜などの野菜類。カカオ、ピーナッツ、クルミ、フリホール、アマランサスなどの種子食品。そのほか、キノコ、ヒョウタン、マゲイ、サボテン、睾丸の樹(アボガド)などなど。果物としては、パパイア、バナナ、水蜜桃、サクランボなどがあり、そのほか名もしれぬ果実がわんさとあった。トルティーリャやタマルも売られていた。
食肉としては、七面鳥、ガチョウ、アヒル、カモ、ツル、ウズラなどの鳥類とその卵。鹿、ウサギ、ヘソイノシシ、蛇、カワウソ、リス、猿、ネズミ、食用犬などの陸棲動物。カエル、亀、サンショウウオ、海辺をはいまわる大トカゲ(イグアナ)などの水棲動物。魚介としては、淡水産の名も知れぬさまざまな魚やエビ、カニ、貝、ウナギなど。また、ナンキンムシ、水棲蝿、バッタ、イナゴ、アリなどの昆虫類や、湖から採れる藻のかたまりなども商われていた。
さらに、酒やチョコラトル、葉巻、葦の茎に詰められた煙草などの嗜好品、新鮮な果実やカカオ、トウモロコシなどからつくった清涼飲料、カボチャ、アマランサスの種、マゲイ、サボテンの実、水蜜桃などを原料にした菓子類、そして蜂蜜、薬草、塩があった。さらに、草花や花木の種も。
日用品や工芸品としては、各種の金銀細工、羽根飾り、布地、衣服、刺繍、各種陶器、木製の食器、染料、軟膏、化粧品、獣皮、履物、家具、揺篭、よじった綱、木材、薪、炭、紙に使われるマゲイの繊維、銅や青銅製の斧、石刀などがあり、人間の排泄物まで売られていた。排泄物は皮をなめすのに使うらしい。そこかしこに小屋がけの公衆便所があって、そこの排泄物を商っているのだという。
ようするに何でもあるのだ。ここに来ればすべてがまにあってしまう。こんな市場をわたしは見たことがない。チェトゥマルの市場とは比べるべくもなく、エスパーニャのサラマンカの市場だって吹きとぶ勢いだ。人々の暮らしすべての縮図がここにあった。わたしたちは飽かず歩きまわった。
奴隷も売られていた。ポルトガル人がアフリカから奪ってきた黒人を売るように、それは売られていた。長い棒にくくりつけられ、首には輪をかけられていた。たくさんの奴隷たちのなかには、体を拘束されずに売られている者もあった。
案内にたつ貴族の話によると、この市場には判事が常時つめており、あらゆるもめ事を裁くという。また監視官が市場を巡回していて、品物や計量器などに不正があるとその商人を摘発すると共に、計量器をうち壊すという。
市場めぐりは楽しかったが、さすがに疲れてもきたので、いよいよ本命の神殿ピラミッドに向かうことにした。我々がぞろぞろ歩いてゆくのを大勢の群集が好奇の目で見送る。
神殿ピラミッドの境内をとり囲む石壁の近くにまで来たとき、壁ぎわのあちこちに身なりのよい商人らがたむろしているのが目に入った。我々は彼らのところに行ってみた。
彼らは金を商う商人だった。川で採取した砂金や、鉱脈から掘りだしたままの粒金をガチョウの羽根の軸につめて売っているのだ。半透明の羽軸からは金が透けて見える。その軸の長さや太さ、金のつまり具合を判断して値段をつけるのだという。布地やカカオの種や奴隷などと交換する。こうしたものがこの都では貨幣の代わりとなるのだ。
金商人をさんざんからかってから、我々は神殿ピラミッドの境内に足を踏みいれた。
そこは、外からはただの壁としか見えない石の回廊にとり囲まれた、ひじょうに広い、サラマンカの広場よりもさらに広い、白い石灰でおおわれた敷石が床にぎっしりしきつめてあるだけの、何もない方形の空間だった。その方形の奥の一辺に接して巨大な神殿ピラミッドが屹立していた。その神殿ピラミッドも白色に輝いていた。このすべてが白一色、むだの入りこむ余地の一切ない幾何学的な美しさは、見る者を大いに魅了した。
我々は、塵一つ落ちていない白い床を進んで、神殿ピラミッドに向かった。あいだにたちふさがる石の軒廊をぬけて段をあがると、神殿ピラミッドのテラスに出た。頂きの神殿へと通ずる石段の裾に、神官と貴族が数人迎えに出ていた。モクテスマがすでに来ていて、神殿で我々を待っているという。貴族二人が進みでて、石段をのぼろうとするコルテスの腕をとろうとしたが、コルテスはそれをことわった。
コルテスと四名の幕僚と数名の兵士、それにマリーナとわたしは石段をのぼった。のぼるほどに、島の景観がせりさがって広がってゆく。石段は百十四段もあった。神殿の建つ頂きにたどりついたときには、さすがに息が荒れていた。二十八エスタード(約四十五メートル)四方ほどもある広いところだった。神殿はかなり高く、その前には、生贄の胸を切りさいて心臓をえぐりとるための石台があった。石台のまわりには乾いた血がおびただしくこびりついていた。朝の生贄から流れ出たものであろう。
モクテスマが、神官二人を従えて神殿のなかから姿を現した。彼はうやうやしく頭をさげてコルテスに挨拶し、心配そうに言った。
「このような高いところにあがられては、さぞお疲れであろう」
コルテスは虚勢をはって言った。
「なに、我々は疲れというものを知らんのでな」
モクテスマはくすりと笑ってコルテスの手をとり、頂きの端へ案内した。
そこからは南にひろがるテノチティトランの全貌が一望にできた。クルストバル・コロン以前には神話の世界に属していた大洋の果て――そんなところにも陸地があり、おまけにエスパーニャのどの都市よりも壮大で美しいこのような宝石箱があるとは絶句にあたいした。白く輝く巨大な真珠がいくつもあるとして、それらを素材として希有な造形をものにしえて、それらを絶妙に配置しえたなら、このような景観ができあがるであろう。
この宝石箱の島へは三本の堤道が通じていた。そのうちの一本は、我々がこの島に渡るときに通ったものだった。各堤道は数カ所が分断され、橋がかかっていた。湖岸にあるチャプルテペクの大庭園からこの島へ飲料用の真水をひいている導水渠の様子も見えた。
テノチティトラン随一の大神殿ピラミッドを筆頭とする大小の石造建造物群が建ちならぶ区画と、我々が宿舎としている宮殿やモクテスマの王宮をはじめとする広壮な石造建造物群がひしめく区画などからなる中央広場もよく見わたせた。そこは広大なメシカ帝国の統治の核心であり、この島の希有なる美の核心でもある。
西から見た島。中央広場から左へのびる堤道の湖に接したあたりにトラテロルコがある。右へのびる堤道はコルテス一行が島内に入るときに渡った道。
石造の民家とアドベ造りの民家もぎっしり建ちならんでいた。みな平屋である。民家のものより大きな石造建物が建ちならぶ一角は貴族の居住区なのであろう。それらの大小の家々を睥睨して、島じゅういたるところにさまざまな大きさの神殿ピラミッドが建っていた。
島には運河が網の目のように走っていた。たくさんのカヌーが忙しげに行きかい、交通の主役がこのカヌーであることが実感できた。また、石造の家々のたいらな屋根という屋根には花が咲きみだれていた。公共の花壇も町じゅうにある。植物園もあってそこにも花がある。水と花の都テノチティトランは、うっとりするほど美しい。
湖上にもたくさんのカヌーが行きかっていた。漁にいそしむ舟もあれば、湖岸から島へ、島から湖岸へと物資を運ぶ舟もある。湖岸にも多くの町々がある。そこには運河こそないが、テノチティトランを小さくしたようなこぎれいな町並みだ。それらの町をとりかこむようにしてトウモロコシ畑がひろがる。マゲイの緑の畑もある。そして、視線をはるか南に見はらせれば、白雪をいただいて、長い噴煙をたなびかせるポポカテペトルの雄大な山容が望まれる。
肩をたたかれて、わたしは陶酔からさめた。コルテスがモクテスマの許しをえて、四人の幕僚と共に神殿に入るという。
我々はモクテスマに先導されて神殿のなかに入った。三階分ぐらいはある高い天井だった。一階分ほどの高さの台座が二つあって、それぞれに見る者を圧するほどに大きい祠(ほこら)がそびえ、そのうす暗い闇の奥に神がいた。一方は戦いの神ウイツィロポチトリ、もう一方は闇の神テスカトリポカだという。
ウイツィロポチトリ
テスカトリポカ
(以上2点ともサイト
ThoughtCo.
より引用)
我々は階段をのぼってウイツィロポチトリの台座に上がり、その祠に入った。コパルを焚く香りと共に、すざまじい焦げたような血のにおいが鼻をついた。今朝がた捧げられた生贄の心臓が三つ、コパルの炉で焼かれていたのだ。祠の壁には黒く固まった血がこびりつき、床も同様だった。吐き気がするのをやっとこらえた。
どうにか気をしずめて、ウイツィロポチトリの巨大な神像に目をやった。ずんぐりとした体つきで、目鼻だちはうすぼんやりしている。体じゅうが羽毛や小粒の真珠で飾りたてられ、頭上にはハチドリの羽根製のとんがり帽子がのっていた。足指の形の金の棘の列を垂らした蛇形の耳飾り。顔形に削られた青と、黄色の縁飾りをぶらさげた矢の形の鼻飾り。黄色に輝くオウムの羽根のリボン。髑髏や心臓、肝臓、腸、耳、手足といった、いかにも生贄を求めてやまぬ神ならではの絵柄の描かれた胴着。
肩には血の色をした旗がくくりつけられ、両腕の一方の手には四本の矢、他方の手には盾、そして、腰には金と宝石で彩られた蛇がまきついていた。
我々は祠を出て、ウイツィロポチトリの台座から降りた。もう一柱の神テスカトリポカの祠と、そのほかにももう一つ小さな祠があったが、とてもそれらを見ようという気力は起きなかった。神殿の壁ぎわのほうに視線をうつすと、そこにはほら貝や大きな石刀、火で焼かれたたくさんの心臓、それに、打ち鳴らせば湖岸の町々までゆうにとどくであろうでっかい太鼓が置かれてあった。
我々は神殿を出て、新鮮な外の空気を吸った。コルテスがげんなりしたような顔をしてモクテスマに言った。
「あなたのような聡明な方が、なぜにあのような血なまぐさい神々を奉じておられるのだ。この神殿を正しい神の聖なる祭壇にあらため、我々の聖なる十字架を立てて聖母の像を安置することをどうかお許し願いたい。さすれば、あの邪神どもは悲鳴をあげて退散してしまうことであろう」
モクテスマは奮然として答えた。
「あなたのような賢い方が何を言われる。我らの神々は、人間の身勝手な行為はぜったいにお許しにならない。我ら人間は生きた植物を根こそぎにしてその実をもぎとり、生きた動物まで殺す。遊びで殺すこともある。それらを喰らい、それで服をつくり、それで身を飾る。おまけに同胞どうしでも殺しあう。野獣ですら、そんなことはしないというのに。我ら人間が真に魂の浄化を願わんとするのなら、我ら人間たりとても、ときには自らの命をもって神への供物となし、流れる血潮をもって、これまでに犯しかさねてきた星の数にもおよぶであろう殺戮の罪をあがなわんとするのは当然のことではないか」
コルテスは沈黙した。思いもかけぬモクテスマの反撃だった。
「この世の万物は宇宙のあるじ太陽によってまかなわれている。その太陽も血を流している。闇を支配する夜と戦っておるのだ。我らはその太陽に力を貸し、その太陽の流した血をあがなわなければならぬ。それでいっそう多くの血がいるのだ。その血をウイツィロポチトリに捧げるのだ。ウイツィロポチトリは太陽の神でもあるのだから」
コルテスは黙ったままだった。
「さあ、おひきとりくだされ。わたしはあなた方を神の御坐(みくら)に通してしまったつぐないをしなければならぬ。新たな生贄を捧げて、わたしは祈らねばならぬ」
我々は神殿をあとにして石段を降りた。のぼったときの勢いは完全に失せていた。
しょの5
十字架の建立をことわられたコルテスは、せめて自分たちの宿舎の前にだけでもそれを認めてくれるようモクテスマに頼んだ。この頼みは聞きいれられ、宿舎の前には祭壇がもうけられて十字架が立てられた。
こうしたささやかな出来事のほかに、隊員たちを狂喜させた事件もあった。礼拝所にするのに適当な部屋を物色していたおり、たまたま秘密の部屋が見つかって、そこに隠匿されていたアシャヤカトル王の財宝が発見されたのだ。もとは家具職人だったという隊員が、あとから石灰を塗りかさねたらしい壁面のあるのに気づいてそこを壊したところ、山と積まれた黄金や宝石が姿を現したのである。
隊員らは、舌なめずりして財宝を胸にかきいだき、腹ばいになってそれらを抱きすくめ、よだれをたらして暫時恍惚とした。
用心深いコルテスはその壁をもとに戻すよう命じて、財宝を見つけたことはぜったいに口外しないよう隊員たちに申しわたした。それは、財宝をもとの持ち主のままにしておくことではなく、その財宝を自分らが奪ったことを隠すためだった。
コルテスとその幕僚たちは、今後の方策についてあれこれ相談した。意見の大勢は、油断しているモクテスマを拘束してこの宿舎に閉じこめるという人質策だった。王を盾にとってしまえば、その臣下は容易には我々に手だしはなるまいというわけだった。コルテスは、結論を出すまでにもう少し時間をくれと言った。
それから一日、二日がたったとき、とんでもない報せがベラクルスよりもたらされた。二人のトトナカ人がひそかにたずさえてきたその手紙には、ベラクルスに残してきた後衛隊の隊長であるエスカランテをはじめ、その配下の兵士六名とトトナカ人多数、それに馬一頭がメシカの駐屯兵によって殺されたとしるされてあった。
ことここにいたってコルテスは肚をきめた。宿舎に非常警戒態勢をしいたうえで、ペドロ・デ・アルバラード、ゴンサーロ・デ・サンドバル、ベラスケス・デ・レオンら、いずれも武勇の誉れ高い五人の将校をひき連れてモクテスマのもとへ押しかけた。
モクテスマはいつものように、にこやかに一行を迎えた。一行は完全武装していたが、エスパーニャ人兵士はつねに武装のままでいたから、モクテスマはいささかも疑いをはさまなかった。彼をとりまく側近たちのなかにはテンディレもいて、ひかえめに笑みを浮かべている。
かたどおりの挨拶をすませるとコルテスは言った。
「あなたは我々にはとてもよくしてくださる。だが、わたしはいま、それがあなたの本当の真意なのかどうかをはかりかねている。あなたというおひとはなぜ、一方では我々を歓待し、一方では我々の仲間と戦うようなことをなさるのか」
モクテスマは、コルテスの言っている意味がわからないというような顔をしていた。コルテスは言葉をついだ。
「我々が海岸に残してきた後衛隊の隊長とその部下六名、それに我々のよき味方であるトトナカ人多数が、メシカの駐屯兵の手にかかって殺されたのだ。クアウポポカとかいう駐屯兵の隊長にあなたが命じたのはわかっている」
モクテスマは気色ばんで言った。
「わたしは何も知らない。クアウポポカという男も初耳だ。これは何かのまちがいだ。わたしはあなたには決して嘘はつかない。それはおわかりであろう」
「そう、わかっている。なれば、即刻そのクアウポポカなる者をひきたててとり調べ、ことの真相をつまびらかにして身の潔白を証されよ」
「わかった。いますぐその手配をしよう」
そう言ってモクテスマは手首から王の印璽(いんじ)をはずし、近侍の者に手わたした。
「いますぐ使いをたてよ。その者にこれを託し、クアウポポカに出頭を命じさせるのだ」
近侍は血相を変えて部屋を出ていった。モクテスマは、神殿ピラミッドで我々に見せたあの毅然たる態度はいずこへ、いまはただうちひしがれるばかりだった。コルテスはなぐさめるように言った。
「モクテスマ殿。あなたの誠意はよくわかった。だが、それをもっと確たるかたちにして見せてはもらえないだろうか」
ほっとしたようにモクテスマは言った。
「よろしいとも。あなた方が望むだけの財宝をさしあげよう。それにあなた方が我が父の宮殿で見つけたあの宝物もすべてさしあげよう」
コルテスとその配下の幕僚たちはびっくりした。あの秘密の部屋の宝物の一件はすでにもれているのだ。コルテスは、おのれのどぎまぎした態度をたちきるように言った。
「いや、我々が言っている誠意の証しとは財宝ではないのだ。あなたご自身の身をもってその証しをしめしてほしいのだ。我々の宿舎にどうかお移り願いたい」
モクテスマはひどく驚き、悲壮な面もちで言った。
「それはできない。それはできない相談だ。わたしはメシカの王なのだ。わたしが自分の宮殿を捨てたということが知れたなら、民は、家来はどうなる。わたしの身内の貴族たちは胸をたたいてなげき悲しむだろう。それはできない。断じてできない」
このときコルテスに同行している将校の一人、ベラスケス・デ・レオンがいらいらした様子でどなるようにコルテスに言った。
「えーい、何を躊躇(ちゅうちょ)してるのです。この男のごたくなんぞ我らの宿舎に移したあとでゆっくり聞けばよい。どうしてもいやだというのなら腕づくでひったててゆくまでだ」
この男はベラスケスの親戚で、まだ海岸にいたときにコルテスにさからって捕縛されたことがある。ひとはそれほどわるくはないが、直情径行で、ところきらわず大声を出す男だった。
テンディレがまさかのときの武将の顔になり、王のもとにかけつけた。モクテスマは、レオンのいきなりのエスパーニャ語の咆哮に狼狽して、すがるような視線を通訳のマリーナではなくわたしのほうに向けた。彼はいつも、通訳に視線をやるときにはわたしのほうへ向けた。
わたしがどうしていいかわからずにいると、マリーナがさも心配そうに言った。
「お願いです、殿下。ここはひとまずあの者らの言うとおりになさいませ。いまはだだご自分の身の安全だけをお考えくださいますよう。さもないと、あの者たちは殿下のお命をあやめるやもしれません。殿下がお移りあそばせれば、あの者たちの怒りもじきにおさまりましょうし、殿下はこれまでと同様、いつまでも殿下のままでいられるのです。これまでとまったく同じようにおすごしになれるのです」
コルテスは彼女の顔をしげしげと見つめ、うんうんとうなずきながらモクテスマに視線を戻した。モクテスマは、おぼれる者がわらをもつかむ形相で言った。
「そのような屈辱にはとても耐えられそうもない。わたしには息子と娘がいるが、それをあなた方にさしだそう。それで満足してほしい」
コルテスはしかけをたぐるように言った。
「いや、そんなにおおげさに考えることはないのだ。マリーナも言うように、あなたはこれまでと同じように執務し、まったく同じものを食べ、同じように人にあい、あなたにふさわしい延臣ら、それに身のまわりの世話をする者らに同じようにかしずかれるのだ。お身内も同行させよう。ようするに、居どころが変わるだけなのだ。あなたは依然としてメシカの支配者であり、最高位の神官であられる。それに、クアウポポカが召喚されてことの真相が明らかとなり、あなたへの疑念が晴らされれば、あなたはまたここに戻ってこられる」
モクテスマは観念したようだった。彼は静かに言った。
「よろしい。わたしは我が父の宮殿に移ろう。だが、これはわたしの意志ですることなのだ。どうかそのことを、何も知らないわたしの家臣や神官らによろしくおつたえ願いたい。わたしはいつものように侍従を従え、輿に乗り、多くの護衛にとり囲まれてここを出る。よろしいな」
コルテスはうれしそうに言った。
「もちろんでござる、もちろんでござる」
同行の幕僚たちも歓声をあげた。ベラスケス・デ・レオンは口笛を吹いた。
モクテスマの悲しい選択は近侍につたえられ、豪華な輿が用意された。モクテスマは追いたてられるように輿に乗り、見た目はいつものとおりの供ぞろえを従えて父の宮殿に向かった。王の輿には、ひっつくようにしてテンディレがはべっていた。
しょの6
モクテスマのためには宮殿でも最上位の広いつづき部屋が与えられ、エスパーニャ人兵士の護衛がつけられた。コルテスはじめ隊員たちは、この気前のいい王に精いっぱいの敬意をはらい、王宮に住んでいたときと変わらない日々を彼がすごせるよう全力をつくした。その一方でコルテスは、宿舎の警護にはさらに念をいれ、いささかも油断することはなかった。
ほどなくして、モクテスマの弟や甥をふくむ首長たちや、首都の行政をあずかる知事や、軍の幹部などがモクテスマのところへやってきた。彼らは口々に、なぜ住まいを移されたのか、あなたはお怒りではないのかとたずねた。モクテスマは彼らに言った。
「これはわたしが望んでしたことなのだ。だから騒がないでもらいたい。都の民を動揺させてはならない。わたしは昨日と同じように今日も、そして明日も、いつもと同じように祭り事をとり行う。わたしは依然としてメシカの王なのだ。何も気にかけてはならない。わたしがこうであるのは神々もご承知なのだから」
彼らはすごすごとひき返していった。
モクテスマは幽閉の身ではあったけれど、個人的な制約は何ら受けなかった。側近の貴族、延臣、従者もそのままひき移ってきて、妻妾も子どももそばにいた。我々とは顔見知りのテンディレもはべっていた。王はいつもと変わらず執務をこなし、いつもと変わらず贅沢三昧をつくした。これらがいったいどこまで従前ままなのかは知るべくもないが、とりあえずはモクテスマの新しい日々がこうしてはじまった。
モクテスマが軟禁されて十日ばかりがたったとき、ベラクルスの後衛隊に戦いを挑み、エスカランテらを死にいたらしめたとされるクアウポポカが召喚されてきた。彼はわるびれることなく、モクテスマの待つアシャヤカトル王の宮殿にやってきた。
彼は、自分が着ているとても立派な衣服を、マゲイの繊維で織った粗末な衣に着がえてはだしになった。従者の出入りする通用口から王の居室に入った彼は、目を床にふせて王の面前まで進みでると、王を賛美する言葉を申しのべながら三回おじぎをした。それから手にしたマゲイの繊維を床に広げて、とても細い葦の棒をふるってしきりに釈明をこころみた。その紙がわりの繊維には、海岸でのもめごとのいきさつが絵文字でつづられていた。
釈明の帰趨を判断するのは、王の脇にひかえている助言役の老臣二人だった。もちろん、最終決定は王の存念しだいでどうにでもなる。
助言役は自分たちのくだした裁定を王に小声でつたえた。王は耳をかたむけてそれを聞く。王は苦しそうな表情を浮かべ、ひじょうに言いにくそうに判決を言いわたした。
「クアウポポカよ。おまえは死罪だ」
これが助言役のくだした判断のとおりなのかどうか、それはわからない。クアウポポカは何らの反論もすることなく、王の面前をひきさがった。王には決して背中を向けず、居室の外に出るまでに三度おじぎをした。外に出ると彼の断末魔の悲鳴、それにベラスケス・デ・レオンのどなり声が聞こえた。王の目に涙が浮かんだ。
あとで知ったことだが、この裁判の裏にはモクテスマとコルテスとのひそかな取引があった。コルテスは何がなんでもクアウポポカを有罪にし、死刑にしたかったのである。彼はモクテスマにささやいた。
「海岸での不幸な出来事はあなたのあずかり知らぬことであろう。してみれば、あの戦いはクアウポポカが独断でやったことになる。これは死罪にあたいする。判決はもう決まったようなものだ。そのことをよくおふくみおきのうえ、裁判はよしなに願いたい」
モクテスマは力なくうなずいた。コルテスは裁判には同席させていただきたいとも言った。モクテスマはそれにも同意した。
ことの真相は結局、わからずじまいだった。クアウポポカは本当に独断であの挙にでたのか。それとも、モクテスマの命令でそれを行ったのか。モクテスマは、真実にもとづいてあの判決をくだしたのか。それとも、コルテスとの取引に負けて、臣下の命を犠牲にしてまで嘘の判決をくだしたのか。モクテスマは依然、ベールにつつまれていた。
処刑の日、コルテスは兵士たちに、王宮の武器庫から葦や木製の武器だけを選んで、それを王宮の前の広場に運ぶよう命じた。その広場には武装した兵士たちが大勢、ぬかりなく配備されていた。広場は群集でみちあふれていた。そのざわめきには殺気だったものがあった。声があがった。
「王は臣下を信じないのか。この世にならぶもののないメシカの清廉な魂はどこへいった。公正な裁きはどこへいった。恥ずかしいとは思わないのか。ウイツィロポチトリの名にかけて言おう、メシカはいま暗黒の暗闇にころげ落ちようとしているのだ」
群集がどっとどよめいた。次々にいろいろな声があがった。それらはどれも、モクテスマを糾弾するものばかりだった。
エスパーニャ人の兵士にひきたてられて、クアウポポカとそのおもだった配下らがその裸の姿を現した。彼らは、王宮の武器庫から運ばれてうず高く積まれた葦や木製の武器の山へ連行され、そこに突き立てられた杭にしばりつけられた。山の一角に火がかけられた。
槍に、弓に、盾に炎があがり、それはやがて山火事のように燃えひろがった。山は紅蓮の炎につつまれた。罪人(本当にそうなのか?)の髪がぱっと燃えあがり、皮膚がはじけて血まみれになった筋肉がむきだしとなり、肉の焼けこげるにおいがあたり一面にたちこめ、人の焼かれる黒煙が広場を暗くした。
群集は、生贄が切りさかれて、その心臓がえぐりとられる儀式の様子は見なれているのだが、火あぶりのほうは、年に一度の女神トシの祭礼の際、捕虜になった者たちが火に捧げられるのを目にするのみだった。彼らは恐怖にうちふるえた。あちこちから悲鳴があがる。それはコルテスが計算したとおりの成りゆきだった。彼らに自分たちへの恐怖心をうえつけてやるのだ。我々に刃向かう者は誰であれ、こうなるのだと。
こうして処刑が行われているあいだ、モクテスマは自分の居室に閉じこめられ、足には鉄の足かせをかませられていた。このときのモクテスマほどみじめな人間は、このインディアスにも、エスパーニャにも、フランスにも、イングラテラ(イングランド)にも、イタリアにも、フランデス(フランドル)にも、オーストリアにも、トゥルキア(トルコ)にも、アラビアにも、ルシア(ロシア)にも、カタイ(中国)にも、そして黄金の国ジパングにもいなかったにちがいない。
十七人の罪人が黒焦げの物体となりはてて、処刑は終結した。思いだしたようにコルテスは、五人の幕僚をともなってモクテスマのところへおもむいた。コルテスは自らの手でモクテスマの足かせをはずしてやった。
「モクテスマ殿。よくしんぼうしてくださった。あなたはもはやわたしの兄弟だ。あなたがまだ平らげられないでいる国や、あなたにたてつく国や町があるのなら我々がお手伝いしよう。そして、あなたの版図をどこまでも広げられるがよい」
モクテスマはぼんやり言った。
「それならトラスカラを滅ぼしてもらいたい」
コルテスはひるんだ。彼はまたもや出まかせを言った。
「もしなんなら王宮に帰られてもいいのですぞ」
しょせん口まかせにすぎないことを知っているモクテスマは、コルテスに背を向けた。その肩はふるえていた。
数日がまたたくまにすぎた。モクテスマは見たとおりではいつもの彼に戻っていた。笑顔もよく見られた。しかしそれは、以前のものよりはうすくなっているのがわたしにはわかった。
メシカの駐屯兵に殺されたエスカランテの後任には、ゴンサーロ・デ・サンドバルがあてられた。この男はコルテスと同郷の名家の出身で、コルテスの遠征の募集に応じて隊員となった。まだ若輩ながら胆力があり、まじめで親切でもあったので人望があった。コルテスお気にいりの幕僚の一人で、市会議員にも選ばれている。タバスコの合戦ではちょっとした軍功もたてた。
コルテスはベラクルスに発つ彼に、ベラクルスで船を沈めた際にとりはずした錨、綱、帆、索具、羅針盤、それに松脂、樹皮の詰め材、鉄、釘などの品々の一部を至急こちらに送ってよこすよう命じた。コルテスには、船をつくらせる肚づもりがあるらしかった。
しょの7
夜、寝につくときにチャンが言った。
「おい、あの王様の食事というのはずいぶんすごいらしいな」
「確かにな。わたしの故国のエスパーニャの王様の食事が、まずしい庶民のものに見えてしまうほどだ」
モクテスマの昼食と晩餐、とくに昼食は度がすぎるほどに豪勢なものだった。その食卓は白く真新しい木綿の布でおおわれ、王が席につくと、体を清めた清楚な乙女が四人現れる。彼女らは手洗い鉢を置いて王の手に水をそそぎ、王が洗い終わると手ふき布をさしだす。王一人が占有するだだっぴろい食卓は、この地の足のある家具がみなそうであるようにかなり低く、皮の背もたれの置かれた豪華な椅子もまた同様だった。
王が食事をはじめると、誰もがその姿を目にできないように金の屏風が立てかけられる。四人の乙女はあとずさりして離れたところにひかえ、かわりに四人の老臣が出てきて王の側にはべる。彼らは、裁判のおりにも助言者として王のかたわらに立つ。食事中に王が話しかけたり、何かを問いかけたりすると彼らはその相手をつとめる。王はきらいな料理が出たり、あまり食が進まない場合には料理の一部を彼らに与えた。彼らはうやうやしく感謝の意を表して、立ったままでそれを食べた。これはひじょうに名誉なこととされていた。
食器はいつも新品で、チョルーラ特産の黒と赤色の見事な素焼きの逸品だった。チョコラトルを飲むための金の杯や素焼きの水差しも用意されていた。料理の種類は三十品目にもおよび、煮込み料理はさめないように素焼きの火鉢にかけられていた。それらの料理のなかから王が食べたいものを指定すると、多くの女給仕がそれを王のもとに運んだ。これらの女給仕とは別に、最上のトウモロコシに新鮮な卵などを加えたトルティーリャをつくり、それを清潔な布にくるんで皿にのうえにのせ、王のもとに運ぶひじょうにしとやかな女給仕も二人いた。
使われている食材は、数えあげるのが困難なほどに多種多様だった。それらはトラテロルコの大市場ですでに目にしているので、ここでいちいち名はあげないが、特筆すべきなのは、遠く山嶺を越えた沿海地方から早飛脚でとり寄せられる新鮮な魚介である。魚は生きのいいうちに湯どおしされ、特製のソース――炒めたトウガラシとカボチャの種をすりつぶしたものに、海産の新鮮なエビなどをざっと煮込んだ煮汁を加えたもの――をかけて食される。民には無縁の贅沢さで、しもじもでは三枚に開いて天日に干したものしか口にはできなかった。
七面鳥の肉を、トウガラシなどの香辛料とチョコラトルとで煮込んだものはモレと呼ばれ、折ったトルティーリャにはさみ込んで食べるが、王はこれが大好物だった。このほか、アヒルをプラムや水蜜桃と一緒に煮込んだ煮込み料理、ウサギの煮込み料理、蒸した七面鳥、焼いたウズラ、魚やカエルや七面鳥などの肉をつめたパイ、鹿肉の薫製などがよく出た。乳のように柔らかいトウモロコシの穂や、最上級のアトレ(とろ火でふやかしたトウモロコシをすりつぶして煮たてた粥)などもあった。庶民が口にする緑色トウガラシで煮込んだカエルや、黄色トウガラシで煮込んだサンショウウオなども出ることがあった。
食後は、パパイア、バナナ、水蜜桃、サクランボなど、この地で採れるあらゆる種類の果物や菓子が出てくる。菓子はカボチャやアマランサスの種、マゲイやサボテンの実、水蜜桃などでつくられる。王はそれらをほんのちょっと口にするだけだ。極上のカカオを使って、最高級の蜂蜜とまぜ合わせたチョコラトルは飲みほうだいだった。王はこれが大好きで金の杯で日に何十杯も飲む。食後には、金色の地にいろいろな模様の描かれた葦の筒が三本出るが、これには芳香油と煙草がつめられている。
王はこの煙草を吸いながら余興を楽しむ。楽師が音楽を奏で、美しい女が舞いを舞う。せむしの道化が現れて王を笑わせる。王は料理の残りやチョコラトルを彼らに与える。王が満腹なのを見はからって、ほとんどが手つかずか、大半が残ったままの食器がかたずけられると、最初に出てきた四人の乙女らが伺候して食卓の白い布をとりはずし、うやうやしく王の手に水をかける。王はこのあとひと眠りする。
この豪勢な食事がすむと、妻子や家臣や警護の者、給仕や楽師や舞い手や道化、それに宮廷職人たちの食事がはじまる。彼らは、大広間や回廊、宮殿の庭などに集まる。このときの食事で使用される皿やチョコラトルの入った壷はおびただしい数にのぼる。
「これが毎日くり返される」
と、わたしはチャンに言った。チャンは、すやすや寝息をたてていた。
コルテスは、居室から自由に出られないモクテスマに対して、いろいろと気をくばった。モクテスマが大事な人質だからということもあるが、それ以上に、何かそうさせないではおかない人柄をモクテスマはもっていた。コルテスは毎日のように彼の部屋を訪れては話し相手になった。ペドロ・デ・アルバラード、ディエゴ・デ・オルダス、ベラスケス・デ・レオンなどが彼に同行した。なぐさめの言葉やはげましの言葉を投げかける彼らにモクテスマは言った。
「我が神ウイツィロポチトリは、まだご自分のお気持をおしめしではない。それが明かされるまでは、ここにこうしているのがよいとのおぼしめしなのであろう。あなた方のおこころざしには感謝する。何ごとも神のみ心のままなので、あまり気にせずにいてもらいたい」
コルテスは神父を呼んで、モクテスマに自分たちの信仰についてもいろいろ語らせた。それが信仰の名をかりた精神的拷問であることにも気づかずに。モクテスマはそれを、さびしげな笑みを浮かべながら聞いていた。
モクテスマとコルテスは、小さな黄金の板を的に使う的当て遊びにうち興じることもあった。五回投げて多く当てたほうが勝ちとなった。金や宝石が賭けられて勝者のものとなった。コルテスの得点はアルバラードが、モクテスマのそれは彼の甥のイツクァウ